高天原(たかあまはら)三丁目

感じた事、思った事を勝手気ままに紹介します。Wikipediaの転用多し。コピペも多し(笑)

天照大御神(あまてらすおおみかみ)

2016-08-31 12:34:42 | その他




天照大御神(あまてらすおおみかみ)

太陽、光、慈愛、真実、秩序を象徴する最も尊い神さまです。

弟の須佐之男命(すさのおのみこと)のあまりにも乱暴な行いを悲しまれた天照大御神が天岩戸(あまのいわと)にお隠れになった時、世の中は光を失い闇の世界となり、作物も育たず、秩序も失われたといわれています。

天照大御神は、現在の天皇さまのご祖先であり、全ての国民の祖神(おやがみ)さまとして伊勢の神宮(内宮)におまつりされています。


悪魔の見分け方

2016-08-26 10:30:13 | その他
悪魔は「排除」の対象です。

悪魔は「差別」しなければなりません。「区別」も必要です。


【悪魔界発の輩(やから)の特徴】
月刊『玉響』2015年6月号P36より


1 自分本位
2 正義装って周囲を巻き込み、集団を作って悪いことをする。
3 欲望、特に金銭欲が異常なまでに強い

4 嘘をつくことをなんとも思わない
5 自分に不都合になると、必ず理屈に合わない難癖をつける
6 驚くほど心の中が冷たい

7 相手のちょっとした欠点をあげつらって仮借ない攻撃をする。
8 しつこい
9 問題を都合よくすり替える

10 他人の不幸が喜び
11 考えが表面的で深みが「全く」ない
12 自分への反省がまったくない

13 他人の悪口が大好き
14 電話魔
15 言葉遣いが汚い

16 固定観念の塊
17 ちょっと御しやすいとわかると、調子に乗って傲慢で支配的な態度に出る
18 根本的に品格がない(下品)

かような特徴を持つのが悪魔界発人間である。
いっけん紳士風に、または淑女風に振る舞うが、少し深く付き合うと、言葉の汚さや態度のあまりの悪さに驚くであろう。
それゆえしばらく付き合うと判別がつくが、人が良すぎると長々と付き合ってしまいたいへんなことになってから気づく人もよくいる。

ルーズベルトニ与フル書

2016-08-18 07:00:52 | 歴史
(現代文)

ルーズベルトニ与フル書

日本海軍市丸海軍少将が 「フランクリン ・ルーズベルト」 君に書を宛てる。

私は今、我が戦いを終えるに当たり一言貴方に告げることがある。

日本国が 「ペルリー(ペリー)」提督の下田入港を機とし、広く世界と国交を結ぶようになった時より約百年の間、国の歩みは困難を極め、自ら欲しないにも関わらず日清戦争、日露戦争、第一次欧州大戦(第一次世界大戦)、満州事変、支那事変を経て、不幸にも貴国と交戦することになった。 そして貴方は我々を、あるいは好戦的国民であるとし、あるいは黄禍論を用い貶め、あるいは軍閥の独断専行であるとする。

思いよらぬもの甚だしいと言わざるを得ない。 貴方は真珠湾攻撃の不意打ちを理由に対日戦争(大東亜戦争) 唯一の宣伝資料とするが、そもそもにおいて日本国が自滅を免れるためこの行動に出る他ないという程の窮地にまで追い詰めたような諸種の情勢というのは、貴方の最も熟知するものであると思う。

畏れ多くも日本天皇は皇祖皇宗建国の大詔に明らかなように、養成(正義)、重暉(明智)、積慶(仁慈)を三鋼(秩序)とする八紘一宇(天下を一つの屋根の下に)の文字によって表される皇謨に基づき、地球上のあらゆる人間はその分に従い、その郷土においてその生を生まれながらに持たせ、それによって恒久的平和の確立を唯一の念願になさったのに他ならない。

これは 「 四方の海皆はらからと思ふ世になど波風の立ちさわぐらむ 」 (意訳:人は皆家族であるのに、なにゆえ争わねばならないのか) という明治天皇の御製(天皇の詩)は貴方の叔父セオドア・ルーズベルト閣下が感嘆したものであるが故に、貴方もよく熟知しているのは事実であろう。

私たち日本人はそれぞれ階級を持ち、また各種の職業に従事するけれども、結局はその職を通じ皇謨、つまりは天業(天皇の事業)を翼賛(補佐)しようとするのに他ならない。

我ら軍人は交戦を以て天業を広めることを承るに他ならない。

我らは今、物量に頼った貴方の空軍の爆撃、艦隊の射撃の下、外形的に後ろへ退くもやむなきに至っているが、精神的にはついに豊かになり、心地ますます明朗になり、歓喜を抑えることができなくもある。

この天業翼賛の信念が燃えるのは、日本国民共通の心理であるが、貴方やチャーチル君は理解に苦しむところであろう。

今、ここに貴方達の精神的貧弱さを憐れみ、以下の一言を以て少しでも悔いることがあれば良いと思う。

貴方達のなすことを見れば、白人、とくにアングロサクソン(アメリカとイギリスの主な民族)が世界の利益を独占しようとして、有色人種をその野望実現のための奴隷として扱おうということに他ならない。

この為に邪な政策をとり有色人種を欺き、所謂悪意の善政を行うことで彼らを喪心無力化しようとしている。

近世に至り日本国が貴方達の野望に抗し有色人種、特に東洋民族を貴方達の束縛より解放しようと試みたところ、貴方達は少しも日本の真意を理解しようと努めることなくただ貴方達に有害な存在となし、かつて友邦とみなしていたにも関わらず仇敵野蛮人であるとし、公然として日本人種の絶滅を叫ぶに至った。
これは決して神意にかなうものではないだろう。

大東亜戦争によって所謂(いわゆる)大東亜共栄圏が成立し、所在する各民族はわれらの善政を謳歌しているから、貴方達がこれを破壊することが無ければ、全世界にわたる恒久的平和の招来は決して遠くは無いだろう。 貴方達はすでに成した。 十分な繁栄にも満足することはなく数百年来にわたるあなた方の搾取から免れようとするこれらの憐れむべき人類の希望の芽をどうして若葉のうちに摘み取ろうとするのか。


ただ東洋のものを東洋に返すに過ぎないではないか。


あなた方はどうしてこのように貪欲で狭量なのか。


 大東亜共栄圏の存在は少しも貴方達の存在を脅威するものではない。 むしろ世界平和の一翼として世界人類の安寧幸福を保障するものであって、日本天皇の真意はまったくこれに他ならない。 
このことを理解する雅量(器)があることを希望してやまないものである。

翻って欧州の事情を観察すると、また相互無理解に基づく人類闘争がいかに悲惨であるかを痛感し嘆かざるをえない。 
今ヒトラー総統の行動の是非を云々するのは慎むが、彼の第二次世界大戦開戦の原因が第一次世界大戦の終結の際、その開戦責任の一切を敗戦国ドイツに押し付け、その正当な存在を極度に圧迫しようとした貴方達の処置に対する反発に他ならないということは看過できない。

貴方達の善戦によって力を尽くしてヒトラー総統を倒すことができたとして、どうやってスターリン率いるソヴィエトと協調するのか。 
世界を強者が独専しようとすれば永久に闘争を繰り返し、ついに世界人類に安寧幸福の日はないだろう。

あなた方は今世界制覇の野望が一応、まさに実現しようとしている。あなた方は得意げに思っているに違いない。 しかし貴方達の先輩ウィルソン大統領はその得意の絶頂において失脚した。

願わくば私の言外の意を汲んでその轍を踏まないで欲しい。

市丸海軍少将 



(英文)

Note to Roosevelt


Rear Admiral R. Ichimaru of the Japanese Navy sends this note to Roosevelt.

I have one word to give you upon the termination of this battle.

Approximately a century has elapsed since Nippon, after Commodore Perry’s entry to Shimoda, became widely affiliated with the countries of the world. During this period of intercourse Nippon has met with many national crises as well as the undesired Sino-Japanese War, Russo-Japanese War, the World War, the Manchurian Incident, and the China Incident. Nippon is now, unfortunately, in a state of open conflict with your country.

Judging Nippon from just this side of the screen you may slander our nation as a yellow peril, or a blood thirsty nation or maybe a protoplasm of military clique.

Though you may use the surprise attack on Pearl Harbour as your primary material for propaganda, I believe you, of all persons, know best that you left Nippon no other method in order to save herself from self-destruction.

His Imperial Highness, as clearly shown in the “Rescript of the Founder of the Empire” “Yosei” (Justice), “Choki” (Sagacity) and “Sekkei” (Benevolence), contained in the above three fold doctrine, rules in the realization of “Hakko-ichiu” (the universe under His Sacred Rule) in His Gracious mind. The realization of which means the habitation of their respective fatherlands under their own customs and traditions, thus insuring the everlasting peace of the world.

Emperor Meiji’s “The four seas of the world that are united in brotherhood will know no high waves nor wind” (composed during the Russo-Japanese War) won the appraisal of your uncle, Theodore Roosevelt as you yourself know.

We, the Nippon-jin, though may follow all lines of trade, it is through our each walk of life that we support the Imperial doctrine.

We, the soldiers of the Imperial Fighting Force take up arms to further the above stated “doctrine”.

Though we, at the time, are externally taken by your air raids and shelling backed by your material superiority, spiritually we are burning with delight and enjoying the peace of mind.

This peacefulness of mind, the common universal stigma of the Nippon-jin, burning with fervour in the upholding of the Imperial Doctrine may be impossible for you and Churchill to understand.

I hereupon pitying your spiritual feebleness pen a word or two.

Judging from your actions, white races especially you Anglo-Saxons at the sacrifice of the coloured races are monopolizing the fruits of the world.

In order to attain this end, countless machinations were used to cajole the yellow races, and to finally deprive them of any strength.

Nippon in retaliation to your imperialism tried to free the oriental nations from your punitive bonds, only to be faced by your dogged opposition. You now consider your once friendly Nippon a harmful existence to your luscious plan, a bunch of barbarians that must be exterminated.

The completion of this Greater East Asia War will bring about the birth of the East Asia Co-Prosperity Area, this in turn will in the near future result in the everlasting peace of the world, if, of course, is not hampered upon by your unending imperialism.

Why is it that you, an already flourishing nation, nip in bud the movement for the freedom of the suppressed nations of the East.

It is no other than to return to the East that which belongs to the East.

It is beyond our contemplation when we try to understand your stinted narrowness.

The existence of the East Asia Co-Prosperity sphere does not in anyway encroach upon your safety as a nation, on the contrary, will sit as a pillar of world peace ensuring the happiness of the world. His Imperial Majesty’s true aim is no other than the attainment of this everlasting peace.

Studying the condition of the never ending racial struggle resulting from mutual misunderstanding of the European countries, it is not difficult to feel the need of the everlasting universal peace.

Present Hitler’s crusade of “His Fatherland” is brought about by no other than the stupidity of holding only Germany, the loser of the World War, solely responsible for the 1914-1918 calamity and the deprivation of Germany’s re-establishment.

It is beyond my imagination of how you can slander Hitler’s program and at the same time cooperate with Stalin’s “Soviet Russia” which has as its principle aim the “socialization” of the World at large.

If only the brute force decides the ruler of the world, fighting will everlastingly be repeated, and never will the world know peace nor happiness.

Upon the attainment of your barbaric world monopoly never forget to retain in your mind the failure of your predecessor President Wilson at his heights.

-Rear Admiral Ichimaru

韓国 初代大統領 李 承晩(り・しょうばん)

2016-08-16 08:56:10 | その他

韓国 初代大統領 李 承晩
(り・しょうばん、イ・スンマン)のです。

〇1948年(昭和23年)8月15日 - 朝鮮半島南部単独で大韓民国建国。初代大統領に就任。

亡くなったのが1960年なので最近の人です。

日本人から見ると滅茶苦茶な人です。私は
李 承晩 は中共と変わりなく思えます。

虐殺の連続です。此奴の虐殺、差別行為が原因で済州島から日本へ逃れてきた朝鮮人が帰化し、また在日韓国人となり反日行為をおこなっていると言っても過言ではありません。

竹島についても1952年(昭和27年)1月18日 、
海洋主権宣言。「平和線」、いわゆる李承晩ラインを勝手に設定し独島として主張しています。

韓国の反日政策は李承晩が自らの経歴を打ち消すが為に旧日本軍や日本政府を悪と位置づけ韓国人を洗脳したのです。

反日教育、反日政策の祖がこの李承晩です。

信じられないくらいの外道、下衆です。




Wikipediaをそのまま引用しました。

略年表

〇1875年3月26日 - 黄海道開城市近郊の平山郡馬山面大慶里(現・黄海南道峰泉郡)にて生誕。
桃洞書堂で漢学を学ぶ。

〇1896年(明治29年)- アメリカ人のキリスト教宣教師アペンセラーが設立した培材学堂で学び始める。

〇1896年 - 徐載弼(ソ・ジェピル)の「独立協会」の結成に中心メンバーとして加わる。

〇1897年(明治30年) - 培材学堂在学中に高宗退位要求の檄文散布に加わり投獄される。投獄中にプロテスタントの監理教会派に入信。

〇1904年(明治37年) - 特赦による出獄後、アメリカ合衆国に渡る。

〇1907年(明治40年) - ジョージ・ワシントン大学で学士号取得。

〇1908年(明治41年) - ハーバード大学卒で修士号取得。

〇1910年(明治43年) - プリンストン大学で政治学博士号取得。博士論文は「アメリカの影響を受けた永世中立論」。この年、帰国する。

〇1911年(明治44年) - 寺内正毅朝鮮総督暗殺計画に連座して投獄される。

〇1912年(明治45年) - アメリカ合衆国に亡命。

〇1919年(大正8年) - 中華民国の上海で大韓民国臨時政府樹立。李承晩によってワシントンD.C.に欧米委員部設立。

〇1920年(大正9年) - 大韓民国臨時政府大統領に推される。しかし派閥抗争から失脚。ハワイに拠点を移す。

〇1933年(昭和8年) - 満州事変を討議する国際連盟総会に大韓民国臨時政府全権代表として出席。

〇1934年(昭和9年) - オーストリア人のフランチェスカ・ドナーと結婚。

〇1941年 -『日本の内幕記』を著す。日本の対米宣戦を予告。

〇1945年(昭和20年)10月 - 日本の降伏と朝鮮解放に伴い、在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁直接統治下の朝鮮半島に帰還。

〇1946年 2月 - 大韓独立促進国民会を結成。総裁に就任。


〇1948年(昭和23年)4月3日 - 済州島四・三事件反乱鎮圧。

〇1948年(昭和23年)8月15日 - 朝鮮半島南部単独で大韓民国建国。初代大統領に就任。

〇1948年(昭和23年)10月 - 連合国軍占領下の日本を非公式訪問(ダグラス・マッカーサーGHQ司令官などとの会談のため)。


〇1948年(昭和23年)10月27日 - 麗水・順天事件反乱鎮圧。

〇1948年(昭和23年)12月1日 - 国家保安法を制定。

〇1949年(昭和24年)12月24日 - 聞慶虐殺事件。

〇1950年(昭和25年)6月25日 - 朝鮮戦争勃発。

〇1950年(昭和25年)6月 - 国民保導連盟の加盟者や収監中の政治犯など、少なくとも20万人あまりを大量虐殺(保導連盟事件)。

〇1951年(昭和26年)1月 - 前線で戦闘中の将兵の物資を転売し着服(国民防衛軍事件)。

〇1952年(昭和27年)1月18日 - 海洋主権宣言。「平和線」、いわゆる李承晩ラインを設定する。

〇1952年(昭和27年)5月26日 - 戒厳令を施行し、反対派議員を監禁・憲法改正を強行(釜山政治波動)。

〇1956年(昭和31年)5月15日 - 大統領に3選。副には野党の張勉が当選。

〇1958年(昭和33年) - 進歩党党首の曺奉岩をスパイ容疑で逮捕。1959年7月に処刑。

〇1959年(昭和34年) - 新潟日赤センター爆破未遂事件。

〇1960年(昭和35年)4月19日 - 不正選挙を糾弾するデモ隊と警官隊が衝突。死者186人。4月26日に下野を表明し、5月29日にハワイへ亡命(四月革命)。

〇1965年(昭和40年)7月19日 - 亡命先のハワイにて90歳で客死。





済州島 四・三事件です。

これもWikipediaをそのまま引用しました。

済州島四・三事件(さいしゅうとうよんさんじけん)は、1948年4月3日に在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁支配下にある南朝鮮(現在の大韓民国)の済州島で起こった島民の蜂起にともない、南朝鮮国防警備隊、韓国軍、韓国警察、朝鮮半島本土の右翼青年団などが1954年9月21日までの期間に引き起こした一連の島民虐殺事件を指す。

韓国政府側は事件に南朝鮮労働党が関与しているとして、政府軍・警察による粛清をおこない、島民の5人に1人にあたる6万人が虐殺された。

また、済州島の村々の70%が焼き尽くされた。

また、この事件は麗水順天の抗争の背景にもなった。

(背景)

済州島民の蜂起と韓国による鎮圧

1948年に入ると、南朝鮮は北朝鮮抜きの単独選挙を行うことを決断し、島内では選挙を前に激しい左右両派の対立がはじまった。その中で、単独選挙に反対する左派島民の武装蜂起の日付が4月3日である。警察および右派から12名、武装蜂起側からは2名の死者が出た。

済州島民の蜂起に対して、韓国本土から鎮圧軍として陸軍が派遣されるにあたり、政府の方針に反抗した部隊による反乱が生じ(麗水・順天事件)韓国本土でも戦闘が行われ、その際に日本への密航者が多数生じることとなった。

済州島では韓国軍などにより蜂起したものは弾圧されたが、人民遊撃隊の残存勢力はゲリラ戦で対抗するようになったため、治安部隊は潜伏している遊撃隊員と彼らに同調する島民の処刑・粛清を行った。

これは、8月15日の大韓民国成立後も韓国軍(この時正式発足)によって継続して行われた。

韓国軍は、島民の住む村を襲うと若者達を連れ出して殺害するとともに、少女達を連れ出しては、2週間に渡って輪姦、虐待を繰り返した後に惨殺したと言われている。

1948年9月に金日成は朝鮮人民軍を創設し、続いて朝鮮民主主義人民共和国の成立を宣言した。

1949年12月24日には、韓国本土で韓国軍は住民虐殺事件(聞慶虐殺事件)を引き起こし、共産主義者による犯行であると情報操作した。

1950年に南北朝鮮労働党が合同し、金日成の朝鮮民主主義人民共和国が韓国(本土)に侵攻(朝鮮戦争)すると、朝鮮労働党党員狩りは熾烈さを極め、1954年9月21日までに3万人が、完全に鎮圧された1957年までには8万人の島民が殺害されたとも推測される。

また、韓国本土で保導連盟事件が起きると本土と同様に刑務所で1200人が殺害された。

海上に投棄されていた遺骸は日本人によって引き上げられ、対馬の寺院に安置されている。

歴史的に権力闘争に敗れた両班の流刑地・左遷地だったことなどから朝鮮本土から差別され、また貧しかった済州島民は当時の日本政府の防止策をかいくぐって日本へ出稼ぎに行き、定住する人々もいた。

韓国併合後、日本統治時代の初期に同じく日本政府の禁止を破って朝鮮から日本に渡った20万人ほどの大半は済州島出身であったという。

日本の敗戦後、その3分の2程は帰国したが、四・三事件発生後は再び日本などへ避難あるいは密入国し、そのまま在日韓国人となった人々も多い。

日本へ逃れた島民は大阪などに済州島民コミュニティを形成したが、彼らは韓国人コミュニティからは距離を置いた。済州島では事件前(1948年)に28万人いた島民は、1957年には3万人弱にまで激減したとされる。

この事件を初めて発表した在日韓国人作家の金石範氏は2015年4月1日に第1回済州四・三平和賞を授賞したが、授賞に際しては市民団体の妨害もあった。

熊本 : 新風連の乱

2016-08-14 10:55:47 | その他

神風連(しんぷうれん)の乱


神風連(しんぷうれん)は熊本、千葉城にあった林桜園(はやしおうえん)の私塾「原道館」の門下生でつくる「敬神党」の別名です。

神風連は神道を重んじる復古主義、攘夷主義の思想団体です。

断髪令、キリスト教黙認、外国人との結婚許可など新政府が押し進める文明開化の世を憂い

※宇気比(うけひ)を以って日本に降りかかる邪気を祓っていました。

敬神党は、旧肥後藩士族の三大派閥の一つである『肥後勤皇党』の一派でした。

自らは敬神党を名乗っていましたが、彼らの伝統的神道への信仰心が非常に強かったので、周囲からは『神風連』と呼ばれていました。


※宇気比(うけひ)とは ?

宇気比は、日本太古の誓約祈祷である。
神代天照大神が須佐之男命と高天原(天上界)にて宇気比する事によって数多の神々を生んだことから起こりました。
つまりこれは「魂(霊)のやり取り」というような意味で、お互いの魂のこもった物を物実(ものざね元因となる物)として、精神を凝らすことによって化生神を生み成すという神術です。

三島由紀夫の著書『奔馬』の記述によると、神風連の乱はこの『宇気比』の神託を受けて決行されました。


神風連の乱とは

神風連の乱とは、明治九年(一八七六)に新開大神宮宮司の太田黒伴雄を首領とする神風連の志士が挙兵し、熊本鎮台を襲撃した事件です。

西南戦争の前年に起きた『神風連の乱』は、神風連の志士たちが明治政府の欧化政策に憤った士族の戦いでもあります。

封建時代が終わり、天皇制の時代になったことで、日本古来の神道に基づいた政治が行われることを期待していた彼らは、政府の方針に失望し、神託を得て尊皇攘夷論者を押さえるため各地に設置された『鎮台』を襲撃しました。

彼らは鎮台を攻め、要人を襲いましたが、近代的な兵器を持つ鎮台の前では長く続かず、一夜にして鎮圧され敗れました。

その多くは戦死、また生き残った者も自害して果てました。

あまりに無謀な戦いは純粋な大和魂の発露であり、はじめから勝敗は度外視だったのでしょうか。

それとも神託を得た自分たちの勝利を、最後まで信じたのでしょうか。

そしてその後、西南の役が起きました。



西南の役は、1877年(明治10年)に現在の熊本県・宮崎県・大分県・鹿児島県において西郷隆盛を盟主にして起こった士族による武力反乱です。

明治初期に起こった一連の士族反乱の中でも最大規模のものでした。



『神風連資料館』

明治9年の神風連の変で敗れた志士たちが眠る、桜山神社の境内にあります。

神風連資料館には、日本古来の政治を強く望み、信仰に生きたサムライ太田黒伴雄以下170名からなる『神風連』にまつわる資料と遺品が展示されています。

「神風連の乱」が起こった背景や当事者の遺品、また当時の錦絵が飾られているばかりかその反乱で亡くなった120人強の人達の墓地までがあります。


神風連資料館

【所在地】
〒860-0862 熊本市中央区黒髪5-7-57



熊本観光の際にはぜひ現地を訪れてみてください。