現在の赴任地(愛知県稲沢市)にある史跡を紹介します
史跡尾張国分寺跡
尾張国分寺跡は、愛知県稲沢市矢合町中椎ノ木にある。
北北東4キロメートル尾張大国霊神社が所在する。
下記は稲沢市HPから拝借した。
( 記 )
平成24年1月24日、市内矢合町にある尾張国分寺跡が国史跡に指定されました。
国分寺跡は古代の国ごとに置かれた官寺(国が建てた寺院)の遺跡で、愛知県では三河国分寺跡(豊川市)と尾張国分寺跡の2か所しかない貴重なものです。
【尾張国分寺跡】
尾張国分寺跡は、奈良時代、聖武天皇が仏教によって国を守ろうと考え全国に置くことを命じた、古代の重要な寺院の遺跡です。
今から約1,300年前、日本は60余りの国(現在の県に相当)に分かれ、今の愛知県西部には尾張国があり、都から派遣された国司によって政治が行われていました。
741年(天平13年)に聖武天皇は国ごとに国分僧寺と国分尼寺を建てることを命令し、尾張国では稲沢市矢合町から堀之内町にまたがる地に国分寺が建てられました。
その後、884年(元慶8年)に焼損し、愛知郡の定額願興寺に役割が移ったと伝えられています。
現在、尾張国分寺跡は、金堂跡、塔跡、講堂跡などが確認されており、東西約200m、南北約300m以上の大寺院であったと推定されています。
-以上-
史跡と言っても塔跡位しか見学出来ないが、今から1300年前に聖武天皇が命じ建てられた国分寺の塔跡石を真近かに見、手で触れる事が出来る。
884年に焼失したと言う事なので1000年以上もこの塔跡石は現在の姿で、数知れぬ歴史上著名人が同じ石を見て触れたのであろうと考えれば感慨深い…
織田信長もこの史跡を見て、この石を手で触れたかも知れない。