宇宙(そら)は家

宇宙(そら)へ還ろう! 
五井先生は、両手を
広げて待って
いらっしゃいます。
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人間の真実のすがた

2020-08-19 07:17:51 | 祈り
     108 真実のすがた
祈りというものを、何か一つのかたちに
入らないといけないものと考えたり、
勘ちがいをしている人々が、多いようで
あります。

祈りというものは、かたちではありません。
では、なぜかたちがあるかといえば、
神様のみこころのなかに入りやすいように、
ある一つのきまったかたちを、みんなでとる
ということだけでありまして、常住坐臥、
どんな時にもからだ中で祈っている
というのが本当のすがたなのであります。

歩いている時も、すわっている時も、
食べている時も、のんでいる時も祈って
いるのであります。

祈って祈って祈り抜いているすがた、愛と
光にかがやいているすがた、そうして、光を
ふりまいているすがた、これが、人間の
真実のすがたなのであります。

迷いもまどいもない神界にある人間は、
このことを知っているのであります。
また、私どもの霊体は、守護霊守護神は、
このことをよく知って、真実の祈りへと
私どもをみちびいているのであります。

私どもは、このことを心にとめて、真実の
祈りが、何物にもとらわれぬもの
であることを識って、神への道しるべである
世界平和の祈りをささげてまいりましょう。

本心が ひらく時

2020-08-18 10:50:43 | 祈り
     107 本心がひらく時
何がむずかしいといって、自分を殺すことほど
むずかしいことはありません。
あんまりやると禁欲主義になっちゃって、
これをしてはいけない、あれをしてはいけない
とおもうだけで病気になっちゃう。
私が説いておりますのは、自分を殺すという
ことではなく、自分をありのままに認め、愛する
ということなのです。
今までの宗教者は、とかく禁止することで、
心の向上を目ざした人が多いのですが(いわゆる
聖賢たちは禁止を一切しておりません)、
それでは、生命がしなびてしまいます。
しなびたいのちからは、何もいいものは
出て参りません。

自分が活きなければ、人を活かすことも
出来ないのです。
放任ではないんですよ。

放任ではなくて、ありのままのいろいろな自分の
姿がでてきた時に、それをとらえ、パッと光に
むかってそれを放す、世界平和の祈りのなかで、
神様に全部返してしまって、あたらしい衣を着る、
あたらしいいのちをいただくということなのです。

考えようによっては、いたずらな禁止よりも、
私の方が、もっと厳しいともいえるのですが、
しかし、神様の愛というものは、さまざまな
人間の心をろ過して、その奥の神体、光体
としての人間のいのちを抱いて下さって
いるのであります。
今、この肉体身のままで、人間の本体を
抱いて下さっているのです。
特別な修行をしなくても、みんなこのままで
霊人になってゆく。

今は、その本心がひらかれてゆく、まさに
その時なのであります。