宇宙(そら)は家

宇宙(そら)へ還ろう! 
五井先生は、両手を
広げて待って
いらっしゃいます。
(リンクフリー)

宝について(2)

2021-12-30 13:32:13 | 祈り
    (前日からの続き)
人間というのは、何だかんだと思う
もんですね。
今晩のご飯は何かしらとか、人と
しゃべっても何かいろいろと浮かんで
来るもんでしょ。
ところが、全く何も考えちゃいけない
ということ。
例えば、雨の降る日に傘もささずにね、
車道の真中を歩いて、さあどうなる?
というような事をさせられたわけですよ。
だけど私はもともとが常識的な人間で、
常識から一歩も出たことがない人間でね、
カチンカチンの人間ではなかったけれど、
そういう常識的なところを持たされた人間が、
そういう一見すると非常識なところを
通ってね、そうして超常識にさせられた
というのは、個人としてはとても辛い
ことだった。
けれども、それを通して、結局は人間の智恵
ではなくて、肉体をもって生きている
ということは、神様の智恵が神様の方から
流れてくるんだということが実感として判った。
自分が直霊に合体した時に、自分の身体でもって
判ったわけですね。
心でもって判ったわけですね。

それで、人間というのは、誰一人として
例外なくそういうふうになっていけるという
ことです。
つまり、人間は、我が有って苦しむけれども、
我というものが無くなって空っぽになった時、
神の智恵、神智に満たされて、自分自身を
大事にして、相手も大事にして、自分を赦し
相手も赦し愛してゆく時に、本当に朗らかに
なってゆく。
              (つづく)


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