宇宙(そら)は家

宇宙(そら)へ還ろう! 
五井先生は、両手を
広げて待って
いらっしゃいます。
(リンクフリー)

統一の仕方について

2012-10-02 07:53:20 | 祈り
 (問)統一についてですが、昔五井先生が、
ふんわりととテープでおっしゃっておられますが、
今、講師の先生方の中には、それだけでは
駄目だと、もっと、なんて言いますか…、自力
ではないんですが、もっと光を描いてというか、
そういう風に具体的に指示される方が結構
いらっしゃいますが、その辺はどうなんですか。


 (答)それは正論だとも言えるし、そうじゃ
ないと思う面もありますね。
 で、正論だと思うのは、大きな意味から言えば、
正論そのものなんですよね。何故かというと、
人間というのは光そのものなんですよ。
 ですから、自分が光そのものだ、神様の子供だ、
神様から来ている生命だということに気がついて、
そこへずっと本心に呼びかけてゆけば、何でも
出来るんです。人間というのは、全知全能の神の
流れを受けて生きているものですからね。

 ところが、色んな現実などにぶつかって
いったら、なかなか人間の神性を引っ張り
出すってことは出来ないんですよ。ですから、
南無阿弥陀仏がありアーメンがあり、私の
世界人類が平和でありますようにという祈りが
あって、消えてゆく姿がある訳なんです。
 私が生きている時には、全部引き受けますから
ふんわりしていらっしゃいっていうのは、それは
変わりないんですけれどもね。
 ただ人類が本当の意味で進化していく為には、
みんな本当に光輝く本心をもっているんだ
ということを、一人一人が強くどっかで感じて
信じていかないと、いくら私が本の中でいい事を
言っても、原稿に書いても、ああいい話だけど
私には出来ないなあと思ってしまうと、そこで
成長が止まるんですよ。そういうものが自分の
中にもあるんだなあ、光の粒が自分の中にも沢山
入っているんだなあ、神様というものがつまりに
つまっているんだなあ、自分は神様の場所
なんだなあと思うとですね、そこで〇〇〇〇や
〇〇〇〇という個人を越えて、神様の場所に
なって、その時働きの場所になる訳です。
 例えば、印を切ることであったり、書を書く
ことであったり、色んな事であったりする訳
なんだけど、それを通して光り輝いていって、
その光がまわりに満ちてくる、そういう事
なんですね。

 だから、講師の先生が言ってる、それだけ
じゃあ駄目なんだよというのは、自分の中に
そういう生命があるという事を気づかなければ
駄目なんだよという、そういう事でもあるんです。
 だから、言葉尻を捉えて、あれはおかしいん
じゃないのかなあ、あれは五井先生が昔
ああ言っておられたけどというのは、それは
そうでもあるし、今はそれだけでは足りなく
なって来ているというのも事実なんですよ。ただ、
それを、お前達はこうしなければ駄目なんだよ
という風なひびきで言ったとしたら、それは
間違いなんですよね。

 こうしなければ駄目っていうのは神様の世界
には無いんですよ。ただこうしていった方が
人類の進化にとって、一人一人の進化にとって、
人間の神性の進化にとって絶対に必要な事
なんですよと。つまり、愛念に満ちた言葉で
伝えていかないと、反発とか寂しさとか、自分は
とっても出来っこないとか思ってしまうのでね、
その辺の指導の仕方が非常に難しいですよね。
 その人個人に呼びかけながら、その人の幽体
霊体神体にまで呼びかけて、皆で協力して通す
ということは、神の所へ昇って行く道筋だから、
そこに何か不調和な想いが出たらそれだけ皆
苦しむ訳ですからね。その所で、祈り心を一つに
して、とに角、世界人類の中に自分の想いを
溶け込ませる。そうすると平和になっていく
訳ですから、そこの所に想いを集中して、その
想念を明るくしてやっていくこと、これが大事
なんじゃないですかね。


最新の画像もっと見る