移日々之事物

気になったこととかに関する戯言とか

2005-09-13 00:06:26 | Weblog
罪。

言葉で表すと一文字に過ぎないのに、とても重い意味を持つ言葉の一つですね。

人は生きている限り罪と無縁ではいられません。大なり小なり罪を自覚的にも無自覚的にも犯し、その中で生きていきます。

ある意味にとっては生きていくことは罪をつんでいくこととも言えるでしょう。

そして罪と同時に存在するのが罰です。同時というと正しくない気もしますが多少の語弊は勘弁を。

だが罰というものはどれほどの意味を持つのか疑問です。社会的には罪を裁くということで重要な位置を占めますが、人の心の問題としてはどれほどの意味があるのでしょうか。

結局のところ罰、というよりも贖いの気持ちというのは人の心の中に生じるものであり、肉体的拘束などを示す罰則は贖い足りえないと思えます。

要するに反省しない人間を叩いたところで結局は同じことをやるから無意味というのに近いですかね。だからといって別に今の裁判制度を否定したりするつもりはないですよ。

私が何を言いたいかというと、先に言ったように人は生きているかぎり罪をつんでいくのだから、そのことを自覚して存在していかなければならないということです。

まぁ常に罪の意識の中で生きていけるほど人は強くないでしょうが、生きるということにはそういった側面があり、罪を自覚し、時折でも生きる中で贖う気持ちを持っていくことが必要なんじゃないかな、と何とはなしに思ったしだいです。









いつでもこんなことを考えていたらどうにかなってしまいそうですがね。