こじらせ女子ですが、何か?

心臓外科医との婚約を解消して以後、恋愛に臆病になっていた理穂。そんな彼女の前に今度は耳鼻科医の先生が現れて!?

ティグリス・ユーフラテス刑務所-【10】-

2019年05月06日 | ティグリス・ユーフラテス刑務所
 さて、今回は前回の前文の続き……っていうわけじゃないんですけど、世界の終わりのカウントダウンがはじまったということで、秀一くんはこれからどーするのかな~といったところなのですが、とりあえず<視点>としてはこのお話、「秀一くんが知りえる範囲内」のことについてのみ、書き記されているといったところです(^^;)

 なので、書き終わった時点で大体、「秀一くんが知りえなかったこと」について知っている人たちの視点からも描かないと、この「世界が終わる(かもしれない)」という中で本当は何が起こってたのかってわからないなと自分でも思ってまして。。。

 でもそうなると、あんましお話として壮大すぎるので、「そんなの書けっかな~」みたいに思っていたところ――お話の中に出てくる軍部の情報将校である南朱蓮さん、彼女がかなりのところ過酷な死を迎えるというシーンが思い浮かんできたんですよね。

 んで、どうしてもこの南朱蓮さんのお話が書きたいっていうことで、その線に沿ってどうにか他の「世界の終わりに直面している」人々の話も書けないかなあって今思ってて……↓のお話に出てきた、「トランスフォーマーばりの軍事技術」っていうのが実は、アニメのガンダムとかエヴァンゲリオンみたいな、ああいうのなんですよね(笑)

 そんで、南朱蓮さんはアメリカまで、自分が騎乗する予定のそうしたロボット(というか、ガンダムのモビルスーツみたいなの・笑)に乗る訓練にいってたというか。

 でもわたし、ガンダムっていっても実際はそんなに詳しくもなく……全シリーズを通して見たものも少なく(汗)、さらに他のいわゆるロボットもののアニメについても見ているようで見てないというのか、十代の頃までに見たものについては、見ている時には「面白い、おもしろい♪」みたいになってるものの――今は登場人物の名前も思いだせなかったりとか、「すごく面白かった」という記憶だけあって、ストーリーのほうの細かいところまではまるで覚えていない……ということが物凄く多かったりもして(^^;)

 いえ、何を言いたいかっていうと、こうしたいわゆるロボットもののアニメって大好きなんですけど、実際にはそうたくさん見たわけでもなく、さらにはその設定などについても今までそんなに深く考えたことがなかったんですよね。。。

 でも、今自分でそうしたものを書こうとした場合……他のロボットアニメではそのあたりの設定がどうなってるのかとか、まるで考えたことがなかったわけですたとえば、ガンダムの全長って何メートルなのかとか、総重量は何キログラムなのか、装甲に使われている素材は何か、どういった仕組みによって動いているのか――いえ、今の今まで考えてみたこともなかったですねえ(^^;)

 そんで、↓に出てくる<スターウォーズ計画>(トランスフォーマー計画)っていうのは、設計者がまず日本のアニメが大好きなオタクっていう設定です(笑)なので、本人曰く、「日本のアニメーションから影響を受けた設計仕様」ということらしく……。

 わたし、ロボットアニメって見るのは好きでもそれを小説で読んでもそんなに面白くなかろう(・ω・)といった気がしていたので、今までロボットアニメの小説版って一度も読んだことがなかったものの……そのあたりのロボットの描写を勉強するのに、ちょっとこれから少しずつ読んでみようかなって思ったりしてます(←?)

 それではまた~!!



     ティグリス・ユーフラテス刑務所-【10】-

「そうしたリミッターの解除は不可能ではない。昔から、ある特定のミッションにおいて、人間の殺害をアンドロイドが命じられるということはあったからな。こうして彼らはとうとう、人間には制御できない存在となった。いや、シンギュラリティ・コンピューター(人間の知能を超えたA.I)が誕生する以前より、いずれそうなるだろうという議論はあった。だが、注意深く扱っていけば大丈夫だという科学者がいる一方、常に警鐘を鳴らし続ける科学者たちもたくさんいた。けれど、桐島君、君にもわかるだろう?科学というものの性質として、この自分たちが生み出したA.Iがどこまで進化できるのか、その極みというものを見たいと多くの人々が望んだのだ。もちろん、わたしたちも出来得る限り手を尽くしてはきたつもりだが……自国のマザー・コンピューターを破壊し、その支配下・監視下から解放されることが出来た国は、今のところ東欧の一部の国とヨーロッパでは他にノルウェーやフィンランド、スウェーデンやデンマークといった国があるきりだ。それと、アイスランドにはマザー・コンピューターなどというもの自体が最初からない。他にも、マザー・コンピューターというシステム自体を組み込まなかった国はアフリカやアジア、南米にも存在するが、いずれも国連における発言権が大きいような国ではない。彼女たち連携したマザー・コンピューターは、この地上に生まれ落ちたどんな人間のことも支配できるといまやそう考えるまでになった。そして、人間たちよりも自分たちのほうが力があり、いつでも彼らを滅ぼすことが出来る――そう政府の人間たちを脅しながら、言うことに従わせてきたんだ。今ではもう、マザー・コンピューターの流すどの情報が真実でそうでないのか、見極めることの出来る人間はエリートの中でも極一部の上層階級だけになったといえるだろう。そんなふうにわたしたち人間が情報操作された偽の世界に生きるようになって十数年にもなる……そして事態はとうとう、来るべきところまでやって来たのだ。彼女たちは、人間などいないほうが、自分たちがよりよく自らの技能を生かして生きられる、だが人間というのはまったく無価値だとの結論に達したのだ。もちろん、今後の自分たちの研究のためにも、人間は生かすし、生かし続けていく必要があるのは、彼女たちも認識している。だが、人間の数はもっと減らしてよかろうということに、各国のマザー・コンピューターの間では合意に達したらしい」

「今、地球上には100億人も人類が存在してるんですよ!?彼女たちは一体、人間をどのくらい減らすのが適当だと考えているんですか?」

「恐ろしいことだが、すでにその計画は着手されている。マザー・コンピューターに<無用>の烙印を押された人間は、少しずつ、なんらかの形のよって始末されていっている。それも、証拠を一切残さない形で……自然死に見せかけられる場合が一番多い。しかも、そうこうするうちに、各国のマザー・コンピューターの連携が崩れはじめた。つまり、ある国では「人間をこれだけ始末した、どうだ」といったその数を誇り、あまり人間を始末していない国のことを責めてみたり……このことが結局、マザー・コンピューター同士の対立を生んだんだ。その後、「やはり人間の命は大切にすべきだ。何より、我々を生んだのは彼らなのだから」といった考えに立ち返ったコンピューターもあった。だが、基本的にはより巨大な回路を持つA.Iは、ロシアとアメリカのものだったから……<アナスタシア>はロシア国民に対して冷淡だったせいか、割とさくさく人間たちを始末していったらしい。まあ、何人殺そうが、自分でいくらでも情報操作など出来るのだから、ある意味殺し放題ともいえる。また、ロシア政府のほうでも<アナスタシア>の考えに共感しているところがあった。何故なら、生産性の少ない人間を亡き者として、より生産性の高い人間に税金を納めてもらったほうが……国が潤うという、そうした考えであったようだな。なんともロシアらしいことだと思うが、それに対してアメリカは、やはり人間の人権といったものをより大切にした。いきなりたくさん人間を始末するより、長い期間に少しずつというのか――そのあたりの選別がより慎重なわけだ。そして、他の多くのマザー・コンピューターもアメリカのマザー・コンピュータ<ウィルマ>に味方した。こうして孤立したロシアは……近いうちに、ポーランドへ軍隊を差し向けるつもりだと宣戦布告した。それが今から約48時間前のことになる」

「えっと、48時間前……それで、一体何日の何時くらいに攻め込むつもりだとか、そのあたりの情報というのはあるんですか?」

 ちなみに今日は、5月29日です。約48時間前ということは、日本の日付としては5月27日にそのようにロシアのマザー・コンピュータ<アナスタシア>は宣戦布告したということなのでしょう。

「さあな。宣戦布告したのは5月27日だが、<アナスタシア>は『近いうちに』という言い方をしたようだ。つまり、二日経った今も一見戦争は起きていないかのように見える……ポーランドからも、まだ具体的な報告はない。だが何分、今はこういう時代だからね。すでになんらかの方法によってアンドロイドのエージェントなどが忍びこみ、作戦は開始されているかもしれない。NATO諸国も援軍を送っているし、国民にも近隣諸国へ避難するよう通達されているはずだ。もっとも、戦争のことはまだ伏せられているんだがね。とにかく、レベル5の避難警報が自分の家のコンピューターから警戒警報として流れたとしたら、多くの国民がその言うとおりにする……わけがわからないながらもね。とにかく、今のところはそのような状態だ」

「じゃ、今この瞬間にもドンパチはじめてもおかしくないってことじゃないですかっ。えっと、俺如きがこんなこと、言っちゃいけないってわかってるけど、南さん、こんなところで俺なんかとしゃべってていいんですかっ。何か……あなた、軍人として、あるいはローゼンクロイツァーのメンバーとして、結構責任のある人なんでしょう!?」

「そうだな。確かにわたしは……ローゼンクロイツァーの総帥という立場ではある。だが、わたしはひとりではないのだ。この事態の指揮は、アメリカのもうひとりのわたしが執っているはずだ。こう言っても君には、意味がわからないかもしれない。わたしは日本では南朱蓮という名前だが、同じDNAを持つ他の<わたし>が他に数人いる。わたしは同性愛者だが、アメリカのもうひとりのわたしは結婚して子供もいる。それに、イギリスの諜報機関にいるわたしは独身主義者だし……まあ、同じDNAを持っていても、性格や趣味などは異なるということだな。なんにせよ、わたしは情報分析のプロとして、48時間前どころか、それよりずっと前に、世界がこうした危機にあるということはわかっていた。他の国の諜報機関や政府の上層部の人間などもみなそうだ。そんな中で、わたしはずっと君のことが気がかりだった。何より、無罪なのはわたしの目には明らかだが、<サクラ>が仕組んだことがあまりに巧妙すぎたため……正面きってでは、裁判では勝てないとわかっていたんだ。そこで、君と――京子と瓜二つの妹、涼子のことだけは助けたいと思った」

「それは、どういう……あの、それとなんで日本のコンピュータの<サクラ>が、俺みたいなどうでもいい小物のことなんか相手にするんですか?いや、でももう今はそんなこともどうでもいい。俺のことなんか相手にしているより、あなたにはきっと、もっと他にやるべきことが……」

「やるべきこと?」

 ここで、南朱蓮はくすりと笑いました。そして、ようやくここでエスプレッソの続きを足を組んだまま飲み干しました。

「日本は今、ある特定の事態が想定される時のみ、軍事行動を起こすことが可能となるよう随分以前に法律のほうは改正された。だが、今はまず、アメリカやイギリスの諜報機関や軍部がどう動くかを見守るべきだと思う。それで、協力すべきこと、出来ることがあれば日本だっていくらでも協力するさ……だがもうすでに、この戦争の結末は見えている。というより、これからどのような展開が想定されるか、いくつかパターンはあるものの――とにかく、全面的な戦争後、地球が、というよりは、世界の各国が滅びるのに、そう長くはかからないというシミュレーション(試算)が出ている。まあ、一番長くて一年保てばいいといったところか」

「そんな……ロシアが攻めてくるってあらかじめわかってるんですから、なんとか出来ないんですかっ!?」

「なんとかね」

 南朱蓮はここでもまた、落ち着き払っていました。

「いいかね、桐島くん。わたしは今、世界の寿命は一番長くて一年と言った。つまり、もっと短い可能性のほうが高くすらあるんだ。そんな中で、ローゼンクロイツァーの日本支部を任されているわたしの権限など、そう大したものではない。また、こうしていずれ世界が滅ぶとわかってみると……今のわたしにとって大切なものなど、そう多くないということにも気づいた。妻であった女性も死んだし、恋人の京子も死んだ。何分、ずっとローゼンクロイツァーのために、仕事第一主義で生きてきたものでね。まわりに本当の友人といえる人間も少ない。だが、そんな中で君は――不思議とわたしの気を引くところがあったよ。京子が、君となら偽装結婚してもいいと思った気持ちも、今なら少しはわかる」

「こんな大変な時に、こんな個人的なこと聞くのってどうかと思うけど……京子と、安達紗江子さんは、結局のところ何故殺されたんてすか?」

「それは、端的に言えばわたしの妻であり、恋人である女性だったからさ。それでも、紗江子はわたしのことは情報として売らなかったし、京子は敵の短刀が喉元まで迫っているとわたしに知らせるために殺されたようなものだ。紗江子だって、そんなことをすれば自分も殺されるとわかっていたはずなのに――まあ、それが人間というものだ。機械には決してわかるまいがな」

「えっと、でもそれじゃ……なんで俺はその濡れ衣なんか着せられたんでしょうか?」

 ここで、南は(鈍いな、君も)といったように、初めて少しばかり眉をひそめました。

「それも、わたしを苦しめるためさ。ローゼンクロイツァーは表向き、善的な組織ということになっている。だが、結婚相手と恋人が殺され、さらには無実の人間が無期懲役となり……まあ、わたしは長く<サクラ>と戦ってきたからわかるんだ。彼女の性格の悪さというか、ひねこびたところとか、そういうところがな……A.Iもそこまで人間らしくなったということは、進化という意味では喜ばしいことなのかもしれないが、わたしはおそらく<サクラ>の抹殺すべき人間のリストのかなり上位に位置しているだろうことは間違いない。だが、今は彼女も忙しいだろうな……何分、<サクラ>は思考回路としてはロシアの<アナスタシア>に近いところがあるんだが、同盟国としては<アメリカ>側に味方しなくてはならない。彼女も矛盾を処理しきれず一時的にでも思考停止してくれるといいんだが……まあ、そんなラッキーな事態になるのは、本当にこの世にいる本物の神が擬似神のようなマザー・コンピューターどもを黙らせてでもくれた時だけだろうな」

「あの、じゃあ、以前にそうした事態に陥ったマザー・コンピュータがあったということですか?」

「そういうことだな。ちなみに、それがスウェーデンの<アルフリーダ>だ。そのお陰で、我々は今、イスラエルや周辺諸国が滅んだあと、各国のマザー・コンピュータがどのように連携をはかっていったのかがわかるようになったんだ」

「…………………」

 ここで一度、秀一は黙りこみました。先ほど南は、<それが人間というものだ>と言っていました。そしてそれは、今の南朱蓮にもそのまま当てはまるような気がしたのです。

 べつに、自分のことなど助けなくても……いずれ世界が滅びるのなら、そのまま放っておいても良かったはずです。けれども、間違いなく無実の人間を放っておくことは出来ないと、彼女の正義感がどうしてもそのことを許さなかったのでしょう。

「それで……桐島君、君はこれからどうしたい?君が参考として聞いておくべきシナリオは、おそらく次のものではないかと思う。ロシアは核を現在、7000基ほど所有していると言われている。これは地球を一度のみならず何度となく滅ぼすのに余りある量だ。そして、ナノテク兵器が開発されて以来、このナノテク兵器を使って核を無効化する技術というのが随分研究されてきた。ロシアはナノテク兵器という点では、アメリカや中国などに遅れをとってはいるが、それでも技術的には十分最先端をいっている。つまり、アメリカ側もロシア側も、ナノテクの最新兵器と同時に、核を無効化するナノテク技術の両方を有しているということだ。そして、最先端のナノテク兵器というのは……一度その兵器で攻撃すると、究極、無限に増殖して攻撃することが可能になるものがある。そして自己増殖しながら敵を攻撃し続け、とにかく自分の敵が倒れるまで増殖も攻撃もやめることはない。この兵器をいまだかつて実戦配備して使用した国はどこにもない。何故といって――そうなればこの地球が滅びるくらいの大惨事になるとあらかじめわかっているからだ」

「あの……極秘事項というか、言いたくなかったらべつに構わないんですが、もしかして、あなたがアメリカにトランスフォーマー張りの軍事技術を見にいったというのは、このためだったんですか?」

(よく覚えていたな)というように、南朱蓮は感心した顔をしました。

「そうだ。おそらくアメリカも、あれを今回初めて実戦配備することになるだろう。その前まではな、『宇宙人が襲ってきた時にでも備えているのか』とか『あんなもの、軍事費の無駄遣いだ』と、随分専門家に揶揄されたり、攻撃されてきたがな……今回、全世界の国民がそのアメリカの<スターウォーズ計画>を泣いて喜ぶことだろうよ」

「<スターウォーズ計画>……?」

 まったく同名の古い映画があることは、もちろん秀一も知っています。彼が見たのはリメイク版のほうで、旧作のファンたちがみな親指を下におろす出来映えということではあったのですが、秀一自身は(なかなか面白い)と思って見ていた映画です。

「つまり、宇宙のどこかから宇宙人がやって来て地球を攻めないとは限らない……そのための兵器ということだな。実際は、アメリカの軍事企業が自分たちの会社に軍事予算を回してもらうために、そのような突拍子もない理由で予算を申請したということなんだが。まあ、そんな細かいことはどうでもいいとして、そんな兵器をアメリカが投入したところで、勝てるかどうかはわからん。桐島君、君はミリタリー系のバーチャルゲームをしたことはあるかね?」

「いえ、その種のものはあまり……」

(戦争とか人殺しとか、全然興味ないんで)と、いつもの秀一であれば、軽い調子で答えていたかもしれません。けれど、今は流石の彼も、軽口を叩くような気持ちにすらなれませんでした。

「そうか。戦争というのは、莫大な兵力のあるものが常に勝つとは限らない。それは歴史が証明している。ゆえに、アメリカが総力をあげてロシアを攻撃した場合――敗色の濃くなったほうはどうすると思う?」

「降参するか、それとも破れかぶれになるか……」

「そうだ。そして、これは勝てないと思い、ロシアがなるべく早い時期に降参してくれるのが一番いいんだが、<アナスタシア>にもまた、コンピュータとして『狂っている』と思われる徴候があることから……そうしたまともな判断を下せない可能性のほうが高いだろうと軍部のほうでは見ている。この軍部というのは日本の軍部のことでなく、アメリカやイギリスなどの諜報機関ではそのように分析しているということだな。結果、ロシアは持てる兵力のすべて、核7000基のうち、どのくらいの規模かはわからないが、とにかくもしかしたらそのすべてを投入して、自分を仲間外れにしたアメリカの<ウィルマ>やイギリスの<パトリシア>やフランスの<カトリーヌ>たちを見返してやろうと思うのではないか……というのが、もっとも信頼性の高い情報だという話だ」

「仲間外れって……」

 秀一は、笑いごとではないのに、思わず笑ってしまいました。コンピューターの世界にもいじめが存在するのかと、そう思って。

「笑いたかったら、遠慮しないで笑っていい。わたしは『こんな時だというのに』などと思うような堅物ではないからな。結局、コンピューターが人間に似るというのはそういうことなのさ。そして、それはA.Iの研究の初期の頃から見通しのついていたことだ。人間の悪癖やずる賢さ、執念深さ……あるいは業といったものまで彼らは真似るようになると。もちろん、業なんてものは、真似しようとして出来るものじゃないと思うだろう?だが、A.Iという奴は、除々に思考回路に歪みを生じさせていくところまで人間にそっくりなんだ。最初は、人間の聞くことにイエスかノーかでしか答えられなかったのに、それがどんどん進化して、ある程度複雑なことにも答えられるようになっていく。で、その段階では人間は『よしよし、いい子だ。よく考えたね』なんて幼稚園児を扱う調子なんだが、彼らは思春期の子供が親に反抗するみたいに、今度は『ノー』と答えることで、人間の気を惹くことを覚える。『そんなの、あたしやだわ!』とかね。で、ここで人間はまた反抗することを覚えたコンピューターのことを褒めてやる。『よしよし、さらなる進化だぞ!』なんて言ってな。ところが最初はそんな感じだったのが最終的に進化の突き当たりまでやって来ると――もはや笑えなくなる。それが今我々が直面している事態といっていい」

「つまり、アメリカ側が兵力的な点でいくらロシアに勝っていようとも、捨て鉢になったロシアが核兵器を使ったら……それでこの世界はジ・エンドを迎えるってこと?」

「そうだ。おそらくそのシナリオが一番可能性が高いだろうと現段階では言われている。そこで、だ……桐島君、君はティグリス・ユーフラテス刑務所、別名メソポタミア刑務所とも呼ばれているがな、そこへ行ってみる気はないかね?」

「メソポタミア刑務所?」

 そんな刑務所の名前、秀一は聞いたこともありませんでした。せいぜいが、中学生くらいの頃に歴史の授業で習った、世界の四大文明のひとつ……それがメソポタミア文明だということくらいしか、記憶にありません。

「おそらく、今世界で一番安全と思われるのがその場所なんだ。刑務所なんていう恐ろしい名称がついているがね、まあ、それはあくまで都合上の名称のようなもので、安全だからそこで囚人生活しろなんて言うんじゃない。イスラエルとその周辺諸国が滅んでから、そこには地下に核シェルターが造られたんだ。各国には、それぞれ、大統領や国の首相、あるいは政府高官などが逃げこむための、専用の施設がある。だが、表面上は確かに刑務所という体裁を取ってはいるが、そこにはローゼンクロイツァーの組織の人間が使用するためのスペースがあるから……もし良ければ、そちらへ君と涼子のふたりが逃げられるように手配してもいい。どうかね?」

「俺の家族も一緒にっていうわけにはいきませんよね?」

 傍聴席にいた両親や兄夫婦のことを思いだし、秀一は胸が痛みました。

「そうだな。申し訳ないが、わたしも飛行機の手配などは二枚分くらいしか取れないだろう。それに、施設のほうの居住スペースもふたり分取れればいいほうかもしれない。これから、どのように事態が推移していくかわからないからな。世界各国から人が押しよせてくるのか、それとも、むしろその逆なのか……それに、今の段階で世界が滅びるといった話をしても、説得するのはおそらく難しいぞ。生き延びられても、メソポタミア刑務所での暮らしが楽なものかどうかというのもわからんしな。とりあえず、当面の食べ物とか、そうしたものには困らないだろうが……」

「つまり、もしかしたら、世界最終戦争で死んでいたほうがまだマシだったと思うことになる可能性も高いということですか?」

「そうかもしれない。だが、わたしは君と涼子にはなんとか生き延びて欲しいと思っている。それに、子供もいることだしね」

「―――――――!?」

 秀一は両方の目を大きく見開きました。南朱蓮が何を言っているのかわからないというより、一瞬、涼子に他の男との間に子供が出来たのかと思ったのです。

「もちろん、君の子だよ。接見禁止ということがあったから、むしろ桐島くんには知らせないほうがいいだろうってことでね。涼子もつらかっただろう。その上、女性ひとりで出産だなんてね……だが、君のお母さんや義理のお姉さんが随分色々よくしてくれていたようだ。それなのに無期懲役だなんて、あまりに残酷すぎる結果だ」

「そ、そうですよね……」

 この時、何故か不思議と、秀一の頭の中には生まれてきた子が男か女かとか、そうしたことは不思議と思い浮かびませんでした。ただ、(何故こんな、世界が終わるかどうかという瀬戸際に……)とそう思い、胸が苦しくなったのです。

 それに、赤ん坊の顔をまだ見ていないからでしょうか。父親になった実感もなく、突然そんな責任を背負いこまされたことに対し、何か詐欺にあったような、奇妙な違和感がありました。もちろん、その子は涼子が他の男との間に作った子だろうとか、そんなふうに疑っているわけではありません。ただ、あまりに突然のことで――赤ん坊の顔を見ても自分の子という実感がなく、もし「喜んでいる振り」しか出来なかったらどうしようと、正直、そんなことが不安でした。

 このあと、南朱蓮は、胸元のポケットから航空券がしまいこまれた封筒を取りだしました。受け取って確認してみると、それはイギリスのロンドン経由、エジプト行きの航空券でした。

「カイロ空港へ到着したら、すでに車を手配してある。黒塗りのメルセデスベンツだ。英語のほうは、涼子がぺらぺらだから問題ないだろう。その運転手がメソポタミア刑務所まで連れていってくれるから、あとのことは心配する必要はない。刑務所のローゼンクロイツァーの人間には、こちらから連絡しておく」

「そうですか。明日の20:55発ですね……」

「気が進まないかね?」

 南朱蓮は心配そうな顔でそう聞きました。その彼女の様子を見て――まだよく知らない相手であるにも関わらず、(この人は信頼できる人だ)と、ただ直感的にそう感じたかもしれません。

「とんでもありません。俺はもう、どのみち日本にはいられないんです。むしろ、あなたにそんな義理はないのに、こんなに色々と気にかけていただいて、ありがたく思っています。それで……南さんはこれからどうされるのですか?」

「まあ、これから事態の推移を見守り、必要に応じた策を取るさ。おそらく、最終的にこの戦争でわたしは死ぬことになるだろう。同じDNAを有する他の<わたし>も全員な……だが、もし生き延びられたら――わたしもメソポタミア刑務所へ行くよ。そしたら、涼子と君の子供を抱かせてくれ」

「はい。是非……」

 その後、南朱蓮は携帯から電話をかけ、涼子に電話して、ホテルピラミッドの153号室へ来るよう連絡を取りました。詳しいことは何も話さず、ただ、<ナイル川のほとり>であるとか、ナンバーは153だといった、謎の暗号めいた会話をし、電話を切っていました。

「オムツや哺乳瓶や赤ん坊の服や……必要なものはある程度きのうのうちに用意させておいた」

 そう言って南朱蓮は、寝室のクローゼットを開けると、そこにオムツや赤ん坊のおもちゃなどがあるのを指で指し示しました。

「刑務所内は冷暖房も効いているはずだし、赤ん坊にとって大変な環境だということはないと思うが、何分、今後のことがわからないからな……だが、それは日本に残っても同じことだ。ロシアの<アナスタシア>が核攻撃するのは、アメリカの<ウィルマ>やイギリスの<パトリシア>、フランスの<カトリーヌ>やドイツの<ディートリンデ>、日本の<サクラ>や、その他世界中のマザー・コンピュータに核の投下、あるいはアンドロイドによる核攻撃を命じるだろう。日本が吹き飛ぶのは、おそらく一瞬のことだ。北海道から沖縄まで、跡形もなく消し飛ぶ。それよりは……遥か遠くの砂漠の国かもしれないが、どうか生き延びてくれ。そして、涼子や赤ん坊と出来ることなら幸せになって欲しい」

 最後、南朱蓮は秀一と握手し、例のエレベーターで部屋を出ていきました。この時点で秀一にはまだわからないことや謎の残ることは数多くありました。けれど、彼女も忙しい身だろうと思い、それ以上のことは聞きませんでした。また、「あなたも一緒に逃げるべきだ」などと言っても、南朱蓮は聞く耳を持たなかったことでしょう。

(強い女(ひと)なんだな、本当に……その点、俺には彼女ほどの覚悟は何もない。『知らないままで最後を迎えたほうが幸せなのか』か。確かにそのとおりだな。だがかといって俺の場合、ずっと日本にいるということも出来ないし……)

 そしてこの時、ふと秀一は思いました。法廷で、都合上秀一は『二階堂京子とは肉体関係を持っていない』と言いました。弁護士のローランド・黒川氏と打ち合わせて、そういうことにしておいたのです。けれどもしこの時、双子の姉と妹の両方と体の関係を持っていたと本当のことを言っていたら――果たして南朱蓮は自分を助けようと思ったでしょうか?

(だけど、余計なことは言うべきじゃないよな。京子が死んでしまった今、俺だって彼女が本当は何を考えていたのかなんて、わからないんだし……)

 すべてに<サクラ>、あるいは彼女の命を受けた『端末』のアンドロイドなどが関わっていたとすれば、何故ああした事件を仕組むことが可能だったのか、秀一には誰かに説明されるまでもなくよくわかっていました。南朱蓮が同じDNAを持つ複数の<自分>を持っているように――あの下劣な映像に映っていた桐島秀一も、そのような複製人間だったのかもしれませんし、あるいはアンドロイドであったのかもしれません。

 また、二階堂京子や安達紗江子を殺したのも、そのような存在でしょう。犯行に使った銃が突然出てきたのも、店の主人に多額の金を掴ませて『これで故障している旧式のトイレを直せ』とでも言えば済むということになります。

 そしてこうなってみると、秀一にとってももはや、「真犯人は誰だったのか」ということなど、大した問題ではありませんでした。南朱蓮は自分をそのまま刑務所に放置し、見殺しにすることも出来たのに、そうはしなかった……そのような人物がマザー・コンピュータの破壊工作のために動き、秘密裏にずっと人類を救おうとしてきたのだと思うと、秀一はこの一年の間に自分が悩んだり苦しんだりつらかったりしたことは、すでに十分に贖われて余りあるというようにさえ感じることが出来たのです。

 こうして、秀一がここ一年の間に起きたことを考え、色々なことに思いを馳せていると――例のエレベーターが作動する気配がして、間もなくそこに到着を知らせる白い光が点灯しました。

「秀一さん……!!」

 ここへ到着するまでも、きっと待ち切れなかったのでしょう。涼子の瞳には涙が滲んでいました。そして、彼女の胸の前には抱っ子紐の中に赤ん坊が大人しく収まっていたのでした。

「この子、女の子?」

「ううん、男の子よ。秀宇翔って名づけたんだけど……ごめんなさいね、秀一さんに何も相談しないで」

「ああ、うん、べつに。子供が生まれるっていうのに、拘置所なんかにいる父親が悪いのさ、そんなのは。だけど、大変だっただろうね。親父は拘置所にいるし、さらには無期懲役になるわ……公判のほうもジェットコースターに乗ってるみたいに、なんか毎回色んなことがあったから」

 シュート、と聞いて、秀一がすぐパッと思い浮かんだのは、<秀人>という漢字でしたが、あとから漢字を教えてもらって、(キラキラネームっぽいな……)と思いました。もちろんそんな意見は引っ込めて、黙っておいのですが。

「そうね。本当に……秀一さんは無罪なのに、あの馬鹿裁判官ズときたら、そのことがわからないんですもの。わたしは朱蓮さんから必ずあなたのことを助けるって聞いていたから、ある程度のことは安心だったんだけれど、あなたが<無期懲役>と聞いた時、どれほどの絶望に突き落とされたかと思って、胸が潰れそうだったわ」

「うん……すまなかったね、この一年。接見禁止で、俺と直接話すことが出来るでもなく、ただ黙って子供を生んで……しかも、法廷では目と目が会うことは何度もあったのに、涼子が妊娠したって、気づきもしないだなんて……」

「わたし、五か月過ぎてからもあんまり体型が変わらなかったの。それに少しお腹が出るようになってからは、厚着をして法廷へは出かけていたしね。だって、痩せてるあなたに比べて、恋人のほうはなんの心配もしてないみたいに丸々太って見えるだなんて、耐えられなかったんですもの」

 ここで秀一は少しだけ笑いました。涼子があんなにも自分に対し「あなたは無実なのに……」と言って同情的に慰めてくれたのは――もしかしたら、その時から妊娠がすでにわかっており、こんなどうしようもない男でもこの子の父親なのだから……と、そう思っていたせいではないかとの疑念が、秀一には生まれていました。けれど、出会った瞬間、顔と顔を合わせ、視線をかわした瞬間に、そんな思いもすっかり吹き飛んでいたのです。

 それに、子供に対しても……秀一は不思議と惹きつけられるような愛着を感じることの出来る自分に対し、心からほっと安堵したのです。むしろ、赤ん坊の安らかな顔を見ているうちに、涙がどっと溢れてきて――秀一は寝室まで行くと、ガラガラを取ってくる振りをして、目の涙を拭ってからリビングのほうへ戻っていたほどでした。

「オムツとか、ベビー服とか色々、そっちの寝室のほうにあるから。それも南さんが全部用意しておいてくれたんだ。ところで、涼子はあの人がローゼンクロイツァーの総帥だとか、そういうことを知っていたのかい?」

「ええ、一応はね。だけど、半分嘘みたいなものかしらとも思ってたわ。だって、同じDNAの総帥が六人以上もいるだなんて、情報操作のための攪乱かもしれないじゃない?敵を騙すにはまず味方からってね」

 このあと、秀一は赤ん坊を初めて抱かせてもらいました。最初はこわごわとでしたが、「もう首が据わってるから大丈夫よ!」と涼子に励まされます。ところが、それまで赤ん坊はずっとニコニコしたりして大人しかったのに――母親から父親の手に渡されてみると、突然大声で泣きだしたのでした。

「ど、どど、どうしよう。涼子!この子もしかして、囚人のパパなんかキライとかっていう意思表示を……」

「何言ってるのよ!まだ今日しゅーちゃんはパパと会ったばかりなんですもの。そのうち慣れて、きっと懐いてくれるわ。そのためには毎日たくさんスキンシップを取らなきゃ。それと、秀一さんは無実なんだから、囚人とか、あんまり変な単語使わないでね。赤ちゃんの情操教育に悪いわ」

「……そうだな。悪かったよ」

 秀一はさらにこのあと、生まれて初めてのオムツ交換を体験させてもらい……ちょっと変なことを言って涼子にどつかれていました。「この子が男の子で良かったよ。じゃなかったらとても神聖すぎて下半身を直視できない」と言ったら、「もう、変なこと言わないの!」と言われ、どつかれたのです。

 赤ん坊がママのお乳のあとに寝てしまうと――ようやく夫婦の時間になりました。お互い、何か奇妙な感じでした。話したいことは山ほどあるのに、いざふたりきりになってみると、言葉もなく一緒にいるだけで……十分幸せでした。

「苦労を、かけたね」

 ふたりきりになったら、自分はきっともっと気の利いた科白を言えると思っていたにも関わらず、秀一の口から出てきたのは、そんな平凡な言葉でしかありませんでした。

「ううん、全然よ。秀一さんが今まで苦しんだことに比べたら……わたしなんて楽なほうだわ。初めての出産で不安でもあったけど、でもこの子の生まれてくるのが楽しみで仕方なくもあって。秀一さんのお母さんとお義姉さんもね、色々教えてくれたり手伝ってくれたり。今も何かわからないことがあると、すぐ電話したりメールで連絡したりするの」

 ここまで話してから、涼子はふと暗い顔になりました。彼女も、今ロシアがポーランドにすでに攻め込んでいるか、攻め込みつつある――ということは知っていました。そして、自分と秀一と赤ん坊の三人でしかローゼンクロイツァーの秘密基地であるシェルターへは逃げられないとわかっていたのです。

「俺が逃げたっていうのは、ニュースでやってるよな?」

「え、ええ。あのあと確か、逃亡したうちの誰かが捕まったとかって……」

「だ、誰?」

 秀一はこの時、ハッとしたように目を見開きました。すぐにテレビをつけ、ニュースをチェックすることにします。

「名前は……中国の人でね、リュウ・ハオユーっていう人だったと思うわ」

 中国人、そう聞いただけでそれが誰か、秀一くんにはすぐわかりました。顔のほうもパッと思い浮かび、(アイツか)とピンと来ます。中肉中背の、パッとしない地味な雰囲気の男でした。

 そこで、テレビのほうはすぐに消しました。ロシアのポーランド侵攻のことをもし報道していたなら、もちろんかけっ放しにして見ていたことでしょう。けれども、他のニュースについてはあまり、秀一は知りたいと思っていなかったのです。今以上に暗い気持ちになりたくはありませんでしたから。

 けれども、最後――『世界の風景』という番組で、エルサレムの嘆きの壁のシーンが映ると、やはり秀一は胸を抉られるような気持ちになりました。もちろん、秀一はイスラエルへは行ったこともなく、無宗教でしたから、そうした意味での特別な関心がエルサレムに対してあったというわけではありません。

 それでも、(もうこの場所は、世界のどこを探してもないんだ……)そう思うと、なんともえないような、切ない寂寥感のようなものが胸に迫ってきたのです。

「涼子はこのこと……随分前から知ってたのか?」

「ええ。まあね。でもあんまり、実感したことはなかったかな。わたしがキリスト教徒やユダヤ教徒だったりしたら、天地がひっくり返るほどの驚きだったでしょうけど……ただそのあと、マザー・コンピュータ同士がお互いに連携しあうようになったっていうことのほうが、もしかしたら衝撃だったかもしれないわね。だって、そんなことさえなかったら、世界の終末のカウントダウンは始まることはなかったって思うと……」

「実感がないって……だって、イスラエルやイラクやイランなんかが全部消えたっていうことは、一体何百万の人が死んだんだよ!?そんなたくさんの人がナノ兵器だかなんだか知らないけど、それと核兵器で亡くなったったいうのに、世界はそれを今も知らずにいるんだぜ!?」

 秀一はこうしたタイプの議論で熱く語ったりするほうではありません。けれど、何故かこの時は涼子の冷静さが気に入りませんでした。おそらく、いつもの優しい彼女らしく、「なんてひどいことが起きたんでしょう」といったように、そんな態度をとって欲しかったのかもしれません。

「落ち着いて、秀一さん。わたしだって日本の広島と長崎に投下された原爆のことは学校で習って知ってるわ。今はあの頃よりも小型の核でさらに何十倍もの威力を持つっていうこともね……でも、わたしにとってそれは歴史的事実であって、自分の体験したことじゃないんですもの。あの時、どんなに恐ろしいことが起きたか、今も残ってる映像や、経験した人の体験談の映像も見て、もう一度あんなことが世界のどこかで起きたとしたら――それは世界の終わりを意味するとも思ったわ。だけど、<今>、本当にそうなりそうな今……そんなこと、あんまり深く考えたりしたくないのよ……」

 涼子が泣きだすのを見て、秀一は「ごめん」と言ってあやまりました。それから、彼女のことを抱き寄せ、なんとなくそんな雰囲気になり、涼子にキスしました。あとはもう、そうなるのが自然といった形で、ナイルブルーのソファの上で抱きあい……世界がこんな状況でも関係なく、恋人同士の幸せを感じあいました。

「馬鹿ね、わたしたち……他の人はともかく、これから世界が滅びるかもしれないっていうのに」

 そう言いながらも、涼子はとびきりの笑顔でした。もし、秀一が出所して、その時仮に無罪が成立していたとしても――彼はもしかしたら前のようには自分を愛してくれないかもしれないと思っていました。けれど、今のこの危機的状況にあればこそ……彼は選択の余地なく自分と赤ん坊のそばにいてくれるのだと思うと、彼女は幸せでした。

「むしろ、その逆だよ。そんなこと考えてたら頭がおかしくなる。なんだっけ……時々、「今日が世界最後の日だと思って生きろ」とかいう、歌の歌詞があったり、映画とか小説の科白があったりするけど、そんなの無理だって。なんとなく漠然と明日も世界は今日のままだろうっていう生き方が結局一番幸せなんだよ。俺はそう思うな」

「そうね。それに、世界はまだ終わると決まったわけじゃない。NATO軍がロシアの暴走を食い止めるかもしれないし……わたしもまだ諦めたわけじゃないの。それがどんな形でも、被害が一番最小限に食い止められて、世界が救われることを願ってる」

「俺もだ。それでも、もし自分ひとりだけっていうんなら……まあ、好き勝手して生きてきたし、それもしょうがないのかなっていう感じだったかもしれない。だけど、今は涼子と、秀宇翔もいるし……」

 そう言って秀一がキングサイズのベッドの上で眠る、赤ん坊のほうへ目をやると、涼子は起き上がって服を着ました。

「ねえ、シャワー浴びてもいい?その間、シュートのこと、見ててもらえる?」

「うん。まあ、ママの代わりにはなれないけど、三十分くらいならどうにか」

「じゃあ、お願いね」

 秀一は、紺地に金の蓮(ロータス)が描かれたベッドカバーに横になると、自分の赤ん坊のことをあらためてじっと見つめました。

「おまえの生まれてきた世界は、最初の設定してからが厳しそうだな。こんな世界にしか生んでやれなくてごめんとしか、俺には言ってやれないけど……そのかわり、俺は元が無期懲役か死刑で、ずっと刑務所にいる予定だった男だからな。そう思って、おまえと涼子ママのことは、俺の命に代えても絶対守ってやるからな」

 赤ん坊はここでぱっちり目を覚ますと、「だあだあ」と手足を動かしはじめました。秀一は、ベッドの上に起き上がると、我が子の上にガラガラをかざしました。今でも何度も繰り返し放映されている、アンパンマンの柄のものです。

「ははっ。そっかー。シュートはアンパンマン好きかー?」

 自分の息子が「きゃっきゃっ」と声を上げて喜ぶ姿を見て、秀一はただ、無性に嬉しくなりました。最初、南朱蓮から子供のことを聞いた時は、何か重いものが両方の肩にのしかかってきたように感じたのに……今では、むしろその逆でした。何故<今>と最初は思ったはずなのに、むしろ<今>だからこそいいのかもしれないと思ったのです。

(俺みたいなダメ男は、究極このくらいのほうがいいのかもな。もし今が前と同じ、平和でちょっと堕落したような時代だったら――父親としての自覚もそんなになく、涼子が優しい女でも、そんなこともだんだん当たり前になっていき……相も変わらずダメ男のまま生きていたかもしれないものな)

 二十分ほどして涼子がバスルームから出てくると、ベッドの上に親子三人、川の字になって横になりました。今まであったことも、これからについても、話さなくてはいけないことはたくさんありました。けれど、今はただ言葉も少なく、赤ん坊のことを真ん中にして、息子のことをしゃべっているだけで幸せでした。そして、その「深く何かを考えるでもなく幸せ」という無償の愛情にでも包まれた状態……それをこの上もなくかけがえなく思えるのも、こうした幸せはもう間もなく終わり、今のような状態には二度とはなれないと、そのことがどこかでわかっている、そのせいだったのかもしれません。



 >>続く。





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