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こじらせ女子ですが、何か?

心臓外科医との婚約を解消して以後、恋愛に臆病になっていた理穂。そんな彼女の前に今度は耳鼻科医の先生が現れて!?

ティグリス・ユーフラテス刑務所-【16】-

2019年06月05日 | ティグリス・ユーフラテス刑務所


 ええと、今回は少しばかり言い訳事項が……前回だったか前々回だったか忘れてしまいましたが(ヲイ!!)、例のシュメール文明の遺跡らしき場所なんですけど、このあたりの描写については、わたしものっっそテキトーに書きましたww

 いえ、書いてる時には「連載をはじめたら、この回に間に合うようにシュメール文化の本でも読めばいいや」とか思ってたのですが、結局そんなこともなくこの回を迎えてしまったわけです(殴☆)。

 ただ、前にシュメール文明についてネットで検索した時に――すんごいびっくりしたことがあったんですよ(ちなみに、この小説を書きはじめるずっと前の話^^;)。

 そのですね、昔から「シュメール人は宇宙人だった!?」とか、「エジプトのピラミッドは宇宙人の指示によって建てられた!?」的な、「信じるか信じないかはあなたは次第」系のお話があるわけですけど……わたし、そのあたりのことを昔から調べてみたかったので、今回いい機会なので調べてみようと思いつつ――現在、例によって読まなきゃいけない本が増えてしまったことで、結局まるっきり手が回らなかったと言いますか(@_@;)。

 そんでもって、↓の展開については、かなりのところ首を傾げられる方もおられるかもしれませんが(汗)、このあたりの大体の展開については旧約聖書の創世記や出エジプト記などの模倣(なんて書くのもおこがましい^^;)のようになっています。

 この物語の中で世界が滅んだというか、かつて隆盛を極めた人間の文明が後退をはじめたのが大体2130年くらいなんでしょうか。それで、これも前回だったか前々回、ジェームスかアルディだったかが、「かつてアインシュタインは言った。第三次世界大戦が起きたとすれば、その次の戦争で人間は石と棍棒で戦っているだろう、と……」みたいに言ってたわけですけど、大体今回の戦争で人類は一からその歩みをはじめなくてはならなくなった――というわけで、秀一と涼子はアダムとイヴよろしくエデンという町(村)に住むことになり……といったここから先は、大枠で旧約聖書と一緒だと思います

 う゛~ん秀一くんと涼子ちゃんはアダムとイヴというより、アブラハムとサラに近いかもしれませんが、ここから先に出てくる秀宇翔くんのお嫁さん選びなども、アブラハムの息子のイサクがリべカさんという奥さんを得るのとストーリーの流れとしては大体一緒と言いますか(^^;)

 ただ、そのような人類の「やり直し」が次はうまくいくとも思えないとはいえ……結局のところ、秀一くんと涼子さんはそこまでのことを知ることは出来ずに亡くなるのでしょうし、もしあのまま世界最終戦争が起こらなかったとしても、このあたりは一緒だったのではないかという気がします。

 なんていうか、大体これからわたしが老人になって、仮に100歳になって死のうかという頃……あなたの脳をまったく新しい体に移植すれば長生きできますよ、と言われても、たぶんわたし自身はそのまま安楽死することを選ぶでしょうし、人類がすでに宇宙へ行くのが普通になってても――たとえば、大体100万円も出せば火星までの旅行が可能だとか、そんなふうになっていても――わたし自身は正直、火星になんて大して用はないのです(夢のないやつですみません^^;)

 ただ、その頃もあるだろうインスタとかその種のもので、誰かが「火星にとうちゃーっく!!トゥッス!!」とか書いてる記事の動く写真や映像でも見れれば十分満足するような気がします。。。

 そのですね……たとえて言うなら、旧約聖書に書かれたキリスト(メシア)がやって来ることを、「そのような方がいずれ来られる」と預言した預言者たちが、その方の到来自体を見ることは出来ないまま死んだように――人類の歴史というものはある一定の期間以上については、誰しもがそれ以上知ることは出来ないわけです。

 ただし、宗教というのはわたしたちに、「死後はそのことが可能になる」と教えるわけですよね、面白いことに(笑)

 死んで肉体がなくなったあとでなら、宇宙のはじまりが本当はどんなだったかを知ることが出来、歴史上にあった色々な事件で謎が残っていることについても、それが本当はどういうことだったのか、知ることが出来る……また、そうした肉体から解放された第三の場所とも言うべき「天国」、あるいは「天国のような場所」に自分にとって大切な人であるAさんもBさんもいるに違いない――と思えることは、今生きている多くの人々にとって大きな慰めと希望になることでもありますよね。。。

 ↓のお話の中で、世界が終わるかもしれないという瀬戸際になっても、アラーを信じているタクシーの運転手に対し、秀一くんは「よく神なんか信じてられますね」的に言ってたと思うのですが……その彼が急に神的存在を信じるに至っているって、かなりのとこビミョ~な展開かもしれません(^^;)

 でもわたしが思うに……食料など、身の周りのものが豊かにあると、「神を信じるか/信じないか」については自由度が上がると言いますか、選ぶことが出来ると思うのですが、「そのような存在でも信じていないことにはやってられない」という生活の厳しさがあると、神さまって信じるのがむしろ容易になると思うのです

 ちょっとわたし、「コン・バトラーV」→「ヴィクトリーV」、「マジンガーZ」→「マイスタージンガーZ」、「ジャイアントロボ」→「ジャイアントマシン」、「トランスフォーマー」→「メタモルフォーザーX」、「装甲騎兵ボトムズ」→「装甲騎兵ガッディス」……の他に、「伝説巨神イデオン」→「伝説巨神オデオン」というのを登場させようと思ってて忘れてたのですが(笑)、ガンダムの中でも見られる死生観と同じく、このイデオンで描かれている死生観みたいなものって、日本人の死生観にもっとも近いものじゃないかなって思いました。

 そのですね……イデオンについてはわたし、最初から最後まできちんと見たってわけじゃないので、間違ったこと書いてしまう可能性があるのですが(あと、見たの結構前なので内容の記憶についても正確性が低い・汗)――イデオンという巨大な兵器を動かして、敵を撃退し、主人公たちは逃避行を続けるわけですが、この謎の巨神イデオンの動力源みたいなものが、イデーという宇宙生命体だったと思います、確か。

 で、この<不思議な力>を持つイデーに対し、ピンチになればなるほど、主人公たちは熱心に「動けよォッ!!なんで動かねえんだよ!!」とか、「お願いだから動いてよぉっ!!前は動いて助けてくれたじゃないのよぉっ!!」みたいに祈り願うわけですが、ぶっちゃけ、命の危機とか差し迫った危難があればこそ、そこまで必死に神じゃないけど、神みたいな存在にさえ思えるイデーに向かって宇宙船のみんなは頼むわけじゃないですか。

 ところが、このイデーという謎の生命体には彼というのか彼女というのか、とりあえず彼とすると、彼には彼の目的があって、主人公たちメインキャラクターを利用価値のある存在として利用しているだけだった――ということが、最終的には明らかにされます。

 このあたりの謎が解ける最終回付近は、かなりのところミステリーの謎解きとして愕然としました(^^;)わたし、イデオンのことを見たのは、エヴァンゲリオンを見たさらにそのずっとあとなんですけど……いえ、とにかく愕然としましたよ、色々な意味でww

 けれど、神にも等しい力を与えてくれるように思われたイデーが神などではなく、ある意志を持つ宇宙生命体であり、主人公たちを逆に利用していただけだったとわかる残酷なラスト……そのですね、「お願いだから動いてよォッ!!前は動いて助けてくれたじゃないのよぉっ!!」みたいな絶叫、まるでわたしたちが困った時に普段は祈ってすらいない神に祈る時のような姿に見えませんか?

 で、イデーってやつは宇宙生命体であって神ではないので、主人公たちのことを最後は無残にも裏切ります。そして、日本の各地において神社などに祀られている神さまというのも、イデーと同じく、べつにわたしたちをピンチから救うために存在してるってわけじゃないじゃないですか(^^;)

 そして、イデーにはイデーの目的があって主人公たちを助けてくれてたわけですが、けれども戦いの途中で死ぬ仲間なども当然出てくるわけで。。。

 でも、ガンダムの中でも似た描き方がされているように――大きな宇宙の意識の渦の中のような、今のわたしたちの魂や心の延長線上にある死後の永遠の世界のような場所で、そのライフストリームというのか、コズミックストリーム(笑)というのか、「火の鳥」で言うなら宇宙生命、コスモゾーンのような場所で、わたしたちはある種の精神体のような存在としてひとつに溶け合い、再びめぐり会うだろう……的な、このあたりの描かれ方って、本当にすごいなと思います(^^;)

 イデオンについては「宗教か!!」とツッコミ入れたいくらい圧倒されるものがありましたし、このあたりの描かれ方っていうのは、欧米の、幼い頃からキリスト教の教えを叩き込まれた方には、想像の世界においてさえ、設定として自然な形で思い浮かぶのが難しいんじゃないかな……と思ったりするんですよね。

 なんにしても、「イデオンが動いてくれなきゃうちらマジ全員死ぬっ!!」という状況下においては、イデーが本当は何者でもまるで構わず、イデオンを主人公たちが自分たちの味方であると見なしていたように――↓の秀一くんも、不思議な出来事に遭遇して、自分よりも高次の存在である霊的存在により、そのあたりの考え方や価値観が変わっていったのではないかと思われます(^^;)

 ではでは、次回かその次くらいで最終回ということになるということで、よろしくお願いしますm(_ _)m

 それではまた~!!



     ティグリス・ユーフラテス刑務所-【16】-

 その後、秀一はアルディとジェームスと一緒に、定期的にメソポタミア刑務所へ通い、遺体を順に埋葬していきました。そして、大分時間はかかりましたが、掃除のほうも済ませると、A.Iのアシェラは実に喜んでいたものでした。

 4月にティグリス・ユーフラテス刑務所へ行ってから、約半年ほどかけてそこまでの作業を終え……刑務所内の物資も、大体のところすべて村のほうへ運び終わりました。物資のほうは、まずは村長や他の長老たちの元に奉献し、のみんなで平等に使ったり、分け合ったりするということにしたのですが、風邪薬や絆創膏や包帯など、少しくらいは自分たちのものとして取っておきもしました。

 その頃にはもう、涼子も第二子を出産していたのですが……彼女自身もショックを受け、秀一自身もショックだったのは――その子に右腕がなかったことでした。正確には、右腕の肘から下がなかったのですが、涼子の出産後の落ち込みようといったら、秀一はそばで見ていて痛々しいほどでした。

 村の女たちも随分心配し、交替で様子を見に来てくれ、それだけでなく、子供たちの世話や家事のほうも随分手伝ってくれたものでした。その後、涼子も精神的ショックから立ち直り、再び前以上に子供を可愛がるようにもなりました。

 明日翔(アスト)と名づけられた、肘から下のないこの次男が生まれた頃、長男の秀宇翔(シュート)は三歳になっていました。村の女たちはみな(男たちもですが)、このキリシマ家の子供を実に可愛がりました。うまく言えないのですが、他民族の子どもという以上に何か――このふたりの子供にはどこか独特の、特別な様子のようなものがあったそのせいでしょう。

 秀一も涼子も、自分たちを親馬鹿と心の中で失笑しつつも、「うちの子たちには何か、特別なものがある」と感じていたかもしれません。殊に、母親の涼子にはその思いが強かったようなのですが、秀一も同じくらい息子たちのことを愛していました。明日翔の片腕がないのを見て、非常なショックを受けつつも、立ち直ったのは父親の彼のほうが早かったかもしれません。涼子のほうが暫く産後鬱を患っていたこともあり、秀一は自分がしっかりしなくてはと思っていましたし、とても不思議なことですが、この赤ん坊には腕があるとかないといったことを忘れさせる特別さがあったと言えます。

「わたし、妊娠中に何か悪いことをしたのかしら……」

 産後鬱の期間中、夜、眠る前になると、この言葉を涼子は何度も繰り返しました。

「これは、一体なんの罰なの?わたし、今まで出来る限り一生懸命がんばってきたわ。それなのにどうして……っ。どうしてあの子には腕がないのっ!?」

「涼子、おまえは本当に一生懸命がんばってるよ。君は俺にとって最高の妻で、元気な子を二人も生んでくれて、本当に感謝してる」

 秀一は一体何度この言葉を、妻のことを抱きしめながら語ったことでしょう。また、重労働を終えてから、暗い顔をした妻の待つ家へ帰るのはつらいものですが、このことにも秀一はただ黙ってじっと耐えました。彼女が子育てに追われ、夕食を作っていなかった時でさえ、妻に対し声を荒げたことは一度もなかったくらいでした。

 そして、そうしたすべてに耐えられたのは、秀一にとっても涼子にとっても子供の存在がとても大きかったといえます。シュートはますます可愛い頃合を迎え、今では「パパ」や「ママ」といった片言でなく、随分色々な言葉をしゃべれるようになりました。また、家によく手伝いにやって来るスーやハダサやミリアも、この人見知りする内気な子どもの魅力にすっかりめろめろだったと言えます。

 一方、アストは何故か、シュートの時ほど手がかかりませんでした。二度目の子で慣れたから、というよりも――まるで、母親の悲しみを知っているかのように、夜泣きもあまりせず、ママの手を煩わせないような赤ん坊だったのです。

(赤ちゃんが母親に気を遣うだなんて、そんなことあるかしら?)

 涼子は、次第次第にそのことに気づくようになってから、産後鬱の地獄から回復してゆきました。そして、右手があろうとなかろうと、この子はこんなにも輝くばかりに美しいのに、どうしてそのことにもっと早く気づかなかったのだろうと思ったのです。

 その後、子供はふたりとも、シュートもアストも、手がかかりながらもすくすく成長していきました。そして、その後五年が過ぎ――シュートが八歳、アストが五歳になる頃には、このオアシスを中心にしたは、以前にも増して大きくなり、人口のほうは秀一たちがやって来た頃の三倍ほどにもなっていました。

 当然、人口が増えれば食糧が必要になります。秀一はあのあと、ティグリス・ユーフラテス刑務所から他に、かぼちゃやブロッコリーやパプリカなど、色々な種類の種を持ち帰っていましたから、畑のほうではたくさんの種類の作物が彩り豊かに実るようになっていたと言えます。そして秀一はこうしたことすべての責任者のような立場になっていました。正式に村の長老に任命されているわけではなかったにしても、村の誰もが彼に一目置いていましたし、秀一はこの時三十七歳になっていましたが、昔、平和な日本に暮らしていた頃の面影は、今はもう彼にはありません。村の他の男たちと同じように黒いヒゲを蓄えた彼は、もう中東のこの場所にすっかり馴染んだ土地の人間でした。もはや、仮にこの場所に、世界の日本人の生き残りが来て彼を見たとしても――自分の同国人であるとは、とても信じられないくらいだったに違いありません。

 天災でその年の収穫が駄目になりそうだった時以外、日々は穏やかに流れてゆきました。秀一はとにかく、朝から晩まで真っ黒になるまで働き、涼子は家事仕事をよくし、子供たちの世話に毎日明け暮れていました。シュートとアストは、村の子供たちの間でも人気者で、どの子たちとも仲良く遊び、誰かをいじめるとか、仲間はずれにするとか、そうしたことは不思議と一切起きませんでした。そして、特に誰か大人が注意するでもなく、それがとても自然なことだったのです。

 この頃、ただひとつ秀一と涼子の間で悩みがあったとしたら――息子のアストのことだったかもしれません。アストは、毎日一度は必ず両親にこう聞きます。「ねえ、父さん、母さん!ぼくの腕、一体いつになったら生えてくるかしら?」と。

「ぼくね、毎日神さまにお祈りしてるの。そしたら天使がね、『いつか必ず両手がそろいますとも』って約束してくれたんだよ!ムーサの奴は、『そんなこと、あるもんか』っていつも言うけど、先生はね、『アストの夢はいつか叶うかも知れない』っていつも味方してくださるの!」

 この<先生>というのは、アルディ・ラシック先生と、ジェームス・オルフェン先生のことです。実際のところ、ジェームスのほうは教員免許も持っているということでしたし、もし仮にそのような免許などなくても――ふたりとも大卒でしたから、小さな子供たちに読み書きや計算や世界の歴史を教えたりするのは、それほど難しくないことだったと言えたでしょう。

 シュートはいつでも学校で成績が一番でしたが、性格が内気で、そうしたことを鼻にかけることがなかったため、子供たちに好かれましたし、アルディもジェームスも、シュートはもっと上級の学校へ通うべきだと、秀一や涼子によく言っていたものでした。そしてアストは片腕がないながらもサッカーが得意で、その他、駆けっこでも他の子供たちに負けたことがなく、やんちゃで天真爛漫な、とても優しい子でした。

 そして、アルディやジェームスがアストの夢が『いつか叶うかも知れない』と言ったことには、理由がありました。世界はまだ滅んだというわけではありません。特にアメリカにはワシントンなど、自然災害からも核攻撃からも逃れることが出来た大きな都市がいくつかありましたし、復旧・復興が進んでいけば、以前と同じ科学水準を保っている病院が必ず現れるでしょう。そうすれば、今はiPS細胞の技術を応用した医療技術で、足や腕、あるいは体の臓器など、自分のDNAを培養して新しいものを造ることが出来るのです。

 ジェームスもアルディもよく、「いつまでもここにいるつもりじゃないだろ?」といったようなことを言います。少なくとも彼らはそのつもりだということでした。イギリスという帰れる祖国はなくても、まだアイルランドがあるし、他の生き残った諸都市がどうなっているのかも知りたいから、いずれはここを出ていくと思う、と……(ちなみに、アルディはスコットランド系、ジェームスはアイルランド系でした)。

 けれど、秀一にも涼子にも、その気はあまりないかもしれませんでした。「君たちには子供がいないから、そのような新たな旅にでるのもいいだろう」とはふたりとも言ったりしませんでしたが、長男と次男が毎日元気に学校へ行く姿を見ていると、今はもうあまりそうした気持ちにはなれなかったのです。唯一、アストの腕のことを考えて、無理をしてでもアメリカへ……といったことは考えなくもありませんでしたが、仮にアメリカまで到達できたところで、向こうが今どういった状態なのかもわかりません。何より、アストが障害のあるせいで仲間外れにされているのならともかく、そんなこともないのですから――右腕があって学校でいじめにあうのと、右腕がなくても周囲の人々に受け入れられているのとどちらがいいかといえば……断然、それは後者だということに、秀一の意見も涼子の意見も一致していたのです。

 もう、彼らふたりは……いえ、桐島一家はもう、ティグリス・ユーフラテス川付近の土地の人間になっていました。言うなればここが第二の故郷ということです。そして第一の故郷である日本はないのですから、実はまだ日本の土地はそこにあって、僅かながらだが生き残った人がそこにいる――という確かな情報でも入らない限りは、もうここの慣れたコミュニティで暮らすのが、子供たちにとっても自分たちにとっても一番の幸福だろうといったように、彼ら夫婦は考えていたのです。

 毎日、とりあえず何かしら食べるものがあって、一生懸命働き、隣人同士が助けあうのが当たり前で、その村の中にしっかりとした居場所と呼べる場所がある……秀一も涼子も、それ以上のことは何も望みませんでした。また、ここ以上に文明の発達した場所であっても、ここと同じ以上の幸福が得られるといったようにもまったく考えなかったのです。

 それでも、秀一は時折、今の生活に不満があるということではなく――特に深い意味もなく、何か虚しいような気持ちに襲われる時、アルディやジェームスのことを誘ってティグリス・ユーフラテス刑務所まで出かけていくことがありました。今、この場所はキャラバンや、この土地を通りかかる者のちょうどいい宿泊施設になっています。

 そしてたまたまそうした人がいれば、トルコの状況やエジプト、パキスタンやインドの情勢についてなど、煙草を吸いながら彼らの話を聞いたり、ちょっとした物々交換をしたり……このことは秀一にとってとても良い気晴らしでした。時に彼自身、彼らと一緒に酒を飲み、一晩刑務所に泊まってから翌日家に帰るということもよくありました。

 また、秀一がアルディやジェームスと出会ったあの遺跡の入口、彼らはそこを探索することがありました。というのも、秀一がジャンキーからもらったスコープと時計、あれをメソポタミア刑務所で充電し、暗視ゴーグルとして使用することが出来ましたし、他に刑務所の地下倉庫にも暗視ゴーグルがありましたから、ジェームスとアルディもそれを使用するのと同時に、松明、また何かがあって松明が消えた時に備え、ランタン(これも刑務所にあったものです)、それに手回し懐中電灯を片手に、三人で遺跡の調査を開始したのです。

 その地下遺跡はとても広く、誰か地位ある人の墓なのではないかと思われる、白いコンクリート状の艶々した棺がいくつも並んでいました。墓を暴けば、おそらく頭の部分なのではないかと思われるところに人の顔が描かれ、逆のところには足に似たものが描かれています。その墓は187センチあるアルディよりも高く(ジェームスは182センチ)、上部から棺を見た場合、どのようになっているのかは、梯子でも持ってこないことには観察できませんでした。

 少々不思議なことに思われるかもしれませんが、三人とも、あれだけ科学の発達した世界に元は生きていながら、<太古の王の呪い>であるとか、何かそうした種類のことを信じていました。ですから、死者の霊たちに失礼にならないようにと細心の注意を払いながら奥のほうへ奥のほうへと進んでいったのです。

 最初に出会った時、ジェームスとアルディが言っていたように、遺跡の内部はなんとも不気味な様子でした。ふたりが「おそらくシュメール文明の遺跡ではないかと思う」と言っていた、もしその通りであるのだとしたら――シュメール文明というのは、紀元前三千年頃に栄えた文明ですから、今から五千年も昔の遺跡ということになるでしょうか。

 壁の両面にはびっしりと楔形文字や、あるいは石を彫って絵が描かれており……それが墓所だけでなく、通路を歩く間も左右どちらの壁にも続いているものですから、三人とも何か息苦しい感じがしました。そして、おそらくここがこの遺跡の中心部分ではないかというところに出ると、その墓所は他にあるこうした場所のどこより、煌びやかな感じがしました。その墓には宝石が嵌めこまれて輝いていましたし、もし三人が盗掘目的でここへ入りこんだのだとしたら――早速とばかりそのサファイアのような青い宝石や、トパーズのように見える黄色い石、アメジストのように見える紫色の石など、そのすべてを削りとって地上へ持ち帰っていたことでしょう。

 遺跡のすべてを歩きまわってみますと、この立派な墓を中心にして、他に左右対称にこの王(正確には王かどうかはわかりませんが、秀一たちは話す時、この場所のことを<王の墓>と呼ぶことにしていました。また、仮にここが王の墓所でなかったにしても、その昔、相当身分のある人であったことは間違いありません)を守るように、棺の安置場所が設けられているのです。

 古くさい考え方だったかもしれませんが、この遺跡の中から何かを持ち帰った場合……天井が崩れてくるのではないかと三人は考えていましたし、太古の墓所に眠る人々の霊を呼び覚まそうとも思ってはいませんでした。そこで、隅々まで探索すると、もう一度この場所へやって来ようとはしませんでした。三人は、ティグリス・ユーフラテス刑務所にあった縄や、いらなくなったボロのような衣服、あるいはシーツ類などをうまく繋ぎあわせ、一本のロープとし、それを入口の床の杭にくくりつけて進んでいったのですが――それでも、この王の墓所の一部が崩れて戻れなくなったというような場合……おそらく命はなかったでしょう。

 また、秀一は、ジェームスやアルディが他にも見つけたこうした出入り口から他の遺跡も探索しましたが、そちらの壁のほうには、彼らの話によるとノアの箱舟についての物語やギルガメシュ叙事詩のことが描かれているということでした。三人とも、そこから何かを奪おうとか、墓を暴いて色々なことをもっと詳しく知ろう……というつもりではありませんでしたので(アルディとジェームスの場合、今もイギリスが存在していたら、祖国へ飛び帰って調査団とともに徹底的に調べる気持ちはありましたが、何分今はこうした御時勢ですから)、とにかく敬意を持ってその場所を訪れ、時には無意識のうちに「わたしたちは何もしません。ただ通りすぎるだけです」とか「王に失礼がありましたら、何卒お許しを」などと口走ることさえあったものでした。

 ただ、本当にそうした地下の凝集したような闇には、人の魂を芯から震わせ、冷たさで振るえ上がらせるような何かがあったのは確かです。そして、こうした洞窟探査が大体のところ終わり、ジェームスとアルディがここを徹底的に調査し、研究できないのが残念だ……と、何度目になるかわからない溜息を着いた日のこと――秀一は夢を見ました。

『あなたはもう二度と、自分の好奇心を満足させるために、ああした洞窟のひとつにでも入ってはならない』

 秀一は、いつも通り、自分の家で妻や息子たちと一緒に寝ていたはずでした。けれども、気づくとその部屋には誰もおらず、それでいて背後の景色に溶けた透明な存在の誰かがいるということが――何かの存在の重い質量のようなものによって、秀一にははっきりわかったのです。

 秀一はその、目に見えない<霊的存在>に驚き恐れるあまり、布団から飛び起きると即座にその場にひれ伏しました。彼にはもう一度顔を上げて、その者がいると思われる開いたドアのほうに目を向ける勇気さえありません。

「も、申し訳ありませんでした。何も俺は……わたしは、あそこに眠る人々の霊を呼び起こしたいとか、そうしたことは一切頭にありませんでした。けれども、わたしのしたことが先祖の霊の方々に失礼にあたることでしたら、何卒お許しください」

『そうではない。ただ、あそこには悪い霊たちがたくさんいる。あなたは知らないだろうが、わたしはあなたと友人たちがああした墓所に入るたび、あなたがたに害が及ばぬように守っていた。もしそうでなければ、悪さをする霊が今もこの家にいて、また、あなたの友人たちの家にもいて、大変なことになっていたであろう。ゆえに、あなたはもう二度とあの場所へは近づかぬように。わたしは、これからあなたとあなたの家族をある場所へ導く。おまえの心に見るべきところはないが、あなたの妻の心の清らかさゆえに、わたしはあなたをも祝福しよう。ここを出て、近くにあるオアシスへ身を寄せよ。そこには今は何もないように見えるだろうが、いずれそこも発展し、大きな都市国家となろう。もっとも、あなたはそこまで国が固く立つところを見ることは出来ずに死ぬ。だが、あなたの息子から出る者がいずれ偉大な者となり、その国の王となる。しかし、あなたは息子のいる天国で妻とともに憩うことが出来る』

 秀一はこの時、これが半ば現実で、半ばは夢のような場所なのだと気づいていました。ですから、目を覚ました時、この<聖なる方>のように思われる方の言った言葉を忘れぬようにと、一生懸命覚えておこうとしました。そして、最後、その方がどこかへ去りそうな気配を感じた時――思いきって顔を上げ、こうお訊ねしたのでした。

「あのっ、あなたは神なのですか。もしそうでしたら、お名前を……」

「…………………」

 この時、透明で見えないのに、重い質量があるように感じる存在は、何かの言葉を呟きました。けれども、秀一には聞きとることができず、そうして目を覚ましていたのです。

「セザール、なんてちゃって……」

 秀一がムニャムニャと寝言を呟いていると、涼子が夫を起こしにきました。

「秀一さん、起きて。朝ごはんが出来たわ」

「あっ、ああ………」

 この時、ビクッとして秀一は起き上がりました。彼は寝起きはいいほうなのですが、毎日、妻が起こしにくるまでは、先に目覚めるということがほとんどありません。

「俺、今なんか言ってた?」

「セザールがどうとかって……わたし、昔セザール東京っていう名前のマンションに住んでたことあるのよ。だからどうしたってこともないけど」

「そ、そっか……」

 夫がまだ寝ぼけているらしいと思った涼子は、秀一のことは放っておいて、今度は子供たちを起こしにかかります。それから、食事の皿を床の上に並べていきました。

 秀一はシュロの葉で編んだ敷物に座ると、息子たちと並んで食事をし、その後軽く身支度を整えて、仕事へ出かけていきました。シュートとアストとは、彼らが学校へ到着するまで一緒になります。そして、「父さん、バイバイ!」、「お仕事がんばって!」という声に送りだされて、秀一はオアシスのそばにある畑のほうへ出かけてゆきます。

 そして、農作業をする間中、ずっと今朝方見た、不思議な夢のことを考えていました。秀一にもうまく説明できませんでしたが、とても神聖な印象の、普段見る夢とは種類がまったく異なるように感じる夢でした。彼はこれまでにも不思議な夢や変わった夢を見たことはありましたが、そうした夢よりもさらにずっと上の……あの透明な方の語ったことはいずれその通りになるのではないかと確信できるような夢でした。

(悪い霊から、俺やジェームスたちを守ってくれていた、か……なんにしても俺は、もう二度とあの場所へは行くまい。それに、俺に見るべきところがないというのも、実際当たっていることだ。だが、妻の清らかな心のゆえに……)

 秀一は苦笑しつつ、あの<聖なる方>の語ったことは正しいと、自分でもそのように認めました。けれど、妻の涼子の心の清らかさゆえに祝福してくれるというだけで……彼にはそれだけでお釣りが来るほど十分なことだったと言えます。自分が神のような方の前に無価値な者でも、妻のゆえに彼女自身と息子たちが幸せになれるのなら……それが秀一にとっても一番の幸福でしたから。

(あと、なんだっけ。そのうち、ある場所へ導くとかなんとか……近くにあるオアシス?このそばにオアシスなんかあったかな。あったらもう、誰かがとっくに移住してると思うけど……)

 他に、自分の息子――この場合は、シュートとアストのいずれかからか、その両方からでしょうか。王になる者が出るといったことについては、秀一はただ首を傾げるばかりだったと言えます。もし仮にそうなのだとしても、あの<聖なる方>が語ったとおり、自分は自分の孫、あるいは曾孫か玄孫かわかりませんが、自分の子孫が王になったとしても、それを目で見ることは出来ないのです。けれども、王になるくらいですから、経済的に豊かで幸せな生活を彼らが享受できるということなら……それは秀一にとっても、喜ばしいことではありました。

 そして、最後――『あなたは息子のいる天国で妻とともに憩うことが出来る』という言葉……秀一は、この最後の言葉に、少し不吉なものを感じたかもしれません。何故といって、普通であれば、死ぬのは親のほうが先なはずです。けれど、あの方は『息子のいる天国で妻とともに』と言いました。ということは、自分や妻より先に、シュートやアストが死ぬということなのだとしたら……と、そこまで考えて、秀一は首を振りました。

 この日、秀一がそんなことを考えて仕事をしていると、学校の終わった子供たちが農作業を手伝いにやって来ました。今は秀一の家でも牛や羊や山羊を飼っておりましたので、人に頼んで放牧してもらっているそうした家畜を小屋のほうへ連れ戻したり、エサや水を与えたり――作物も今では種類のほうが随分豊富になりました。キャベツやブロッコリーやきゅうりやにんくにくなど……秀一は、ティグリス・ユーフラテス刑務所にあった小さな図書館に、農作業や酪農・牧畜に関する本があるのを見つけて、それを持ち帰っていました。もちろん、涼子に訳してもらうためです。その他、そこの書棚にあった本のうち、多くを持ち帰ってきたのですが、そのほとんどは今学校に置いてあります。子供たちはその本に書いてあることを母親である涼子に読んでもらったりして育ちましたので、今ではその暗記した物語を兄弟で交互にしゃべったりしながら、作物の収穫をしたりするのでした。

 秀一はその日一日、この夢の内容を妻に話すべきかどうか迷いましたが、夜になって子どもたちが寝てしまい、夫婦ふたりで布団に入る段になると……やはり、妻に隠しごとは良くないと思い、すべて話してしまうことにしたのです。

「まあ……なんだかとっても素敵な夢ね。もしそれが実現したら、わたしたちの子孫は王さまになるということだわ」

「でも、俺たちのこの目で見れるってわけじゃないけどね。だけど、俺に価値はないが、涼子の心が清らかなので、祝福しようっていうのは、なんかわかるなって思った。だけど、涼子はどう思う?俺はこのあたりに他にオアシスがあるだなんて、知らないし見つけたこともない。それはジェームスやアルディや、他の村の男たちもそうだと思う。ということは、<近く>っていうのは、あの語った人の感覚として<近く>なんであって、俺たち人間にとってはちょっと遠い場所なんじゃないだろうか?でも、今とりあえずなんの不自由もなく、子供たちも元気に学校へ通っているのに……あの聖なる方が夢でそう語ったからなんていう理由で……何もない場所で一からやり直すだなんて、馬鹿らしいとは思わないかい?」

 確かに涼子も、夫の言いたいことの意味はわかりました。けれども、彼女は小さな頃から色々な本を読んで育っていましたので、秀一の言う夢の中の<聖なる方>の言うとおりにしたほうがいいのではないかと思っていました。何故といって――大きな歴史の流れの中で見れば、今自分たちが住んでいるような場所は、今栄えていても、天災、あるいは疫病などに見舞われれば、滅びるのは本当にほんの一瞬のことだからです。

「秀一さん、わたしはその夢のお話、ちっとも馬鹿らしいとは思わないわ。それに、あなたやジェームスやアルディたちを、悪い霊から守ってくださったのでしょう?その方の言ったことをもしまともに取り合わなかったとしたら、もうわたしたち、その方に守ってもらうことも、祝福していただくことも出来なくなるっていうことなんじゃないかしら?」

「確かに……そうかもしれないな」

 秀一も心の中では、あの<聖なる方>の言うとおりにしたいと思いながらも、もし涼子の態度が「子供たちも元気に学校へ行ってるのに、何言ってるのよっ!」というものだったらとしたら、そう強硬に事を行おうとは思っていなかったのです。

「じゃあ、本当にいいのかい?何もないオアシスで、また一から土地を耕して、収穫する作物を植えたりしなくちゃいけないんだよ?もちろん、そうしたことの大半は俺がやるにしても……きっと何かと大変で、こんなことなら元いた村にずっといときゃ良かったみたいになるよ。最初のうちはね」

「いいわ。じゃあわたし、あなたに約束するわ。どんなことがあっても前の村に戻りたいだなんて、そんなこと言わないって」

「本当かい?けどまあ、俺はそんなオアシス、今のところ発見してもいないわけだからね。もしそんな場所がどこにも見つからなければ、まあそう無理をして今すぐどうこうするっていうのはよしておこう」

 その後秀一は、あたりに自分の知らないオアシスなどというものがないかどうか探してみましたが、やはりそのようなものは半日~一日で帰って来られるような場所には、どこにもありませんでした。

 そして、彼や涼子が一旦、このことを半分忘れかけた頃のことです。秀一が人に頼んで放牧してもらっている羊が一匹、いなくなりました。彼は人から何かのお礼にこうした家畜をもらったりして、今では羊を五匹、牛三頭、山羊を六匹飼っていました。そのうちの、羊の一匹がいなくなったのです。

 もちろん、人によっては「たかが羊一匹くらい……」という価値観の人もいるでしょう。けれども、ここのではそうした考え方はしません。こうした貴重な家畜がいることで人間が生きていかれるのですから、いなくなった時にはよくよくその行方を探すのです。それに、この羊は特に、シュートとアストが名前をつけて可愛がっていたものですから――秀一としては余計に探し求めずにはいられませんでした。

「ユキーーーーーッ!!」

 らくだに乗って砂漠の中を探しまわり、三日した時のことでした。目当ての羊は見つかったのですが、捕まえようとしても羊のユキは逃げていくのです。そこで、秀一はさらにユキを追っていったのですが、この雌の三歳の羊はすばしっこくどこまでも逃げてゆきます。そして秀一が再びその姿を見出すと、まるで彼のことを待っていたかのように、やはりまた逃げてゆくのです。

「こら、待てっ!!こっちはもう三日も時間を無駄にしてるんだぞ。神妙にお縄ってやつにつけっ!!」

 こうして、羊のユキとの追いかけ合戦の果てに、秀一は――見たこともないような美しいオアシスに到達していました。最終的に、そのオアシスの中でユキのことを捕まえたのですが、秀一はこの日、その場所で簡易テントを立てて眠ることにしました。

『ここが、わたしがあなたのために選んだ場所である。今いる群れを離れ、ここへ越してきなさい。そうすれば、必ずあなたも、あなたの家族も祝福される』

 朝、薄ら寒い空気によって目覚めると、秀一は前に夢の中で語っていた方と同じ声を聞きました。秀一は、その時オアシスの椰子の樹の下に立っていて、とても青く澄んだ水の色を見ていました。すると自分の背後から、そのように語る方の声を聞いたのです。

 秀一は、恐れ多さのあまり、後ろを振り向くことが出来なかったのですが、それでも、振り返ってもっと色々なことを聞きたいと思い――振り返るべきか、振り返らざるべきかと迷っているうちに、ハッと目が覚めていたのです。

「夢か……」

 けれども、一度前に見た夢がここでまた繋がり、秀一は再び強い確信を得ることが出来ました。このオアシスはとてもいい場所でしたし、灌漑農業についてはもう何年も学んできていましたから、家族四人で、きっとどうにか出来るだろうという見通しもありました。

(何より、子供たちも大分大きくなってきて、手がかからなくなってきたからな。学校のほうは、涼子が自分でも教えられるくらいの内容だって言ってたし、きっと家族四人で協力すればなんとかなるに違いない)

 とはいえ、こうした<不思議な声の存在>がなければ、とても秀一はそのようなことを決断できなかったことでしょう。また、村の人々も驚きました。けれども、秀一は村長や長老たちに次のように説明していました。つまり、道のりとして三日ほど西へ行ったところにもうひとつ拠点があれば、何かあった時に連携しあえていいのではないか、と。この理由によってみな納得し、秀一が出ていく先のオアシスには、数家族がついて来るということになりました。

 こうして、秀一は新しく見つけたオアシスで、新生活をはじめました。最初はみな天幕暮らしでしたが、やがて日干し煉瓦によって以前住んでいたのと同じ住居を造って住みはじめ……羊や牛や山羊を飼う傍ら、灌漑農業によって作物を作り、一年目、二年目と農作物の実りは祝福されました。三年目、病害虫による被害が許されましたが、このあたりは二毛作であり、日本のように冬に備え、秋に収穫して春を待つ――といった農業形態ではありませんでしたので、それでどうにか凌ぐことが出来ました。

 そして四年目……秀一と涼子にとって、大きな試練となることが許されました。次男のアストが病いに倒れたのです。風疹やはしかなど、そうした病気とは思われませんでした。いつまでも高熱が続き、解熱剤を使っても下がらず、前の村の医術師にも診てもらいましたが、彼にも原因がわからず、薬師の女性からもらった薬だけが唯一の頼みの綱でした。

 ですが、アストが病いに倒れて二十日も過ぎた頃……少しだけ病状が持ち直しました。すると、彼はそれまでしゃべるのもつらそうだったのに、体を起こすと、突然色々なことを語りはじめたのです。

「お父さん!ぼく、天国の夢を見たよ。天使たちがね、そのうちぼくのことを迎えに来るの。だから、ぼくのことは心配しないで。ぼく、言ったでしょ。いつかぼくの右手は生えてくるって。昔から天使たちがずっとそう言っていたのは、そういう意味だったんだ。だからぼくもう、何も怖くないよ」

 確かに、アストは昔から「天使がどうこう」ということをよく話していたのですが、秀一も涼子も、<子供の無邪気な話>として、あまり本気に受け止めていませんでした。ですからこの時も、自分たちの可愛い息子が死ぬとは思ってもみず、少しばかり病状がよくなったのを見て――これからアストは快方へ向かうだろうと、希望的な観測しか胸に抱いてはいませんでした。また、息子の言うこうした言葉についても、この時には熱に浮かされているだけだとしか思っていなかったのです。

 ところが、一時期持ち直したかと思われたアストの容態は、今度は前以上に病いのほうが重くなり……そのまま天国へと召されてしまったのです。この前日、息子からしつこく、「父さんも母さんも、天国を信じてるでしょ?ぼく、そこへ先に行って待ってる。でも、神さまや天使や天国を信じてない人は、そこに来れないんだ……だからぼくの言うこと、お願いだから、信じて」と熱にうかされた息子に何度も言われ、ふたりとも「信じるよ。信じるとも」、「信じますとも、可愛い坊や」と、泣きながら答えるばかりでした。こうして、父や母や兄に体のどこかをさすってもらったり、あるいはぎゅっと抱きしめてもらいながら……その日の夜のうちに、アストは天に召されてゆきました。秀一や涼子にとっては、自分の息子のほうこそが、まるで天使のようだと思われるような子でした。

 息子の葬儀が済むと、秀一と涼子はアストの話していたことを思いだし、また、このオアシスへやって来た時にあった<聖なる方>の言葉のこともあらためて思い出すと――オアシスの傍らに神殿を建て、そこに自分たちをここへ導いた神さまのことを祀るということにしました。

 と言いますのも、あれ以来同じ<聖なる方>から何かの顕現があったり、夢の中で示しがあったこともなく、彼らは生活の忙しさに追われ、いつしか自分たちを悪霊から守り、啓示を与えてくださった方のことを忘れていました。けれども次男の死によって、むしろ<聖なる方>の存在のことをまざまざと思いだし、つくづく最初からこうしていたら良かったと後悔しました。もし最初からそうしていたなら、自分たちの天使のように可愛い息子は死なずにすんだのかもしれないのにと、そう思って……。

 他に秀一たちについてきた、数家族――スーやハダサやミリアの一族――も、この神殿建設には、とても協力的でした。秀一たちは、もうそうした神がどうとか悪霊がどうとかいうことを云々するのがナンセンスなくらい、科学技術の発達した世界に生きていたはずなのに……それに、もし神がこの世に存在するのなら、何故あんなにも凄惨な戦争を許したのかという議論もあったでしょう。けれども、あの戦争のことで神という存在を責めるのは筋違いではないかという感覚が、今では秀一にも涼子にもあったかもしれません。結局、ああした言葉に尽くせない悲劇的な出来事が起きたのは、人間がいつしか本当の神ではなく、自分たちの造りだしたA.Iという名の神に聞き従っていったからだという部分が、あまりにも大きいような気がしたからです。

 そして、秀一が息子のアストをその傍らに埋葬するための神殿を建設しようと心に決めた夜のことでした。再び、あの<聖なる方>が現れて、神殿の造り方について、細かい点に至るまで指示してくれたのです。神殿の奥行きや高さ、使う材料などに至るまで……秀一はこうしたことを他のみなに話して、どのくらい信じてもらえるだろうかと心配でしたが、不思議と彼らは秀一の言うことをすべてそのまま信じてくれました。

 にはひとり、彫刻を手がけるのが上手な男がおり、神殿の柱や壁の模様については、彼がそのすべてを手がけてくれました。神殿の奥には左右に天使がおり、お互いに翼を触れ合わせているという彫像が置かれ、女たちは神殿を飾るための布を丁寧に縫ってゆきました。普通に考えた場合、普段の生活の労働の他に、こうした作業が増えるというのは、疲労を増すことでしかないと言えたかもしれません。けれど、誰もがこの神殿に関する作業について不満を口にする者はおりませんでしたし、みな喜びをもって神殿に関する仕事のひとつひとつに務めていました。

 初めのうち、秀一が祭司の役目を果たして、その後初めての土地の収穫物については、まず真っ先に神殿の神に捧げるということになりました。それから、神殿の中でも聞いた、あの<聖なる方>の言われたとおりに、香を調合してこれを天使の像の前で焚きました。その向こうに<神>である方が現れても、姿を見ずにすめば秀一は死なずに済むことが出来るというそのためです。

(もし、俺がまだ東京に住んでいたような頃だったら……俺はおそらくタブーを破って、香の向こうの神の姿を見ようとしてしまったかもしれない。だが、今はそんなことをすれば、自分は雷にでも打たれたようになって即死するだろうとわかっている。その違いが、今の俺にはなんとも有難くて仕方がない……)

 実際のところ、秀一が心をこめて祭壇の前の祭具を整え、心の底から<神>である方を恐れていたからこそ、香を焚いた煙の向こうに<聖なる方>は姿を現してくださったのでしょう。仮に秀一がタブーを破って煙の向こうを覗いたところで、そこには何も見ることは出来なかったに違いありません。ただ、秀一にはわかっていました。確かに<聖なる方>の顕現があると、神殿内の空気は一変するのです。そして秀一は、これから村が発展していくために必要なことや守るべき掟について<神>から教えを受け、それをみなに知らせるのと同時に、文書としても表わして保存することにしました。

 それは、大雑把な枠組みで言うとしたなら、<人が生きるのに必要な命の掟>でした。この時秀一は、感覚として自分よりも圧倒的な力を持つ「大いなる存在」である方を<神>として崇めることになんの抵抗も感じませんでした。そのくらい、この方が聖なる力、聖なる香気のようなものによって満ち満ちておられるように感じていたからなのです。

 こうして、秀一はこの<聖なる方>御自身の定めたとおり、週に一度は仕事を休み、この<神>である方を崇めました。毎年、定められた時に収穫物や動物の生贄を捧げ、村の繁栄を願いもしました。といっても、この<神>である方御自身がそうした捧げ物を求めたというのとは、それは少し違ったかもしれません。と言いますのも、<神>と呼ばれるほどの方にとって、人間の収穫物や家畜などが一体どれほどの意味があるでしょう。けれども、それらについて人間が「本当に心をこめて」捧げる時……そうした収穫物の初物や家畜の生贄は初めて価値を持つのです。言うなれば、人間たちがどれほど<神>を畏れているかの試金石としてこれらのものは捧げられていたといっていいでしょう。また、こうした事柄を通し、秀一がの長として権威を持ち続けることが出来る――という側面も、これらの祭儀の内にはありました。

 このように、オアシスの中央に神殿をもうけ、そこで神である方を礼拝するようになってから――この<聖なる方>に、エデンと村に名づけなさいと言われてから――村ではますます農作物の実りが祝福され、家畜が病気になったり、子供が死産で生まれるということもなくなり……秀一がの長となっているこのエデンは繁栄し続けました。やがて、元いた村からも、噂を聞きつけて移住する者も増え、秀一たちが移住して十年後、村は町と呼んでもいいくらいの規模に大きくなっていたといえます。

 町には大きな通りも出来、みな揉め事もあまりなく、協力しあって仲良く暮らしていました。秀一も涼子も、このことを<神である聖なる方のお陰>と感じるのと同時、神殿のそばの墓地で眠る我が子のお陰とも感じていました。きっとあの優しい子が、犠牲として神に捧げられたからこそ、今自分たちは色々な面で祝福され、幸せを味わうことさえ出来ているのだと……。

 そしてその後、さらに何年もの歳月が過ぎゆき、秀一は六十二歳、涼子は六十一歳になりました。息子のシュートは三十歳になった時、ようやく結婚することになるのですが、彼の結婚の経緯については奇妙なところがあったかもしれません。

 と言いますのも、<神である聖なる方>が神殿の香の煙の向こう側で、こう秀一に語りかけたからなのです。『あなたの息子は、この村の娘と結婚してはならない。いずれ必ず外から縁談が来る。その時を待て』と……育った環境がそうさせたものか、ジェームスとアルディが彼を可愛がって教育を授けたからかどうか、シュートは年頃になっても女の子というものにあまり興味を示しませんでした。といって、男性のほうに強い興味があったというわけでもなく、とにかくいつも本を読み、自分でも詩を書いたりして静かに過ごすことを好んでいました(本人は恥かしがって人に見せようとしないのですが)。

 そのような性格のシュートでしたが、それでも秀一や涼子が強いて「おまえもそろそろいい年なのだから」と言って、町の適当な娘と結婚させようとしたなら、親思いの彼はおそらく両親の言うとおりにしたでしょう。けれども、<神である聖なる方>からそのように告げられたことを話すと、「じゃあ、僕は待つよ」とシュートは答えていました。しかしながら、秀一がそのように<神である聖なる方>から聞いたのは、シュートがまだ十七歳の頃のことです。そして、それから何年しても『外からの縁談』などというものは、一向もたらされませんでした。もちろん、前にいた村のほうからも、そのような話は幾度もありました。けれどもこの場合は、「まったく外の、外部の」という意味であると秀一にも涼子にもわかっていましたから、彼らは時折気を揉みながらも、とにかく待ち続けるということにしたのです。

 まわりの人々にもよく「そろそろ孫の顔を見たくはないのかね?」とか、「うちの娘でいいならひとり、誰でも可愛いのをやるよ」といったように言われるのですが、とにかく秀一も涼子もひたすら辛抱強く待ち続けました。何より、『あなたの息子から、将来王となる者が出る』というのは、そうした意味だと思っていましたから……。

 そしてとうとう、その時がやって来たのです。彼はエデンよりももっと西の、昔、イスラエルのあったあたりの集落からやって来た男でした。男は町の広場にある水飲み場までやって来ると、噴水のまわりにいておしゃべりしていた婦人たちに、「水を飲んでも構わないでしょうか?」と訊ねました。

 男が余所者であることは、見慣れない格好や連れているラバを飾る装飾品などから見ても明らかでした。けれども、茶褐色の肌をした男があまりに疲れた様子なのを見て、女たちは互いに「好きなだけ飲むといいよ、旅の人」と優しく言ってあげたのでした。



 >>続く。





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