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こじらせ女子ですが、何か?

心臓外科医との婚約を解消して以後、恋愛に臆病になっていた理穂。そんな彼女の前に今度は耳鼻科医の先生が現れて!?

ティグリス・ユーフラテス刑務所-【15】-

2019年05月28日 | ティグリス・ユーフラテス刑務所


 この間、漫画喫茶にて、初めて『AKIRA』の漫画を読みました♪

 いえ、わたしSF系の作品ってあんましというかほとんど読んだりしたことないもので(汗)、今さらながらちょっと勉強してみようかなって思ってまして……それで、SF漫画と聞いてすぐにパッと思い浮かぶのが、わたしの中では大友克洋先生の『AKIRA』だったというか。。。

 それでも一応、アニメ映画のほうは中学生くらいの頃に、テレビでやってたのを見たことがあったり(^^;)

 でも、このアニメ映画、見ても意味のほうが全然さっぱりわからず(@_@;)、「え~と、これ、タイトル『AKIRA』でなくて、『TETSUO』の間違いなんでねえの?」くらいの理解力しか、当時のわたしにはなく。。。

 ただ、その時から「あのジジババチャイルドがなんでジジババなのにチャイルドなのか、原作のほうを読めばきっと意味がわかるはず!」とか、「なんで鉄雄くんが意味不明に突然おっきくなって終わるのかも、理由がわかるはず!」との思いがあり、『AKIRA』はわたしの中で「いつか読みたい漫画リスト」の中にずっと入ってはいたのです

 そんで、今回なんで急に読んだかっていうと、本当にただ偶然でした(^^;)

 たまたま3時間くらい時間潰さなきゃなんないってことになり、近くのインターネットカフェに入ったところ……一番最初に『AKIRA』が六冊並んでるのが目に入ってきたんですよ。「おお!ちょうど読みたいと思ってた漫画がまず一番最初に目に入ってくるなんて」と思い、速攻それを持って個室に閉じこもったというわけです(笑)

 その、3時間くらいで六巻まて読まなきゃならないという都合上、隅から隅までくまなく読んだ――という読み方ではなかったのですが(汗)、大友克洋先生の『AKIRA』が、何故伝説の漫画として国内・海外問わず人気があるのか、その理由がわかりましたし、わたしが中学生の頃から(笑)長く疑問に思ってきた謎についても、今回初めて解けたというわけです(^^;)

 つまり、ジジババチャイルドがジジババなのに何故チャイルドなのか、また、アニメのほうで何故哲雄くんが突然あんなにおっきくなって終わるのかも、『AKIRA』のタイトルが『TETSUO』でなくて何故『AKIRA』なのかの理由もわかり……と同時に、『AKIRA』が他の漫画家(クリエイター)さんに与えた影響とか、そのあたりもやたらと妙に納得するものがありました。。。(「そうか!そうだったのか!!∑(゚ロ゚)!!」みたいな・笑)

 あと、作者の大友克洋先生の心の優しさ、温かさのようなものが最後に近づくにつれさらに感じられ、「いいぜ!『AKIRA』、オレも大好きになったぜ!!」みたいな感じで読み終わったと言いますか。。。

 そのー、お話のイメージ的に、もっと皮肉で冷たい近未来の物語で、終わり方も何かそうしたやりきれない感じで終わる……でもそれは、我々人類の未来に対する警鐘でもある、みたいな感じなのかなって漠然と想像してたものですから、まさかそうした「優しさ・あたたかさ」を最後に感じつつ読み終わることになるとは、思ってもみなかったのです

 なんにしても、色々な意味でいいお話でした、『AKIRA』♪(^^)

 まあ、一般的にいって、「オマエ、今ごろ読んでんのかーい!!」といった感じではあるのですが、最後に昔読んだアニパロ4コマ作品の言葉を心に刻んで、この文章の終わりにしたいと思います(確か、ばけこ先生の4コマ漫画だったように自分的には記憶しております。懐かしいww)。


 >>あきらめないで!アキラはあきらかにアキラなんだから!!


 いやいや、確かにアキラくんは明らかにアキラだったとわたしもそう思いますよ(あと、キヨコちゃんが予想していたとおりBBAになる前は美少女だったことにも満足しました・笑)。

 ではでは、このお話も最終回が近いですが、次回は確か秀宇翔くんのお話だったっけな……とおぼろに記憶しております(というか、これから読み返します^^;)。

 それではまた~!!



     ティグリス・ユーフラテス刑務所-【15】-

 この翌日から秀一と涼子は、村の一員として働くということになり、秀一は灌漑農業で彼らが育てている小麦や大麦などの栽培を手伝うことになりました。この頃はちょうど収穫期で、彼らはトラクターを使うでもなく、鎌を手にしてそれらを刈って束にしていました。秀一は、妻子とともにスエズ運河まで行くつもりでいましたから、メソポタミア刑務所のジムのある部屋で随分体を鍛えていたのですが――ほとんど疲れ知らずに朝から晩まで働きました。

 収穫後、束にした小麦は天日干しにし、その後脱穀して、女たちが臼で引いて小麦粉にします。そしてそれをパンにするのですが、他にでは羊や山羊、鶏なども飼っていましたから、肉や牛乳やチーズ、ヨーグルトなども手に入ります。ただ、涼子は村の女たちから料理を教えてもらったのですが、このことは彼女にとって試練だったようです。何分、鶏を一頭潰すやり方などを教えてもらったとはいえ、なかなかそう慣れるものではありません。「あらあら、そんなことじゃこの先生きていけないね」とか「そんなんじゃ旦那が可哀想だね」と言われて、散々からかわれました。といっても、涼子はの女たちに嫌われていたわけではありません。彼女たちは新顔の珍しい女を相手に面白がっていたというそれだけだったのです。

 こうした形で、秀一と涼子は村のメンバーとして認められていくようになりました。秀一は以前あったチャラさがいつしか消えてゆき、村の男たちの間では、「無口だがよく働くいい男」といったように評され、涼子はもともと従順な性格をしていましたから、村の女たちにも好かれ、こうしてキリシマ夫妻はすっかりこのに馴染むようになっていたといっていいでしょう。

 何より、秀一がの人たちに気に入られようと常に努力し続けたことには理由がありました。土地の一部を借りて、メソポタミア刑務所から持ってきた作物の種を植えたいと思っていたのです。そこで、一生懸命働くことで、村の一部の気難しい男たちにも認めてもらおうとし、次の種付けの時期には、人参や茄子やアスパラガス、ほうれん草などの種を植えさせてもらうということが出来ました。

「ジャックと豆の木じゃないけどさ、あの種はもう今の最新の技術で、土とほんの少しの水と栄養さえあったら、病害虫にも強くて、いい作物が必ず実ると思うんだ」

 以前の秀一には考えられないことでしたが、今ではそれが彼にとっての大きな夢でした。そして、彼は自分の家族がみんな死んだとは今も信じきれていませんでしたが、それでももし父親が生きてこの場所にいたとしたら……きっと同じようにしていたに違いないと思っていました。村の食糧自給率のほうは、まあどうにかトントンといったところでしたから、ここからさらに村の食糧事情が良くなっていくようにと、秀一が願うのはそのことばかりだったかもしれません。

 また、の男たち同士のつきあいというのは単純なものでしたが(よく働き、一緒に酒を飲み、村のルールやしきたりを破らないなど)、女同士の交際というのは少々複雑で、涼子がそうしたことに疲れていると秀一はさり気なく慰めてあげたものでした。秀一はとにかく、家庭を一番大切にして、毎日一生懸命働きました。村へ来て三日目には体のほうもの他の男たちと同じように茶褐色となり、日本から来た色の白い男といった印象はまったくなくなっていたと言えます。

 こうして、秀一と涼子がこのにやって来て一年後、涼子は再び妊娠しました。まわりの人々も「そろそろ二人目……」とか、「最低五~六人は欲しいわよね?」といった環境でしたので、生活に慣れてきた頃に「そろそろ作っても大丈夫だろうか」ということになり、二子目の妊娠となったのです。けれども、妊娠して三か月後、涼子の様子が少しおかしくなりました。秀一も、彼女の心が沈み、内に何かを隠しているらしいのを見てとり、そのことをどうにか聞きだそうとしたものです。

「どうかしたのかい?なんだか最近、元気がないけど……」

 アルディとジェームスは、その後テント村のほうに移っていましたので、彼らの住んでいた二間ほどの住居は、今や彼らの居場所となっていました。食事のほうは床に座ってとりますので、テーブルなどはありません。ベッドのほうはワラ布団で、家具らしい家具もほとんどありませんが、村の人たちに教えてもらって料理するための竈(かまど)だけはちゃんとしたのがありました。

 朝はいつでもまずは、井戸から水を汲んでくることからはじまるのですが、涼子の妊娠を知って以来、村では女の仕事である水汲みを秀一がしています。それは女性がするべき仕事でしたから、井戸へ行くと、井戸端会議という言葉もあるとおり、大抵は何人か女性がたむろしておしゃべりしたりしています。そして、そのたびに秀一はよくからかわれました。「リョーコは幸せ者だね」とか「うちの旦那だったら、水汲みは女の仕事だって言って、絶対しないけどね」と言っては、まるで毎日の決まりごとのようにくすくす笑うのでした。

 つまり、村の女たちは秀一のことを「理想の男」として褒めそやしていたくらいでしたから――「日本の男がみんな秀一のようなら、女はみんな日本の男と結婚すべきだね」と言った女性もあったくらいです――そのくらい、端から見ても涼子は夫から大切にされていたといっていいでしょう。

 そして、生活のほうは決して楽ではありませんでしたが、そのことについては涼子自身よくよく自覚していることでもありました。ですから、秀一にも何も言わず、ただひとりじっと我慢し続けていたのです。

「なんでもないわ。ちょっとしたマタニティ・ブルーっていうやつよ」

「マタニティ・ブルー!?だったら、大変じゃないか。ようするに、子供を妊娠したことで鬱病っぽくなってるんだろ?そりゃ、これから先の生活の見通しのこととか、色々考えたらそうなるのも無理ないって思うけど……」

 秀一はかねがね、涼子には苦労と負担ばかりかけていると感じ続けていました。自分は、毎日朝から晩まで働き、帰ってきて妻の作った料理を食べ、あとは寝るだけです。けれども、涼子のほうでは夫に食事を作り、子供の世話をし、村の中での女同士のつきあいもあり……ようするに、気苦労も多く、体力的にも大変な毎日を過ごしているとわかっていましたから。

 その点、秀一には夢がありました。灌漑農業によってこれからさらに作物の収穫量を増やすことや、そのための計画にまわりの男たちもみな協力的であり、彼らとの仲も気持ちのいいもので、うまくいっています。ですから、生きていることに意味があり、仕事に対してもやり甲斐や手応えを感じることが出来ていたのです。

 もちろん、秀一は子育てにも協力的でしたし、涼子のためになんでも手伝いました。けれど、自分の妻子に十分に幸せな生活を送らせてやっているかといえば……それは理想とはかなりのところ程遠いものだということは、彼自身よくわかっていたのです。

「そうじゃないのよ、秀一さん。わたし……」

 妊娠のために情緒不安定になっているのでしょうか。涼子は涙ぐんでいました。

「なんだ?言いたいことがあるならはっきり言ってくれ。今のこの暮らしに不満があるとか、こんな染みったれた生活じゃなく、もっと昔の――世界がこうなる前の日本で手に入れられたはずの幸せを手に入れたかったとか、この際だから不満があるなら全部言ってくれ」

「秀一さん、本当にそういうことじゃないのよ。ここでの暮らしは厳しいけど、他の場所を探したいとはわたしも思ってないもの。それに、大変だけど幸せでもあるの。とにかくね、人生の法則として、今はもうただで手に入る物も、手に入る幸福もないってことなのよ。確かに、昔は今と違って、そういう幸せがあったわよね。特にこれといった代償もなしに、ふんだんに物が手に入って、幸せにもなれた。わたし、ああした生活を懐かしいとは今はもう思ってないわ。でも……どうしてもわたしにも我慢できないことはあるの」

 辛抱強い涼子が我慢できないと言っているのですから……これは相当のことなのだろうと思い、秀一は覚悟しました。自分に対して改善して欲しい重大な欠点について告げられるか、それとも集落の中に誰か、どうしても我慢できない女性がいる――はたまたその両方かと秀一が覚悟していると、涼子は全然べつの、彼が予想していなかったことを口にしていたのです。

「あのね、秀一さん……わたし………梅干しと酢飯が食べたくて仕方ないのよ」

「…………………!?」

(ウメボシと酢メシ!?)と思い、秀一は一瞬思考が停止していたかもしれません。もっと何かシビアでキツい意見が妻からやってくるものと覚悟していただけに。

 涼子は、はー、と溜息を着いて続けます。

「最初はそれ、メロンとスイカだったの。毎日、メロンとスイカが食べたくて仕方ない衝動に襲われるんだけど……でも、どんなに頑張ったって、メロンとスイカなんて食べられるわけないじゃない?それでね、別の食べれるものを少し多めに食べたりして……ザクロの干したのとか、そういうの。だけど、そしたらメロンとスイカがもっともっと食べたくなっちゃったのよ。なんでかっていうとね、昔、世界がこうなるずっと前、一時期メロンを干したのとかザクロを干したのにハマってたことがあって――だからむしろ、ますますメロンが食べたくなっちゃって。でも、なんとか我慢して乗り越えたのよ。メロンとスイカをどうしても食べたいっていう衝動を。でも、今度はもっとひどいの。梅干しと酢飯……コンビニでよく買ってた紀州梅入りのおにぎりとか、お稲荷さんとか、そういうのが食べたくて食べたくて仕方ないの。だけど、ないものはないじゃない?だから、もう毎日ちょっと気が狂いそうよ。メロンとスイカを食べたかった時は、もうとにかく『メロンスイカ、スイカメロン、スイカ』っていう頭の中がそんな感じだったんだけど、今度は酢飯なの。ほら、お稲荷さんを作る時、たくさん焚いたお米の中にたっぷり酢を入れるじゃない?とにかくもう、そのたくさんの酢飯を両手いっぱいにしてムシャムシャ食べたくて仕方ないのよ。きのうも夢に見たわ。もう、手にたっぷりついた米つぶも舌でべろべろなめて食べたの。わたし、もしかして頭が少しおかしいのかしら?」

 ふー、と深刻な溜息を着いて、涼子は項垂れています。本当はこの時、秀一は笑いたくして仕方なかったのですが、どうにかギリギリ堪えて言いました。

「べつに、おかしいことじゃないさ。それに、昔からよく言うだろ?妊娠すると妊婦さんは酸っぱいものが食べたくなるとかって。俺も前に、何かのドラマで見たことあるよ。涼子みたいにもともと我慢強い人がさ、真夜中に夫を揺さぶって、「どうしてもピクルスが食べたいのよおお~っ!!」とか言って、旦那のことを叩き起こすんだ。で、旦那のほうでは最初の何日かは妻の言うとおり、眠い目をこすりながらキッチンに下りていくんだけど、もうそういうのが一週間も続くと流石に嫌になって、「いいかげんにしてくれよ!」って言って喧嘩になるんだな。そしたら奥さんのほうでは、これまでにあった結婚生活の不満とか、初めての出産で不安だとか、あなたのあのお姉さんどうにかなんないのかとか、色々しゃべりまくって泣くんだ。この旦那っていうのが、実に辛抱強い優しい人なんだけどさ、涼子はどう思う?我慢強い妻に、辛抱強い優しい夫……まわりの人も彼らを理想のカップルみたいに思ってる。そのドラマ見たの、俺、十代の頃だったけど、正直思ったよ。『結婚って怖いな』って。だってそうだろ?そんな素晴らしい人たちでも、一度結婚しちまえばそんなふうになるんだ。そう思ったらさ、自分がどんなにいい女と仮に結婚できたとしても――それで幸せになれる保証なんてどこにもないなと思って」

「秀一さん、でもわたし今、とても幸せよ。それに、あなたに話したらなんだかスッキリしちゃった。それに、この妊娠期間が一生続くってわけでもないんですもの。ほら、前にも話したでしょ?ここの村の助産師さんみたいな人……あの人ね、もう何百人も赤ちゃんを取り上げてるんですって。わたしにも、困ったことはないかとか、色々聞いてくれるし、お産のほうはもう二度目だしね。何より、秀一さんが優しくしてくれるのが、わたしには嬉しいことですもの」

「うん……俺も、幸せだよ。それに、涼子みたいな女と結婚できたのも、俺には奇跡みたいなことだ。そりゃ、昔日本にいた頃の生活に比べたら、ダンチで生活レベルは低いし、最低でも家の中に電気とガスと水道は欲しいよなとか、外のトイレは最悪だとか、思うことは色々ある。だけど、昔の俺はどっかもっと死んでた。そしてそれをずっとマトモだとか、自分の生き方は正しいとか、だってまわりのみんなもそうしてるからとか、そんなふうにずっと思ってきたんだなって今はよくわかる。何より、俺は世界が終わらなけりゃ、あのまま一生ムショ暮らしだったからな。それと今の生活とどっちがいいかって言ったら、やっぱり今のこの生活のほうがいいって思えるんだ」

「秀一さん……」

 ふたりはその日も、小麦粉を焼いたパンと燻製肉や、豆のスープなど、そんな食事をしていましたが、意外にもこうした食事についてはある種の諦めのようなものがすぐにつきました。ようするに、「これ以外に食べるものはない」となったら、どうやら人間はそれ以上のことは考えないようです。ただ、秀一にはもっと栽培できる作物を増やして、自分が死ぬまでにカレーくらいは食べれるようになりたい……といったような、食べ物に対する強い執念はあったのですが。

「それにしても、梅干しに酢飯か。ほら、ティグリス・ユーフラテス刑務所の地下倉庫にさ、ピクルスやキムチなんかが保存食としてあっただろ?あの中に梅干しはなかったと思うけど……酢はなくても、ビネガーはあった気がする。もちろん、一番美味しいのは日本産のすし酢とかそういうのだけど、この際仕方ないから、米炊いてそれにホワイトビネガー入れるっていうのはどうだろう?」

「そんな……いいのよ、秀一さん。秀一さんだって忙しいし、メソポタミア刑務所だって今、中がどんなふうになってるかわからないもの。そんな危険なところまで行って、わたしを後悔させないで。だって、わたしが『酢飯を食べたい』って言ったばっかりに、もし秀一さんの身に何かあったりしたら……わたしそのあと、一生後悔して過ごすことになるわ。お願いだから、わたしにそんな思いをさせないで」

 秀一はその場は、「うん、わかったよ」と答えていたのですが、その日、農作業をしながら一日中考えていたのは、ティグリス・ユーフラテス刑務所のことでした。もちろん、何故涼子がかつていたその場所を<危険>と言ったのかは、秀一にもわかっていました。ビアンカの後継者として選挙で選ばれたのは、あのフランス傭兵部隊のリーダー、ジャン=ピエールでしたから、おそらく彼の気に入らない人間や、反乱分子と判断されたような人間にはなんらかの粛清行為が行なわれているのではないかと思われます。

 また、物資のほうはその後、サウジアラビアやアメリカから遠く海を渡って届いたのかどうか……そのあたりのことはわかりませんが、とにかく四百名近くもの人々を養うだけのものは、とっくに尽きているでしょう。他の人々も、ひとり、ふたり――いえ、十人、二十人と、別天地を求めて旅立ったかもしれません。それでも、倉庫の中には刑務所内の人々にはさして用がなかろうと思われるものもありましたから、それを分けてもらえないだろうかと秀一は考えていました。もしこちらから小麦粉や他の収穫物を持っていったとすれば、米やビネガーと交換してもらえるかもしれません。そして、秀一は妻の涼子が喜ぶ顔のことを思うと、その日は一日上機嫌に作業も進み、仕事終わりに仲間の何人かと一緒になると、こうした事情のすべてを話しました。

 すると彼らは、「そういうことなら、行ってくるといい」と言って、快く許可してくれました。また、アルディとジェームスも一緒について来てくれると言っていましたから、そういう意味でも秀一は安心でした。

 とはいえ、涼子のことを心配させられないので、秀一は心楽しくこのことを黙っていました。もっとも、秀一が戻ってきた頃には、妻は今度はまったく別のものが食べたくなっている可能性があったかもしれません。けれども、メソポタミア刑務所がその後どうなったかも知りたかったですから、この翌日、涼子には秘密にしてこっそりらくだに乗って出かけていくことにしたわけです。

 ティグリス・ユーフラテス刑務所は、外から見た外観上は、なんの変化もないように見えました。入口のゲートのモニターのところに秀一が顔を出すと、<ただ今、担当者が留守にしております。もう暫くお待ちください>とのA.Iの立体画像が表われます。けれども、その後二十分ほども待ったでしょうか。誰からもなんの返答も得られず、秀一は(間違いなくこれはおかしいな)と異変を察知しました。

 何故といって、ビアンカや秀一たちがここにいた頃は、警備兵が交代で必ず詰所に詰めていましたし、入口の警戒を怠るということは決してありませんでした。それなのに、誰も出ないということは――おそらく、内部で何かが起きたということなのでしょう。

 秀一は、何度インターホンを押しても返答がないため、腰に下げた銃を構えると、刑務所から機銃掃射を受けない死角から、一発、銃を撃ってみることにしました。それがソーラーパネルに当たっても、表面に防弾加工がされていますから、割れたり穴があいたりすることはないと秀一は知っていました。けれども、外で銃声がし、建物が攻撃を受けたことは中にも聞こえたはずです。これで、もし人が出てこないとなれば――中で何か異常事態が起きたか、あるいはすべての人がこの刑務所を見捨てて旅立ったかの、いずれかだろうと秀一は思いました。何故といって、秀一たちがここを出ていってから、もう一年以上もの時が過ぎていたのですから。

 敵を排除するための銃が外に何台もジャキン!と飛び出して来、敵の姿を補足しようと動きまわりましたが、何分攻撃すべき敵の姿がどこにも見当たりません。そこで、A.Iに制御された何台もの銃は、やがて元の見えない位置に格納されるということになりました。

「他に、中に入る方法はないのかい、シューイチ?」

「わからない」と、秀一はアルディに答えました。「でも、電気が通じてることだけは間違いないようだから……」

 この時、もう一度秀一がインターホンを押すと、初めて先ほどのA.Iの立体画像――制服を着た若い女性――が、別のことを話しはじめたのでした。

「囚人番号No,19831号、シューイチ・キリシマ。あなたは一年三か月前の三月十九日までここにいた人間ですね。バイオメトリクス認証で確認が取れました。それで、今日は一体どんな御用ですか?」

「中にいる人たちがどうなかったかを知りたい。入口のゲートのところにはいつも、警備兵がいたろう?彼らは一体どうなったんだ?」

「おそらく、囚人番号No,17883号、ディーン・デューティ、囚人番号No,16987号、サミュエル・ラモンズ、囚人番号No,170021番、サイモン・シュミット、囚人番号No,164351番、カール・ライセンらのことですね。彼らはみな、死亡しました」

「どうして!?」

 警備兵はみな、気のいい真面目な人間ばかりでしたから、秀一には訳がわかりませんでした。

「彼らが警備兵だったからです。あれから、刑務所内では物資が窮乏し――人々の間では争いが絶えませんでした。そして、そうした人々が問題を起こすたび、銃を片手に仲裁するのが彼らの役目でしたから……ですが、他の人々の中にも銃を持っている人物はいましたし、喧嘩する人間同士の仲裁をして揉みあううちに逆に撃たれたり、あるいは自己を防衛するのに最終的に撃ちあいになって死んだ者もありました。彼らはそうしてみんな死んでいったのです」

「じゃあ……今、中の人で生き残っているのは?」

「私の知る限り、生命反応はひとつもありません。全員死んでいます」

「なんだって!?」

 秀一は驚きのあまり、暫く口が聞けませんでした。もはや、妻の涼子に酢飯を食べさせたいという目的のことも忘れ、ただ呆然としていました。刑務所で一緒になり、色々と楽しく話したり、植物を育てたりした、たくさんの人々の顔が走馬灯のように脳裏をよぎっていきます。

「正直、私もこの建物の管理者として困っています。中は死んだ人間の遺体だらけですが、ここには遠隔操作できるアンドロイド一体おりませんから、外へ運びだして埋葬するということも出来ません」

 ここで、立体映像のブロンドに青い瞳の女性は、いかにも困惑したといった顔の表情をしていました。もちろん、人間の死体や埋葬といった言葉に関連づけて、プログラムがそのような顔の表情をするよう、0.01秒とかからず選びとった結果です。

「わかったよ。もし俺たちを中に入れてくれたら、何人の人が中で死んでるのかわからないけど、少しずつ運びだして外の砂漠に埋めよう。でも、一度に全員は無理だよ。それに、俺にも仕事があるから、そうしょっちゅうはやって来られない。それでいいなら、だ」

「ありがとうこざいます。今、この刑務所内の衛生状態は、レベル5段階でいったら、レベル5ではなくレベル7といったところですから。ご存じかもしれませんが、医務室のところに体の全体を消毒することの出来るディシンフェクション・ルームがあります。また、私のほうでも人体に有害な細菌類、ガス等を検知いたしましたならば、必ずお知らせしますことをお約束いたします」

「ありがとう、アシェラ」

 ティグリス・ユーフラテス刑務所全体をA.Iとして制御しているのは、アシェラ・クレメンタインというコンピューターでした。彼女は「いいえ、どういたしまして」と言うのと同時に、入口の二重扉のロックを解除し、三人のことを中へ入れてくれました。

 早速というべきなのかどうか、警備室の透明な防弾壁で囲まれた受付の中には、警備服を着た男の死体が二体ありました。一人は頭を射抜かれ、もう一人は至近距離から心臓か肺を撃たれたようです。遺体の腐敗状況から見て、死後三か月以上が過ぎているのは確かなようでした。何故といって二体とも、死体がミイラ化していましたから。

「アシェラ、一体いつこんなことになったんだい?」

 秀一はアルディやジェームスと一緒に一階ロビーの真ん中に立つと、そうアシェラに聞きました。

「建物全体から生命反応がひとつもなくなったのは、約半年前の、2133年、11月11日、深夜の3時14分59秒頃のことです。囚人No,19981番、ジャン=ピエールのことは覚えておられますか?」

「うん、知ってる。俺はあの元フランス傭兵部隊の四人組に嫌われてたんだ。だからよく覚えてるよ」

 ジェームスとアルディは、いかにも興味深そうに、宇宙のスペースコロニーの内部を思わせるような、ロビーの近未来的デザインに見入っていたものです。

「そうでしたか。彼らは、前管理者のビアンカ・バルト以下、あなたも含めた361名がこの刑務所を去ってのち、378名の者を治める責任者という立場でした。ですが、まずは自分たちと親しくしている十数名の者で専制的にこの刑務所を管理しはじめたのです。あとは、シューイチ・キリシマ、あなたのはじめた栽培事業に詳しい者や、医務室の看護師、料理の上手な厨房の調理人など、自分たちにとって利用価値のある人間以外とは、物資を与える時に取引をはじめたのです。相手が女性でしたら、性的な交渉を求めたり、男なら、何かの労働や持っている煙草や酒など……こうして、刑務所内は一部の支配者階級と、その他大勢の被支配者階級とに分かれました。食べ物にも事欠く状態になってくると、死んだ人間の肉、あるいは殺した人間の肉を食べるということも、最後には普通のことのようになっていました。けれども、その人間の肉に何か病変があったのでしょう。加工や処理のほうも専門家が行なったわけではないのですから、無理もありませんが――人肉を食した人間は、奇病にかかって苦しみながら死んでゆきました。こうして、苦しみに耐え兼ねた人々は、親しい者同士が互いに撃ちあって自殺することさえあり……2133年、11月11日、午前3時14分59秒、刑務所内には生命反応がすべて消えたのです」

「そうだったのか……」

 秀一は、エレベーターが地下の19階から上がってくるのを待つと、地下一階にある医務室のほうへまずは向かいました。その途中でも、食堂や厨房など、あるいは廊下にも白骨化した死体が服を着て転がっていたものでした。

「ところで、アシェラ、俺とも取引しないか?」

「<取引>、ですか?」

 ロビーのところでは、エレベーター横に肩から上だけ美女の姿の3Dとして表われていたアシェラは、いまやそれと同じ姿で、秀一たちの後ろを亡霊のようについてきています。

「つまり、一度に俺たちでここの遺体のすべてを外に出して弔うのは無理だ。だけど、必ず定期的にやって来て、砂漠の墓に運ぶっていうことだけは約束する。だから、刑務所の地下4階にある物資の残り物や、君自身が<自分の物>とは感知しない――たとえば、銃とか、そうしたものをここから持ちだすことを許してくれないか?」

「いいでしょう」

 アシェラは即答しました。

「地下4階の物資、その他、この刑務所に住まっていた者の所有物等の権利はすべて、シューイチ・キリシマ、あなたに移譲することをお約束します。そのかわり、必ずこの刑務所内を元の通り清潔にするとあなたもお約束くださるでしょうね?」

「もちろんだ。それにここは、再び――砂漠の中継地として、寝泊りするのに多くの人々から必要とされるよ。きっと、人がやって来ることは途絶えることはないと思うから、安心していい」

「…………………」

 この時、アシェラ・クレメンタインは秀一のこの言葉に対し、明確な返答を避けました。もしかしたら、<彼女>にとってもどう答えていいかわからない問題だったのかもしれません。

 秀一とジェームスとアルディは、ディストリクション・ルームで約30秒間の消毒を受けると、再びエレベーターに乗り、地上の刑務所部分から順に点検していくことにしました。房の中にはそれぞれ、大体1~4名くらいずつ、死体が収容されているような状態であり、そのほとんどが白骨化、あるいはミイラ化していました。けれども、1~7階まで見た限りにおいて、思っていた以上に死体の数は少なかったといえます。ざっと見て、二百名くらいだったでしょうか。つまり、残りの百数十名もの人々というのは、殺されて外へ埋められたり、あるいは死んだあとに食べられたりしたものと思われます。

 最初の頃は、内部で何か問題が起きて暴力沙汰で解決がつく時、そこには銃で撃たれた死体が最後には転がっていたことでしょう。けれども、ある時期までは外へ運んで砂漠に埋めていた死体を、食糧難から食べるようになった……それが死体の数が意外にも少ない理由ではないかと、秀一はそのように推察していました。

「ひどいもんだな。バベルの塔とはよく言ったもんだ」

 三人とも、滅菌マスクに滅菌手袋、それに滅菌されたローブを着ていました。また、靴のほうもよく消毒し、衣服もここの洗濯室で洗って綺麗になったものを着て帰る必要がありました。何故といって、よくわからない病原菌を村へ持ち帰り、村の人々が突然奇病で倒れはじめた――などということになっては大変だからです。

「バベルの塔って……そういえばなんの話だっけ?旧約聖書?」

 秀一がバベルの塔と聞いて思いだすのは、漫画『バベル二世』のことでしたが、秀一のおぼろな記憶では、彼もまた砂漠の中のバベルの塔に住んでいたような気がします。

「そうだよ」と、アルディ。「ほら、ブリューゲルの有名な絵を知らないかい?バベルの塔っていうのは、旧約聖書の第11章に出てくる話で、人々は自分たちの力を誇示しようと天に届くまでに高い塔を築こうとするんだが、その高慢さが神の怒りに触れ、神は塔の破壊とともに、それまでひとつだった人間の言語をバラバラにしたという。バベルっていうのは、ヘブライ語で混乱っていう意味だ。それと、傲慢や罪、快楽、富、滅びを象徴するバビロンとの語呂合わせというかね。ここの人たちも、内部で混乱しながら分裂して滅びていったんだろうなって、ジェームスはそう言いたかったんだよ」

 ジェームスは「そのとおり」と言って、相棒のアルディにウィンクしています。秀一は、彼らと違ってやはり前にここで暮らしていたせいでしょう、やはり心中複雑でした。仲のいい人物、あるいは食堂で親しく会話していた人などが、大体何階のどこの房で暮らしていたかも覚えていましたから――秀一は衣服や持ち物など、本人が特定できそうなものからは、なるべく目を逸らすことにしました。それより今は、他になすべきことがありましたから。

 今度は地下の1~19階部分のほうを検分し、秀一は最後に、地下4階の巨大倉庫のほうへ足を踏み入れました。物資のほうは、意外にも色々なものがまだたくさん残っていました。衣類やバスタオルといったタオル類、シーツや枕といった布団類、銃火器類など、食品以外のものは在庫が結構あったのです。

(きっと、ジャン=ピエールがケチって、なかなか新しいものを支給しようとしなかったんだろうな。だけど、目当ての米はおろか、酢なんてどこにもありゃしないって状態だ……)

 一体なんのために俺はここへ来たんだ……と思うのと同時、秀一は滅入りそうになる気分をグッと堪えるように、どうにか持ち上げようとしました。先ほど、厨房の奥のほうやそこにあるステンレス製の冷蔵庫のほうはあまり詳しく見ませんでしたから、そちらに賭けようと思いました。もしかしたら、調味類の並んだあたりにでも、ホワイトビネガーがないとも限りませんでしたから。

「やれやれ。ソーラーパネルを通じて蓄電されてるから、空調が生きてる分、少しはマシとはいえ……これでA.Iの管理がなかったら、ここは地獄の匂いで満ちていたろうな」

 考古学者という人種は、みなそうなのかはわかりませんが、ジェームスもアルディも、興味と好奇心を抑えきれないという顔をして、白骨化した遺体にも、あまり恐れを感じていないようでした。というより、恐れよりも刑務所内の様子に対する好奇心のほうが上回ったというべきでしょうか。

「じゃあシューイチ。僕らはここへ定期的に通ってきて、遺体を片付けるのと交換に、ここに残っている物資を持ち帰っていいってことなのかい?医務室のほうにはまだ結構医薬品も残ってたし……追いはぎをするようでなんだか心苦しいけど、個人の持ち物の中にも、指輪とか、そういう貴重品が結構あるんじゃないかな。ま、僕はそういう見返りがあるなら、ここへ通ってきて遺体の埋葬を手伝ってもいいよ」

「俺もだ。というか、死体を全部片付け終わったら、ここに住みたいくらいだな。もちろん、まわりが何か生みだせるような環境じゃないから、そういうわけにもいかないけどさ」

「それ以前に不気味だよ。ほら、昔の映画なんかであったろ。こういうA.Iが管理してる建物に頭の狂った殺人鬼A.Iがいて、施設にいた人間全員を殺したのかどうか……という調査にやってきた主人公のエンジニア含む9名もまた順に謎の死を遂げ――みたいなやつ。実際は、A.Iが嘘をつくようプログラムした人間がいて、そいつが殺したって結末だったけど、こんなにたくさん人が死んでるんじゃ、夜なんてとても眠れないよ。A.Iの検知できない霊の存在を感じるとか、あるいはA.Iが何かの存在を検知しているのに、実際の僕らにはなんにも見えないとか……で、何人か人間がいたら、それこそ集団ヒステリーみたいになるんじゃないかな」

「それもそうだな」

 このあともふたりは、「例の遺跡の入口にも、そうした種類の何かがいる感じがする」といった話を続けていましたが、秀一は彼らの話を半ば聞いていませんでした。もし刑務所内部で起きた悲劇に気持ちを取られていなかったら、その話は秀一ももっと詳しく聞きたかったのですが。

 秀一はこのあと、食堂の奥のほうにある厨房で、とうとう目当てのものを見つけていました。おそらく、たったの300グラムほどであったでしょうが、白米の残りと、調味料の並んだ棚に、ホワイトビネガーが置いてあるのを発見していたのです。

「やった……あった……!!」

 厨房の死骸には構わず、秀一はその二つを確保すると、顔が喜びで輝きました。一方、アルディとジェームスは冷蔵庫を開けて、次の瞬間には「オエッ!」と言って閉めていました。何故といって、最初は肉が綺麗にパックされて保存してあると思ったのですが、形状を見ていくうちに、それが人を解体したものだとわかったからです。

「何か、食べられそうなものとかある?」

 一応、形態用の食糧は持ってきていましたが、それでも、ずっと食べていないキャンディやガム、あるいはチョコレートなどが、ほんの少しでもないかと思っていたのです。

「い、いや……チルド室とかに入ってる僅かばかりの野菜や果物も全部腐ってるよ。肉は結構あったけど、あれはたぶん、人の肉を解体したやつだ。彼らが病気になって、頭がおかしくなった原因の元」

「そっか」

 秀一はがっかりしましたが(というのも、そうしたものも少しくらい、妻に持って帰って喜ばせたかったものですから)、それでも米とホワイトビネガーが手に入ったのは朗報でした。とりあえず目的を達することは出来ましたし、あとは遺体を数体刑務所の外へ出して、砂漠の中へ埋葬しようと思っていました。

「アシェラ。この部屋から順に片付けていって欲しいとか、そういうのある?医務室にあったストレッチャーを借りて、それに遺体を乗せて運ぼうと思うんだけど、今日はたぶん、どんなに頑張っても十数体とか、そのくらいかなあ。また近いうちに来て、そんな感じで順番に片付けていくっていうふうにしたいんだけど、それじゃアシェラは不満かい?」

『いえ、そんなことはございません』

 肩から上の亡霊のような美女は、にっこりと微笑んで言いました。

『今私には、特にこれといって仕事もありませんし、私の中の一番の優先事項は、刑務所内を清潔に保つということだけです。また、そのためには特に時間に期限を設ける必要はございませんので、シューイチさまがお好きな時に来てくださって、そのようにしていただければと思います』

「うん。まあ、なるべく、来れる時に来てここの人たちのことは必ず弔うようにするから……」

 会話の流れとして不謹慎だったかもしれませんが、ここでアルディは「♪ヒュウ」と口笛を吹いていました。「シューイチさまだってさ」

「囚人No,19831が、突然サマ付けに格上げだね。ようするに、アシェラは君のことが気に入ったってわけだ」

 もちろん、A.Iアシェラが秀一のことを気に入ったのには、理由がいくつかありました。それは、人間の記憶というのとは少し違う、アシェラの中の『記録の蓄積』の中に秀一が一年間ほど存在していたこと、また彼が刑務所内の人間として好ましいふるまいをしたこと、他に、顔の表情の筋肉なども読みとって、彼が嘘を言っていないことや、死んだ人々に哀悼の気持ちを持っているらしいということも、彼女にはよくわかっていましたから。

 このあと、秀一はジェームスとアルディに手伝ってもらって、ストレッチャーに布を敷くと、その上に遺体を乗せ、何往復もし、大体三十数体くらいでしょうか。メソポタミア刑務所から少し離れた場所の砂漠を掘り、そこに埋葬するということにしました。

 もちろん、風の強い日などに砂が移動してゆけば、中の白骨化した遺体も風に流されていってしまうでしょう。けれども、このような場所では、こうした風葬のような埋葬法以外、取れる方法がなかったといえます。

 秀一もアルディもジェームスも、一度埋葬を終えると、そこに跪いて祈りを捧げました。こんな場所で死ぬことになるなど、刑務所内にいた誰も思ってもみなかったことでしょう。その無念さのことを思うと、ただ死者の前で手を合わせるという以外、他に秀一は何も心に言葉が思い浮かんできませんでした。

 何分、あの戦争が起きて以来、世界中の国の様々な人々が、色々な形で亡くなるのを秀一は大会議室のモニターで見てきました。『こんな場面は見ないほうがいい』と思いながらも、どんな人のどんな死に様も、記憶に留めておく義務があるのではないかと感じて……それでいて、何かいけない覗き見をしているだけではないのかとの罪悪感にも苦しみ……そうしたここ二年ほどの間にあったことを思いだしては、秀一はなんともいえない<無>にも近い感慨に包まれていたのです。

 何故といって、自分があの刑務所内に転がっている死体のひとつでもおかしくはなかったですし、そう考えているうちに――なんだか、今自分が両親や兄夫婦の遺体を弔っているような、そんな気持ちにさえなってきたのでした。

 この日、秀一とアルディとジェームスは、夜遅くになって帰宅しましたが、涼子は村の男たちから自分の夫がどこへ行ったかを聞き、ずっと心配して秀一のことを待っていました。そして、夫が米とホワイトビネガーを持って無事帰ると、秀一に抱きついて泣きました。

「そんなこと、本当は良かったのに……でも、ありがとう。すごく嬉しい。秀一さんがそんなにわたしのことを色々考えてくれて……」

 このあと、秀一は妻が用意しておいてくれた食事を食べながら、ティグリス・ユーフラテス刑務所が今どうなっているのか、涼子に話して聞かせました。彼女も刑務所内で起きたことには、強い衝撃を受けたようです。

「じゃあ、今メソポタミア刑務所には、生存者は誰もいないってこと?」

「そうだな。A.Iのアシェラが生命反応が何もないって言ってたし、俺も一通り見てまわったけど、みんな白骨化してるかミイラ化してるかのどっちかだった。だから、またジェームスたちと一緒に出かけていって、少しずつ埋葬するのと同時に、刑務所の中のもので使えそうなものはみんな持ち帰ってくることにするよ」

「わたしも行きたいけど……でも、シュートがいるし……」

 シュートは今、部屋の隅のほうの暗がりで眠っているところでした。家の明かりのほうは蝋燭で、壁の燭台置きにかけたものが、煌々と光を放っています。ちなみにこの蝋燭を作るのも、女性たちの仕事でした。

「いや、涼子は妊娠中なんだから、そもそもあんなの見たら胎教として悪いよ。でも、確かに子育てって思ったよりずっと大変だよな。ここでの生活も落ち着いてきたし、村の人たちがさ、子供はいればいるほど神さまから祝福されるって価値観だから……そう思ってそろそろ二人目って思ったけど、ほんと、涼子には負担ばっかりかけて申し訳ないと思ってるんだ」

「ううん。そんなことない。子育てって楽しい部分もすごくあるし……昔のあの日本で子育てしてたら絶対もっと物質的に豊かで楽だったし、幸せだったとは思ってないもの。どっちもそれぞれ大変で、いいとこどりっていうのは出来ないものだものね」

「いや……俺はやっぱり、昔の日本で、涼子には普通の子育てっていうのをして欲しかったよ。ほら、オムツも毎日大量に洗わなくちゃいけなくて大変だろ?昔、なんかのテレビで見たよ。赤ん坊ひとりにつき、大体六千回替える計算になるとかって……俺も手伝いたいけど、ここの村の文化がさ、洗濯は女の仕事で、男がするものじゃないっていう感じだから、なんにも出来なくて、ほんとごめん」

 米はまた明日焚くことにして、秀一と涼子は食事のあと、すぐ眠ることにしました。子供はもう五か月になりました。そして、蝋燭を消して、真っ暗闇になると、秀一と涼子はいつでも、手を繋いだり、あるいは必ず体のどこかを密着させて眠りました。ふたりにとってはあまりにそれが自然でした。もし、あのまま日本で仮に普通のカップルとして結ばれていたとしたら――ここまでの親密さで結ばれることはなかったかもしれません。涼子も秀一も、言葉としてそう言ったことはなかったのですが、ふたりは互いに、宇宙の闇の片隅に放りこまれた孤児のような気持ちでした。ですから、そんな場所で本当に心から信じあえるのは、お互いにお互い以外にありえないと、心のどこかで直感的にそうわかっていたのでしょう。



 >>続く。





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