仙丈亭日乘

あやしうこそ物狂ほしけれ

【昔の手帳から】 2月21日 (81年:DX東寺)

2012-02-21 00:01:00 | 昔の手帳から
【1980年】(浪人)

Choice 10:30~12:20 (42)
古文單語 1st同上、2nd 13:10~14:00,14:10~15:00

木曜日。


「Choice」は駿台の名物講師だつた伊藤先生の講座。
私立文系の入試は既に始まつてゐたが、一次志望の國立大學や二次志望の早稻田の入試が控へてゐたので、最後のあがきをしてゐたものと思はれる。
「古文單語」といふ講座は覺えてゐないが、古文の名物講師である高橋先生の講座だつたのかもしれない。
古文については、いまさら讀解や文法をやつても手後れだが、頻出單語を復習するのは效果があると考へたのだらう。




【1981年】(1囘生)

DX東寺 with カサイさん

土曜日。

アパートの先輩であるカサイさんに誘はれて「DX東寺」へ。
彼は産大の6囘生で、この3月末で中退し郷里に歸ることが決つてゐた。
京都の思ひ出に「DX東寺」に行きたいので附き合つてくれと云ふ。
ちなみに、「DX東寺」といふのは、もしかすると京都に住む男性の半數以上はその存在を知つてゐるのではないかと思はれるほど有名な劇場。
女性によるライヴパフォーマンスが演じられ、時には觀客參加型のパフォーマンスもあると聞く。

カサイさんを單車の後ろに乘せ、寒風をついて、北の果て岩倉から京都市街地を縱斷して京都驛の南の東寺まで。
先輩の誘ひなので、てつきり奢つて貰へるものだと思つてゐたら、さうではなかつたのでガッカリ。
40歳を越えてゐるとおぼしき女性が、セーラー服を來てバスケットを腕にかけて、スキップして登場したのでガッカリ。
觀客參加型パフォーマンスの「マナイタショー」(あれ?ナマイタだつたかな?)では、指名されて登板した男性が私の擔任であるドイツ語教授そつくりだつたのでビックリ。
ともあれ、具體的な金額は忘れたが、當時貧乏學生だつた私にとつては學割(!)でも安からぬ料金だつただけに、この日のパフォーマンスはとても殘念だつた。
社會人になつてから、「DX東寺」に行つたことがあるといふ人に何人か會つたが、私のやうな悲慘な内容だつた人は一人もゐない。
こんなことに貴重な金を費やした罰があたつたのかもしれない。




【1982年】(2囘生)

入塾説明會、入塾テスト
麻雀 (タカヤス、カワムラ、オオニシ、ホサカ) 半莊10囘 -¥2,300

日曜日。

枚方の塾で入塾説明會と入塾テストを行なつた。
同じ日に實施してゐるのが奇妙にも思へるが、入塾テストのはうは入塾希望者の都合に應じて何度か實施したのかもしれない。
生徒の友達なども試驗を受けてゐた筈だ。

麻雀をしてゐる。
面子がかなり珍しい。
タカヤスは高校3年の同級生で立命館に進み、金閣寺の近くのアパートに住んでゐた。
その彼が岩倉の私の部屋まで來てゐるといふのが珍しい。
原付を飛ばして來たのだらうか?
カワムラはクラスは違つてゐたが高校の同窓で、私と同じ大學の學生。
彼は修學院に下宿してゐたので、岩倉までは自轉車でも來られる距離だし、時々私の部屋にも遊びに來てゐた。
オオニシは同じアパートの住人で京コンの學生。
普段あまり附き合ひはなかつたが、面子が足りない時など麻雀に附き合つて貰つた。
ホサカは同じアパートに住む同志社の學生で、彼は麻雀のいはばコアメンバーだつた。
ところで、4人の名前が書いてあるといふことは、私を含めて5人で麻雀をしてゐたことになる。
「2拔け」(2位になると拔ける)でやつてゐたのだらう。
みんな高校生の頃から麻雀をしてゐただけあつて強く、私は2千円ほど負けてしまつた。




【1983年】(3囘生)

教養 試驗終了

月曜日。

一般教養の試驗期間がこの日で終了したらしい。
一般教養の單位は2囘生までに殆ど取つてゐた筈だが、理系(自然科學)の單位がいくつか殘つてゐたやうだ。




【1984年】(4囘生)

イヴ・ティボーデ 19:00 Sym.H
HにTel 途中で切れてしまふ

火曜日。

大阪のザ・シンフォニーホールで、 ジャン・イヴ・ティボーデ のコンサートがあつたらしい。
彼は當時22歳の新進氣鋭のピアニストで、いまで云ふ「イケメン」だつたので日本でもたいへん人氣が高かつた。
一應、手帳にリサイタルの豫定は記入してゐたが、行くつもりはなかつた。
リヒテル2枚×2囘で私の財布は寂しくなつてゐた。

Hに電話したらしい。
この年に入つてから、Hとは一度も會つてゐないし、電話を掛けてもすげなくされてゐた。
イヤな豫感に怯えつつ、折にふれて電話したのだが、關係修復は出來なかつた。
この日も電話が途中で切れてしまつた。
これはアパートの電話がピンク電話で、10円玉が溜まると切れてしまふのだつた。
電話を上下左右に振つて掛け直すと使へるやうになることもあるが、それでもダメだともうどうしようもない。
そのことはHにも話してゐたので、前年までは掛け直してくれた。
しかし、この日は掛つて來なかつた。






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