仙丈亭日乘

あやしうこそ物狂ほしけれ

山行11:尾瀬・燧岳_その2 (1977年3月)

2004-04-06 20:54:55 | 想ひ出の山
場所: 尾瀬
時期:1977年3月
ワンポイント :千葉高山岳部 昭和51年度春山山行
コース :戸倉 大清水 三平峠 長藏小屋BC (テント2泊)~ 燧岳 (2346mH) 長藏小屋BC (テント泊)~往路を戸倉まで

<メンバー(假名)>
顧問:櫻井先生
OB:濱田さん(S49卒)、高橋さん(S49卒)、大嶋さん(S50卒)
2年:寺本さん(CL)
1年:市原、日下、方波見、私(SL)


<3日目>

昨夜の内に風雪がおさまり、食テンが起床した朝3時には星が瞬いてゐた。
けふは天氣が良ささうだ。
朝食後、非常食、水、アイゼン、カメラなど必要なものだけをサブザックにつめて出發する。
やはり天氣は快晴。
5萬分の1地形圖に記されてゐる「長英新道」と云ふ夏道沿ひに歩いて行く。
とは云つても、ここが登山道ですと云つた印など何もないので、地形圖とコンパス頼りなのだが。
シノブチ岳から東に延びる稜線に取付いたところで、1本とる。
ここから標高にして200メートル位は樹林帶のなかの登りらしい登りとなり高度を稼ぐところである。
この途中で1日目に拔かれた山スキーのパーティーにまたも拔き去られる。
山スキーの威力絶大なり。

シノブチ岳の東側、標高2150メートル、地形圖に濕原の記號のあるあたりでアイゼンを裝着。
右手には燧の頂上が見えてゐる。
春の日差しが雪面に反射してまぶしい。
いよいよ殘り200メートルは岩の多いところで雪もクラストしていて注意が必要なところ。
頂上直下の標高差50メートルは平均斜度35度ほどの急斜面で愼重にアイゼンを效かせて登る。

頂上からの展望は素晴らしいの一語に盡きる。
西には尾瀬ヶ原を挾んで至佛岳から平ヶ岳、そのまま西北に續いて越後の山々。
東には我が千葉高山嶽部の先輩諸氏が活躍した南會津の山々。
南西には昨年の秋山でいつた上州武尊。
まさに360度のパノラマが廣がつてゐた。
空を見上げると、黒ずんだやうに感じるほどの蒼い空であつた。
頂上のすぐ西に柴安グラと云ふピークがあり、その斜面がアイゼンワークの練習にちやうど良い急斜面なのだが、
兩側が切れ落ちてゐて、もしも滑落して止められなかつたら、それこそオダブツなので見送られた。
個人的には殘念であつた。

我々が頂上に着くのと入れ違ひのやうにして、
山スキーのパーティーはシールを外して、一氣に東側斜面を滑り降りていつた。
昨日來の新雪なのでかなりむづかしいと思ふのだが、見事なものだつた。

我々はアイゼンを效かせて一歩一歩愼重に降る。
特に前爪のあるタイプのアイゼンを履いてゐる奴は、
その爪を反對側の足のオーバーズボンの裾に引つ掻けないやうに十分に注意をする必要がある。
初めて知つたのだが、視線の位置の關係からか、登りよりも下りの方がいつそう傾斜が急に感じられる。

往路でアイゼンを着けたところで晝食。
登つて來た燧の頂上を眺めながら名殘を惜しむ。
あとは途中で着けて來た赤布を囘收しながら、シリセードを交へて、のんびりと下る。

BCに着いたのは、まだ午後も早い時間だつたので、
昨日のテントの中で濡れたものを、木立の枝やテントの屋根に廣げて乾かした。

<4日目>

最終日。いよいよ尾瀬ともお別れである。
天候は高曇りで、雪の心配はなさそうだ。
テントを撤收してパッキングする。
家テンは雪がこほりついてしまい、いくら掃ひ落しても、もとどおりの大きさに疉めない。
私のザックは食糧の占める割あひが大きかつたので、來る時よりはかなり輕くなつたのだが、
家テンを背負ふ方波見のザックは、むしろ來る時よりも重い位だつたやうだ。

三平峠で尾瀬の見納め。
ひたすら林道を下る。相變らず、救助隊の出動を要する。
途中、OBの大嶋さんが、轉んだ拍子にコンタクトレンズを落してしまひ、
コンタクトレンズ搜索隊を急遽編成して搜索にあたると云ふアクシデントがあつたが、
これも無事發見できて、事なきを得た。

戸倉でバスを待つまで、温泉につかる。
良い山行の有終の美を飾るのは、これまた良い温泉であつた。
湯上りのビールのおいしかつたこと!!






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