仙丈亭日乘

あやしうこそ物狂ほしけれ

山行11:尾瀬・燧岳_その1 (1977年3月)

2004-04-06 20:53:15 | 想ひ出の山
場所 : 尾瀬
時期 :1977年3月
ワンポイント :千葉高山岳部 昭和51年度春山山行
コース :戸倉 大清水 三平峠 長藏小屋BC (テント2泊)~ 燧岳 (2346mH) 長藏小屋BC (テント泊)~往路を戸倉まで

<メンバー(假名)>
顧問:櫻井先生
OB:濱田さん(S49卒)、高橋さん(S49卒)、大嶋さん(S50卒)
2年:寺本さん(CL)
1年:市原、日下、方波見、私(SL)


夏が來れば思ひ出す、と云ふ、はるかな尾瀬が今囘の春山の舞臺である。
家テンとウインパーを持つて行つたため、裝備が重くなり、私のザックは初めて30キロを超えた。
ちなみに家テンとは、家型テントの略で、帆布でできた丈夫な重たいテントである。
我々の世代ですら既に過去の遺物的な存在であつた。
取り柄と云へば、荷物を外に出せば8人は寢ることができると云ふ點だらうか。
ウインパーとは當時の冬用テントの代名詞的な存在で、
ポール以外に内側にフレームはあるので風に強いことで有名なテント型式である。
こちらは3名が樂に寢ることができるし、内張りが着けられるので居住性はかなり良い。
他に積雪期に特有の裝備としては、スノースコップや赤布、
その他に、個人裝備になるがピッケル・アイゼンは必携となる。
赤布は迷ひ易いところなどで、木の枝なんかにつけて目印にするためのもの。
OB濱田さんは2メートル位の細い竹の先に赤布をつけたものを數本持參して來てゐた。
さすがは現役の大學山岳部!

<1日目>

さて、戸倉からは雪の林道を登山口まで10キロ近く歩く。
小雪模樣の天氣で、あまり快適なアプローチではなかつた。
道路上は雪がかちかちに凍つてゐて滑り易いため、
路肩近くの、くるぶし位まで雪が積つてゐる部分を選んで歩いて行く。
しかし、路肩を一歩でも外れるといきなり1メートル位の吹きだまりに落込んでしまふ爲、
細心の注意が必要である。
なんせ30キロ以上の荷物を背負つてゐるため、バランスを崩すとたちまち吹きだまりにころがり落ちてしまふ。
さうなると、荷物が重いため一人で立上がることは出來ない。
近くの者が手を貸してやるのだが、手を貸す方も重荷を背負つて不安定なので、
引きずり込まれて二重遭難とあいなつてしまふ。
結局、荷物の輕いOBさんが、遭難救助隊として出動することになる。

現役の全員が何度か救助隊により救出されたころ、やうやく登山口の一ノ瀬に到着。
登山口と云つても、ここから三平峠までは標高差にして300メートル程度なので、
無雪期なら1時間もかからない位の登りである。
トレースがついているのでラッセルの必要はまつたくないが、
ワカン持參のOB濱田さんがトップで、その後を我々現役がツボ足で續く。
山岳部は獲得できる豫算が限られてゐるため、ワカンは個人裝備、
つまり金のあるやつだけが自分で用意する裝備なのである。
現役の高校生ではなかなかそこまで金は廻らないのが現實であつた。
ちなみにワカンと云ふのは、輪カンジキの略で、根曲り竹を熱してリング状にしたもので、
登山靴に取付けると、雪に潛りにくく、かなり歩き易くなると云ふスグレ物である。
この登りでも何度か現役は雪を踏み拔いて救助されたが、
途中で後ろから來た山スキーのパーティーに追拔かれた。
彼らは雪を踏み拔くこともなく、平然と登つて行つてしまつたが、
この時以來、山スキーは私の憧れとなつた。

三平峠から見下ろす尾瀬沼は美しかつた。
とは云つても、沼はなく、一面の雪原である。
ここまで廣くて平らな雪原を見ることができるのは他にはないのではなからうか。
この雪原の上を長藏小屋まで。積雪期ならではのルートであつた。

長藏小屋から少し離れた、夏なら沼の上になる雪原にテントを設營、BCとする。
夕刻から雪は本格的に降り出してゐた。
16時の氣象通報をもとに天氣圖を引いてみるが、どうやら明日は引續き雪模樣となりさうだ。

<2日目>

昨夜はウィンパーの食テンでも、1囘雪かきをした。
家テンでは2、3囘は雪かきが必要だつたらしい。
家テントの場合、構造上、雪に弱いので、きちんと雪かきをしないとテントがつぶれてしまうおそれがある。

さて、朝食時に家テンで櫻井先生とOBさん達の協議した結果、本日は停滯することに決つた。
そうときまると、いきなり暇になるので、BC周りの整備をする。
誰かがスノースコップを使つて、トイレを設營してくれた。
深い雪のなかでの排便は時間がかかる。足場を踏み固めて、かつお尻が自分の大キジに觸れないやうに、大キジの落下地點を掘り下げておかないといけない。
從つて、トイレの設營は重要なのである。
しかし、それでも風雪のなかでの大キジはつらい。
尾籠な話で恐縮であるが、私などは一刻も早く温かいテントの中に戻りたいという氣持から、つい氣合を入れ過ぎて、切れ痔になつてしまつた。
この日以來、私はことあるごとに切れ痔とお付あひしてゆくこととなつたのだが、その時はそんなことになるとは、つゆ思はなかつたのであつた。

さて、やることが盡きるとOBさん達が食テンに遊びに來た。
濱田さんは大學山嶽部の實態など、高橋さんは猥談など。
いつしか、誰がどこから持つて來たものか、非常用のアルコールが食テンのどまん中に鎭坐ましましてゐた。
現役「いいんですか?これ非常用ですよ~」
OB「風雪の中の停滯中だろ。今が非常時ぢやないか!」
我々山嶽部にとつてOBは神樣同然である。神樣に逆つてはいけない。

「乳もふくらみ、毛もはえたあ、お尻もおほきくなりました~、ああおいパンティー膝までさあげえて、早くして、早くしないと、夜おが明ける~」
周圍に誰もいないことをよいことに、いつしか猥歌を放吟し始めてゐた。
私の知つてゐる歌詞では、「お尻もおほきくなりました」ではなく「オソソの味も覺えたよ」なので、さう云つたら、今度はXXXXの呼稱の地域性についての議論となつた。
關東では「おまXこ」なのだが、關西では「おXこ」であり、北海道では「へっぺ」だつたり・・・・以下略。

就寢時には非常用アルコールが1本空いてゐた。






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