仙丈亭日乘

あやしうこそ物狂ほしけれ

山行10:丹澤山系・水無川本谷~主稜縱走 (1977年3月)

2004-04-05 23:00:50 | 想ひ出の山
場所 :丹澤山塊
時期 :1977年3月
ワンポイント :變則的な集中登山~初めての單獨行
コース :
A隊:大倉 水無川本谷 塔ノ岳 最初の鞍部 (テント泊)~ 丹澤山 (1567mH) 蛭ヶ岳 (1673mH) 檜洞丸 (1551mH) 石棚山 (1351mH) 箒澤
B隊:水無川本谷~塔ノ岳~大倉尾根~大倉
C隊:大倉尾根~塔ノ岳~最初の鞍部(幕營)~丹澤山~蛭ヶ岳~主脈縱走

<メンバー(假名)>
A隊:私
B隊:濱田さん(昭和49年卒OB)、横山
C隊:市原、日下、方波見


春山合宿を控へ、トレーニングの意味も含めて、丹澤集中登山をした。

人の動きがややこしいので説明しておくと、
A&Bが一緒に澤登りで、Cは惡名高い「バカ尾根」こと大倉尾根を登つて、全員が塔ノ岳に集合。
その後、Bはバカ尾根を下山し、A&Cは一緒に蛭ヶ岳まで縱走、
そこでAはCと別れて檜洞丸方面へ主稜を縱走、Cはそのまま主脈を北上する。
なんとも慌ただしい「出會ひと別れ」の變則的な集中登山である。

3月と云ふことで、水無川本谷は登山靴のままでの澤登りとなる。
いつもであれば地下足袋にわらぢなので、登山靴ではすべりさうな氣がして、慣れるまではすこし恐かつた。
微妙なフリクションを使つて登ることはできないが、それでも殆どの瀧は直登する。
ただし15メートルの大瀧は、岩がボロボロで、命が惜しいので高卷いた。
かぎりなく忠實に澤筋を詰め上がり、塔ノ岳の頂上附近、東側の稜線に出る。

頂上でC隊の到着を待つ。豫定では午後1時頃には着いてゐるはずなのになかなかこない。
そのうちガスで周圍は何も見えなくなる。
3時近くになつて、やうやくガスのなかから疲れきつた顏でC隊の面々が現はれた。
どうやら「バカ尾根」の階段の幅が歩幅に合はず、同じ側の足にばかり負擔がかかつてしまひ、バテてしまつたらしい。
のみならず、疲れのせいで眠りたくなつて、ガスのなかで晝寢をしたとのこと。
ガスが晴れたら、頂上がすぐ間近に見えてゐたので、あわてて登つて來たさうな・・・
「バカ尾根」の呪ひ、恐るべし!

B隊はC隊の無事を確認し、すみやかに下山。
A&C隊は、頂上から北に下つた最初の鞍部のあたりで、登山道の脇にテントを張れる平地を見つけ、ここでサイト。
夕食はカレー雜炊と云ふ名前の、グチャグチャなカレーであつた。

あくる日は快晴。
丹澤とは云へ、3月の夜は冷え込んだ。
枕替はりにしていた登山靴がこほりついて、なかなか履くことができない。
ちやんとシュラフの下に入れて温めておくべきだつた。

豫定通り、蛭ヶ岳で、私はC隊と別れ、一人、檜洞丸へ向かふ。
ここからは初めての單獨行である。
檜洞丸を越えて食べた握り飯は、かちかちに凍つてゐて、まるで石のやう。
とても食べられたシロモノではなかつた。
それでも、加藤文太郎に憧れ、いつかは單獨行を、と思つてゐたので、氣分は最高だつた。

無事に全工程を終了し歸りのバスの中で、また、單獨行をしたいと考へてゐた。





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