けふは嫁はんの誕生日。
だからといふわけではないが、年休をとつて、嫁はんと映畫「亡國のイージス」を見に行つた。
なかなか良い映畫で滿足できた。
なんと8年振りの映畫鑑賞!
やはり、大畫面で觀ると迫力がある。
夜はタクシーで、割烹「にしむら」へ。
ここは料理が旨いのは勿論、地酒を揃へてくれてゐるので、お氣に入り。
とはいへ、前に來たのは昨年の私&嫁はん合同お祝ひ會。
店の人に、「ずゐぶん、お久しぶりではありませんか?」などと冗談混りに嫌味を云はれてしまつた。
けふ飮んだのは、山形の「楯の川」と「上喜元」、奈良の「嬉長」。
「楯の川」はすつきりとしてゐながら、華やかな酒で、食前酒に最適。
「上喜元」はいはずと知れた銘酒。
「嬉長」は5年古酒とかいふ酒で、どつしりとした味はひ。
最後に、石川の「宗玄」が少しだけ殘つてゐるとのことで、サービスで飮まして頂いた。
歸り際に、「來月はいつお越しになりますか?」などと聞かれてしまつた。
勿論、これも冗談である(と思ひたい)。
旨い酒と旨い料理。
倖せを感じさせてくれる、よい店だ。
でも、私には毎月行けるほどの金がない。
PS:
寫眞の右上の「ホオズキ」のなかには、「まつたけ」さまがゐてはります。
今年初めて頂きました。
どうもありがたうございます!
嫁になりかはり、御禮もうし上げます。
・・・本人はあまり嬉しくないやうですけど(笑)
禁句は「いくつになつたの?」
普段は吹田、豊中からめったに出ない私ですが、先週久しぶりに京都に行って、知恩院から八坂神社、祗園のあたりを歩いてきました。
六波羅蜜寺に向かう道筋に、「幽霊子育て飴」のお店や「小野篁が冥界通いに使った井戸」などがあって、炎天下とはいえ、しばしの涼感を感じる散策でした。
祇園だなんて、滅相もございません(笑)
家からクルマで10分もかからないところにある、「にしむら」です。
行政區分でいふと寶塚市になります。
京都は春の花見に毎年行つてゐます。
今年は祇園界隈を通過して、平安神宮~哲學の道を歩きました。
小野篁といふと夏向きですね(笑)
タイトルの本が新聞の書評欄で紹介されていたので、早速買いました。何人かいる「京女」の友人たちの心情に興味があったので(笑)。
筆者は大徳寺で小僧の修行をなさっていたそうです。読み始めたばかりで今「迷いの窓」「悟りの窓」のある源光庵の話を読んでます。小野篁の井戸のある六道珍皇寺についても記述があるようなので、これから先が楽しみです。
面白さうなタイトルですね。
學生時代に京都の人々にはたいへんお世話になつたので、個人的には「日本一薄情」なんて思ひませんけど(笑)
「京くらま・はやし」といふ佃煮屋さんがアパートの大家さんだつたのですが、家賃を待つて貰つたり、バイトをさせて頂いたり、單車で事故を起こした時には20萬圓も貸して下さつたり・・・
京都の人は少なくとも學生には親切でした。
感謝、感謝!
私の読んでる本ですが、どちらかというと京都の観光案内のようで、それはそれで参考になります。
こんな一節がありました。
京都の人が言う「そら、よろしおすなあ」は「よかったですね」ではなく、「そんな話、どうでもよろし」の意味である、と。
ひぃぃーー(のだめ風に)
なんて恐ろしい!!!
とはいっても私も京都の人に意地悪をされた経験があるわけではありません。京都人については、余所者は劣等感も混じった先入観を持ってしまうようですね。
京都の人は「うち」と「そと」の感覺がはつきりしてゐるやうですよ~
學生さんは、よそもんだけど、いはば「通りすがり」なのでOKなんでせうね。
さういふ意味では觀光客もOK。
一番しんどいのが、「そと」から來て、京都に住み着かうといふ人かもしれません。
「そら、よろしおすなあ」はもしかしたら、京都人同士ではあまり使はないのでせうね。
市田ひろみさんでしたつけ?
お中元のコマーシャルが面白かつたです。
「こまるわあ、そんなことしてもろて」
といひつつ、客が歸ると中身を確認して評價するんです。
京都の雰圍氣が出てゐるやうな氣がしました。