これから出發準備の最終段階。
きのふのうちに、下着やシャツ、カメラ、ネットブックなど、必要最小限のものは用意した。
あとは、こまごましたものを準備すればよい。
2~3泊用の「ゴロゴロ」(キャスター付ナントカ)に全部押込めることが出來るかどうか。
やつてみなければわからない。
出發は9時半から10時頃を豫定。(08:35)
9時40分、出発。
11時10分、ホテル着。
心理的にはもつと遠く感じられるのだが、実際はこんなもの。
それでも、京都は私にとつて遠い。
ホテルから徒歩5分ほどのところにある「鮨 仙太」で昼食。
11:30開店なので、ぶらぶらと時間をつぶした。
で、11:30、意気揚々と入店。
もちろん、客は私ひとり。
カウンター10席とテーブル2席の小さなお店。
大将の土子さんと奥様の二人で店を切り盛りされているらしい。
奥様だとは知らなかつたので、おねいさんに話しかけるかの如く、
「足疲れるでせう。仕事が終わったら足がパンパンに膨れませんか」
などと話しかけてしまつた。
それほど、奥様は若くていらつしやる。
最初はランチの「握り」(1,260円)を頼むつもりだつたのだが、飲み物に日本酒を頼んだところから、予定からはづれてしまつた。
なんやかんやと、つまみになる一品を4品か5品食べて、かつ握りを4貫ほど。
日本酒は4合。
昼ひなかから、こんなことで良いのか!
ま、いいか。
なんてわけで、店を出たのが1時半。
2時間も酒を飲んでいたわけだ。
京都ネーゼ」の森シェフによろしく、と云われて、店をあとにした。
ホテルに戻って、チェックイン。
京都御所に向かう。
今上陛下在位20年を記念して、通常の一般公開では見られないところを公開していたらしい。
順路に従って拝観したら、1時間半もかかつた。
帰りしな、土産物売り場のテントを覗いたら、限定1千個といふキーホルダーがあつたので購入。
限定1千個といふのはどこにも書いていなかつたので、売り場のオヤジさんに、もつと表に出したはうがいいよ、とアドバイスした。
御所で800個、修学院離宮で100個、どこぞで50個、さらにどこぞで50個だといふ。
御所から丸太町まで歩いて、地下鉄に乗り、ホテル帰着。
これから、シャワーを浴びて、6時に京都ネーゼ。
5時40分に出れば間に合うかな? (17:02)
きのふのうちに、下着やシャツ、カメラ、ネットブックなど、必要最小限のものは用意した。
あとは、こまごましたものを準備すればよい。
2~3泊用の「ゴロゴロ」(キャスター付ナントカ)に全部押込めることが出來るかどうか。
やつてみなければわからない。
出發は9時半から10時頃を豫定。(08:35)
9時40分、出発。
11時10分、ホテル着。
心理的にはもつと遠く感じられるのだが、実際はこんなもの。
それでも、京都は私にとつて遠い。
ホテルから徒歩5分ほどのところにある「鮨 仙太」で昼食。
11:30開店なので、ぶらぶらと時間をつぶした。
で、11:30、意気揚々と入店。
もちろん、客は私ひとり。
カウンター10席とテーブル2席の小さなお店。
大将の土子さんと奥様の二人で店を切り盛りされているらしい。
奥様だとは知らなかつたので、おねいさんに話しかけるかの如く、
「足疲れるでせう。仕事が終わったら足がパンパンに膨れませんか」
などと話しかけてしまつた。
それほど、奥様は若くていらつしやる。
最初はランチの「握り」(1,260円)を頼むつもりだつたのだが、飲み物に日本酒を頼んだところから、予定からはづれてしまつた。
なんやかんやと、つまみになる一品を4品か5品食べて、かつ握りを4貫ほど。
日本酒は4合。
昼ひなかから、こんなことで良いのか!
ま、いいか。
なんてわけで、店を出たのが1時半。
2時間も酒を飲んでいたわけだ。
京都ネーゼ」の森シェフによろしく、と云われて、店をあとにした。
ホテルに戻って、チェックイン。
京都御所に向かう。
今上陛下在位20年を記念して、通常の一般公開では見られないところを公開していたらしい。
順路に従って拝観したら、1時間半もかかつた。
帰りしな、土産物売り場のテントを覗いたら、限定1千個といふキーホルダーがあつたので購入。
限定1千個といふのはどこにも書いていなかつたので、売り場のオヤジさんに、もつと表に出したはうがいいよ、とアドバイスした。
御所で800個、修学院離宮で100個、どこぞで50個、さらにどこぞで50個だといふ。
御所から丸太町まで歩いて、地下鉄に乗り、ホテル帰着。
これから、シャワーを浴びて、6時に京都ネーゼ。
5時40分に出れば間に合うかな? (17:02)
私も、心理的に京都は遠くて、でも行けばやっぱし流れる空気が違って良いところですよね。大昔に困ったときは北野天満宮、と入試の頃にお参りに行ったのを思い出します。
良い旅を!
けふも飲んだ帰りに鴨川べりを歩いて来たのですが、さまざまな想ひ出が押し寄せてきて、涙が出てしまひました・・・
50歳近いオヤヂとしては、我ながら情けないですけれども。