仙丈亭日乘

あやしうこそ物狂ほしけれ

【昔の手帳から】 9月10日 (80年:中原中也と夭逝願望)

2011-09-10 00:05:04 | 昔の手帳から
【1980年】(1囘生)

18:00 Tel有豫定。
陽氣で坦々として、而も己れを賣らないことをと、わが魂の願ふことであつた! (中也「寒い夜の自畫像」)
あゝ おまへはなにをして來たのだと…
吹き來る風が私に云ふ (中也「歸郷」)

水曜日。
18時の電話は、おそらく 前日申込をしたコスモシステム 關連の電話だと思ふ。
3年分割が可能になつたといふ報告ではなからうか。

「寒い夜の自畫像」 から引かれた言葉は、私の好きな言葉といふか座右の銘といふか、中也の言葉を借りて自分のありたい姿を定めたといふか・・・
とにかく、いまの自分の姿からは程遠い状態だと思つてゐた。
そして、それは、殘念なことに、50男となつた今でも變つてゐない。

「歸郷」 の一節は、さらに痛い。
私は20歳の時にこの詩に心を撃ち拔かれこの一節を手帳にメモしたわけだが、「おまへはなにをして來たのだ」と自問するにしても振り返る過去は精々5年間と云つたところだらう。
50歳を超えた今こそ、この詩の重さが實感される。
いまの私にとつてこの一節を讀むことは自傷行爲以外の何物でもなく、この文字の羅列は出來るだけ目に觸れないところにこつそりと隱しておきたいシロモノなのである。


中原中也、30歳。
當時(20歳)の私には、不遜にも「夭逝願望」があつた。
なんの根據もなく、自分は30歳を迎へることはないだらう、などと思つてゐた。
天は才能を愛するがゆゑに、天才を早く召されるのだといふ。
自分が天才だとまでは思はぬまでも、市井の人として永へるイメージが當時の私にはどうしても持てなかつた。
「トニオ・クレーゲル」 の「額の刻印」が自分にもあるのだと信じてゐたフシがある。

トニオ・クレエゲル (岩波文庫)
トオマス・マン
岩波書店



<私の夭逝願望に影響を與へた人々>

藤村操、17歳。

巌頭之感
悠々たる哉天壤、遼々たる哉古今、五尺の小躯を以て此大をはからむとす。
ホレーショの哲學竟に何等のオーソリチィーを價するものぞ。
萬有の眞相は唯だ一言にして悉す、曰く、「不可解」。
我この恨を懐いて煩悶、終に死を決するに至る。
既に巌頭に立つに及んで、胸中何等の不安あるなし。
始めて知る、大なる悲觀は大なる樂觀に一致するを。


原口統三、19歳。

定本 二十歳のエチュード (ちくま文庫)
原口 統三
筑摩書房



高野悦子、20歳。

二十歳の原点 (新潮文庫)
高野 悦子
新潮社



レイモン・ラディゲ、20歳。

肉体の悪魔 (新潮文庫)
ラディゲ
新潮社



北條民雄、23歳。

いのちの初夜 (角川文庫)
北条 民雄
角川書店



立原道造、24歳。

立原道造詩集 (岩波文庫)
立原 道造
岩波書店



石川啄木、26歳。

一握の砂・悲しき玩具―石川啄木歌集 (新潮文庫)
石川 啄木,金田一 京助
新潮社



松濤明、26歳。

新編・風雪のビヴァーク (ヤマケイ文庫)
松濤明
山と渓谷社



中原中也、30歳。

中原中也詩集 (岩波文庫)
中原 中也
岩波書店







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