仙丈亭日乘

あやしうこそ物狂ほしけれ

2月28日の寫眞 ( D80 & 90mm Macro )

2007-03-01 00:32:52 | 寫眞日記
藥のお蔭か、目覺めたのは8時半。
雨の音が聞える。

寢室のカーテンを開けると薄日が射してゐた。
それでも雨は蕭々と降つてゐる。
あたたかな雨のやうだ。

手すりに水滴が溜まつてゐた。
その水滴に薄く日があたつて、ふはりと光つてゐた。
希望のひかりのやうだつた。

午後からはいつものごとく頭痛。
藥を飮んで眠つた。
このところ午後は眠つてばかり。
眠ることでこころは安らいでゐるのだらうか。

起こされたのは午後7時。
おほむね5時間眠つてゐたことになる。
そしてこれからまた眠る。
眠ることがとても倖せに感じる、けふこの頃。



<使用カメラ> : 「 Nikon D80 」
<使用レンズ> : 「TAMRON SP AF90mm F/2.8 Di MACRO 1:1 ( Model 272E )」



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4 コメント

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眠れるだけ眠りましょう (ken)
2007-03-01 08:01:00
体の休息のため、はもちろんですが、脳は「眠り」のあいだでないと「排泄行為」が出来ません。・・・「夢を見ること」がそのひとつで。ですから、見た夢は覚えていないほうがいい。夢を覚えている、ということは、脳に残尿感がある、ってことになりますから。。。
(全部の「夢」がそうだ、とは思ってはいませんけれど、<科学>なるもので突き止められている限りでは、こういうことなんだそうです。)
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殘尿 (仙丈)
2007-03-01 08:30:43
kenさん

いまの私はまるで「眠り病」に罹つてゐるやうです。
午後2時頃から眠くて眠くて・・・
夢を覺えてゐるのは、「殘尿感」。
これ、面白いですね~
ちなみに今朝は2時に眠り、4時にいちど目が醒めたのですが、ほとんど夢ばかり見てゐました。
しかも鮮明に覺えてゐるのです・・・
殘尿感いつぱい?
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夢の内容によります (ken)
2007-03-01 14:10:46
>しかも鮮明に覺えてゐるのです・・・

覚えていることには、いくつかの理由があると思います。
中には私の「主観」も含みますが、
いちおう人間様に証明できる原因としては
・脳だけでは「排泄」しきれない<毒>がある場合
・脳が「排泄」後の快楽を顕在意識に伝えたい場合
が大きいでしょう。
覚えている夢が不快なら前者で、精神の負荷がなかなか軽くなっていない状態なのでしょう。
覚えている夢が快適だったら、同じ快適さを、起きている間にどう再現・実現するかを工夫すると、精神の回復が早まるはずです。

覚えていることを証明できない範疇のものは「霊夢」というやつですが、「霊夢」ではない夢を「霊夢」と峻別できないケースが多いかと思いますので、特別なことを感じない限り、覚えている夢を「霊夢」だと決め付けるのは避けなければいけないと思います。
ただ・・・じっさいに「霊夢」としか呼べない類の夢もある、と、私は信じています。これは神様が見せてくれるのか仏様が見せてくれるのか分かりませんが、個々の人間の精神構造が他者から独立している、という(いまありきたりの)仮説を立てると、その内容が偶然とは思えないほど他者と繋がりを持っていることを説明できません。

かたくて、抽象的な言い方ですみませんが、でないとダラダラしちゃうので。

分かりにくくてごめんなさい。

とにかく、よく寝てくださいね。2時というのはリズムとしては眠くなっていい時間帯ですし、気温も眠るのに最適な時間帯なんですよね。ライオンやスペイン人が昼寝してるのは、この時間帯じゃないですか?
(仙丈さんはライオンじゃない! トラ、ですか? あれま、ゴメンナサイ。。。ちなみにボクはブタです。)

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靈夢 (仙丈)
2007-03-01 22:47:07
kenさん

私はいまだ「靈夢」を見たことがありません。
でも「靈夢」といふのはあるのだと思つてゐます。
そもそも「靈」といふものもあると思ひますので・・・
私の母は、母の父が亡くなつた時に、からだの上にお父さんが乘つてゐるのを感じたといひます。
いつも母の父は夜遲く歸つてきては娘の上に乘つて娘を起こしておみやげをくれたのださうです。
なので、母は「あ、お父さんが歸つてきた」と思つたさうです。
で、ちやうどその頃、お父さんは亡くなつてゐたとか。
これも「靈夢」の一種なのでせうね。

私の場合は、父が亡くなつたときに何も感じませんでした。
いろいろとあつたので、父も私にはあはせる顏がなかつたのかもしれないな、とそんなことを思ひました。
私が死んだら、誰に挨拶に行かうか、いまから考へておきます(笑)


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