仙丈亭日乘

あやしうこそ物狂ほしけれ

【昔の手帳から】 2月14日

2012-02-14 00:01:00 | 昔の手帳から
【1980年】(浪人)

上智 文 一次

木曜日。

本命の滑り止めに上智も受驗しようかと思つたこともあつたが、結局、早稻田と慶應だけにした。
いくつ受けても入れるのはひとつだけ。
受驗料だけでもバカにならないし、入學金ともなればたいへんな金が必要になる。




【1981年】(1囘生)

英 レポート提出期限 D(英 中央研究室)
大原方面 Touring。最高110km/h。

土曜日。

英語のレポートを提出してゐるやうだが、語學でレポートなんてあつたかな?
普通、レポートといふと試驗がない代はりに課せられるものだが、教養で試驗がないといふのは考へ難い。
もしかすると、試驗でダメだつた學生のための救濟措置だつたのかもしれない。
だとすると、 1月29日に受けた酒井(幸)先生の英語 の可能性が高い。
なにせ、1囘生で取つた語學の單位はこの先生のものだけだつた筈だから。

大原方面へツーリングしたらしい。
時速110km出したとあるが、大原までの道では不可能だ。
大原を越えて、おそらくはさらに 途中越え をして、琵琶湖大橋方面へ向ふ途中で出したのだらう。
一般道で、それも400ccの單車で、100km以上出すなんて自殺行爲だ。
いまの私には、餘程のことがない限り出來さうにない。




【1983年】(3囘生)

國文(佐竹) レポート完成

月曜日。

この年、國文の主任教授である佐竹教授にお願ひし、2月4日に社會學から國文への轉學科を認めて頂いた。
火曜3コマ目には、その佐竹教授の國文學研究の講座を登録してゐた。
いま、思ひ出したのだが、轉學科のお願ひをするために佐竹教授に電話をした時、
「きみ、ぼくの講座は受けてたかな?」
と云はれた。
「はい、登録してます」
と、私。
「でも、名前に覺えがないなあ」
と先生。
そんなやりとりがあつただけに、レポートには力を入れた筈だ。
おそらく、教養時代の同級生の女子にノートを貸して貰つたのだらう。
どんなテーマのレポートだつたか、まつたく覺えてゐない。






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