仙丈亭日乘

あやしうこそ物狂ほしけれ

【昔の手帳から】 6月18日 (81年:ミトモからの不快な電話)

2011-06-18 00:24:37 | 昔の手帳から
【1980年】(1囘生)

フラゴナール展


水曜日。

フラゴナール 展を見に行つた。
確か、京都市美術館だつたと思ふ。
若い女性の肖像畫で氣に入つたのがあり、そのポスターを買つて學生時代ずつと部屋に飾つてゐた記憶がある。
上記リンク先には代表作と目される作品が掲載されてゐるが、その中にはない。
いい繪だつたのに、代表作ぢやなかつたのかな。




【1981年】(2囘生)

學校サボる
ミトモよりTel


木曜日。

3日續けて大學に行かなかつたらしい。
といふか、この日は創立記念日なので、そもそも大學は休みだつた筈。
たぶん、あまりにも大學にいくのが少なかつたので、この日が創立記念日だといふことを知らなかつた可能性がある。

ミトモは小・中・高と同じ學校に通つてゐたヤツ。
6月7日に前年に私がふられた相手Hから1年ぶりに電話があり、ミトモがHのところに遊びに來たと聽かされた。
ミトモとHも小學校の同級生なので、遊びに行つても不思議はないが、せめて私のところにも聯絡して來いよと思つた。
で、そんな内容の手紙を6月8日に出したのだが、この電話はどうやらその返事のつもりらしい。
この電話で、私はとんでもないことを聽かされた。
ミトモはHと寢たといふのだ。
しかも、その時の樣子を微に入り際に入り説明しやがる。
私は怒りで目の前が眞つ赤になつた。
もちろん、私が怒る筋合ひではないのはわかつてゐた。
私は既にHからはふられてゐるのだし、ミトモとHだつて幼馴染なのだし、ミトモが誰と寢ようと自由なわけだし。
小學校の頃、私がHに戀してゐたことをミトモは感付いて居た。
だからこそ、かうしてわざわざHと寢たことを報告して來たわけで、そのイヤらしさに腹が立つた。
そして、もしそれが事實だつたとしたら、ミトモが遊びに來たといふことを、わざわざ私に電話をして來たHの氣がしれない。
私は事實がわからないまま、どちらに對しても腹をたててゐたのだつた。
ミトモの云ふのが事實無根なら、Hに對する腹立ちは冤罪なのだけれども。




【1982年】(3囘生)

創立記念日
麻雀 +¥2,100 (點3 3囘)


金曜日。

創立記念日につき、大學は休み。
別にそんな日でなくても、勝手に休んでゐるが。

前日に引續いて麻雀の記載。
前日が+¥1,500で、この日が+¥2,100 。
なかなか好調ではないか!




【1983年】(4囘生)

創立記念日


土曜日。

もし創立記念日でなかつたなら、大學に行つてゐたのだらうか?
ふと疑問を感じて手帳を調べてみた。
すると、この年、土曜日には講義を入れてゐなかつたやうで、時間割は眞つ白。
4月23日の記述に、ドイツ語の今村に登録を拒否されたとあるから、そのお蔭で土曜日はフリーになつたのだらう。






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