自宅から2驛のところにある小さな映畫館で、「劔岳 点の記」を觀た。
その映畫館では、けふが最終日。
前から觀たいと思つてゐた映畫だつたので、重たい腰をあげて觀に行つた。
劒岳といふと、仙丈岳、平ヶ岳と竝び、私の好きな山のひとつ。
ただ、他の2つの山と違ふのは、まだ登つてゐないといふこと。
1974年8月に、黒部側から登らうとしたことがある。
あひにく折からの台風で、眞砂澤に張つたテントの中にとぢ込められたお蔭で、日數が足りなくなり、別山乘越から雷鳥澤を下つた。
それ以來、劒岳は私にとつて憧れの山となつた。
憧れの山に登るのは、それなりに覺悟がゐる。
通常の登山ルートで登るのでは面白くない。
6月頃に長次郎雪溪から登りたいと思ひながら、その思ひを果すことなく、けふに至つてゐる。
で、映畫「劒岳 點の記」である。
これは新田次郎の同名の小説を原作とした映畫である。
そして、その小説は、明治40年、測量官の柴崎芳太郎、案内人の宇治長次郎などの測量隊が劒岳に登頂した事實に基いてゐる。
當時の劒岳は「死の山」と云はれ、前人未到の山として知られてゐた。
この未登峰の初登頂を日本山岳會が狙ひ、陸軍參謀本部の陸地測量部は日本に殘された最後の空白をうめるべく劒岳の頂上に三角點を設置しようとする。
期せずしてこの兩者による劒岳初登頂爭ひとなつたのであつた。
この映畫の主人公は、劒岳である。
自然の美しさと嚴しさ、劒岳の男性的な魅力を捉へた映像の見事さ。
これは大畫面のスクリーンで觀なければ傳はつて來ないだらう。
私にとつて印象的だつたのは、長次郎雪溪(映畫では三ノ澤)を登るシーン。
かつて私が登りたいと思つてゐたルートだけに、映像で觀られるのは嬉しかつた。
仙人池や池ノ平からの劒岳、別山乘越からの劒岳。
35年前の記憶がまざまざとよみがへつて來た。
私は、當時の中學校2年生から、いまや50前のオヤヂへと變貌を遂げたが、山は昔のまま。
いつの日か、私も憧れの劒岳に登りたい。
いや、もう長次郎雪溪からなどとは云はない。
通常ルートで十分だ。
映畫を觀てゐて印象的だつたこと。
テントが、私が高校山岳部の1年生の時に使つてゐたものと殆ど同じものだつた。
それとキスリングザック。
これも私が高校1年まで使つてゐたものだ。
小島烏水が使つてゐたスウェーデン製のコンロ、あれはスヴェア(オプティマス)123Rだらう。
これも未だに販賣されてゐる現役のコンロだ。
測量隊の足拵へは地下足袋にワラジ。
私が山の現役の頃は、澤登りの定番スタイルであつた。
これで長次郎雪溪を登り切るといふのは、かなりのものだと思ふ。
キャストで素晴らしかつたのは、宇治長次郎役の香川照之。
この人は、なんて存在感の大きな役者なのだらう。
この人なくして、この映畫はありえなかつたのではなからうか。
最後に、全篇に流れるクラシック音樂が壯大な映像とマッチしてゐて、心地好かつた。
その映畫館では、けふが最終日。
前から觀たいと思つてゐた映畫だつたので、重たい腰をあげて觀に行つた。
劒岳といふと、仙丈岳、平ヶ岳と竝び、私の好きな山のひとつ。
ただ、他の2つの山と違ふのは、まだ登つてゐないといふこと。
1974年8月に、黒部側から登らうとしたことがある。
あひにく折からの台風で、眞砂澤に張つたテントの中にとぢ込められたお蔭で、日數が足りなくなり、別山乘越から雷鳥澤を下つた。
それ以來、劒岳は私にとつて憧れの山となつた。
憧れの山に登るのは、それなりに覺悟がゐる。
通常の登山ルートで登るのでは面白くない。
6月頃に長次郎雪溪から登りたいと思ひながら、その思ひを果すことなく、けふに至つてゐる。
で、映畫「劒岳 點の記」である。
これは新田次郎の同名の小説を原作とした映畫である。
そして、その小説は、明治40年、測量官の柴崎芳太郎、案内人の宇治長次郎などの測量隊が劒岳に登頂した事實に基いてゐる。
當時の劒岳は「死の山」と云はれ、前人未到の山として知られてゐた。
この未登峰の初登頂を日本山岳會が狙ひ、陸軍參謀本部の陸地測量部は日本に殘された最後の空白をうめるべく劒岳の頂上に三角點を設置しようとする。
期せずしてこの兩者による劒岳初登頂爭ひとなつたのであつた。
この映畫の主人公は、劒岳である。
自然の美しさと嚴しさ、劒岳の男性的な魅力を捉へた映像の見事さ。
これは大畫面のスクリーンで觀なければ傳はつて來ないだらう。
私にとつて印象的だつたのは、長次郎雪溪(映畫では三ノ澤)を登るシーン。
かつて私が登りたいと思つてゐたルートだけに、映像で觀られるのは嬉しかつた。
仙人池や池ノ平からの劒岳、別山乘越からの劒岳。
35年前の記憶がまざまざとよみがへつて來た。
私は、當時の中學校2年生から、いまや50前のオヤヂへと變貌を遂げたが、山は昔のまま。
いつの日か、私も憧れの劒岳に登りたい。
いや、もう長次郎雪溪からなどとは云はない。
通常ルートで十分だ。
映畫を觀てゐて印象的だつたこと。
テントが、私が高校山岳部の1年生の時に使つてゐたものと殆ど同じものだつた。
それとキスリングザック。
これも私が高校1年まで使つてゐたものだ。
小島烏水が使つてゐたスウェーデン製のコンロ、あれはスヴェア(オプティマス)123Rだらう。
これも未だに販賣されてゐる現役のコンロだ。
測量隊の足拵へは地下足袋にワラジ。
私が山の現役の頃は、澤登りの定番スタイルであつた。
これで長次郎雪溪を登り切るといふのは、かなりのものだと思ふ。
キャストで素晴らしかつたのは、宇治長次郎役の香川照之。
この人は、なんて存在感の大きな役者なのだらう。
この人なくして、この映畫はありえなかつたのではなからうか。
最後に、全篇に流れるクラシック音樂が壯大な映像とマッチしてゐて、心地好かつた。
一般ルートですけど、これが最後の夏山行きとなりました(「高天原→雲の平→槍」が最後やったかな?)。
もう20年以上前の話。「いつかは早月尾根から剱へ」との思いも古い昔です。
新田次郎の小説はほとんど読破しましたけど、当時の剣岳はルートも長く、装備的にも困難な山やったみたいですね。映画も見に行かんとあかんのやけど・・・。
欅平からのコースは、劒が見えてくるまでにかなり歩くので、それだけに劒が見えてくると感激しました。
特に仙人池から見た劒は八ツ峰がアルプスみたいで素晴らしかつた・・・
死ぬまでに劒の頂上に立ちたいと思つてゐます。