仙丈亭日乘

あやしうこそ物狂ほしけれ

【昔の手帳から】 5月31日 (80年:京一会館、81年:「隱された十字架」)

2011-05-31 00:29:07 | 昔の手帳から
【1980年】(1囘生)

京一會館。
「天使を誘惑」、「もう頬杖はつかない」、「神樣のくれた赤ん坊」


土曜日。

この日、一乘寺にあつた 「京一會館」 に初めて行つた。
同じアパートのヤマムラは濱松から京都に來たのだが、京都での學生時代を滿喫するためにさまざまなソースから情報を收集してゐた。
「プガジャ」こと「プレイガイド・ジャーナル」や「エル・マガ」などを驅使して、いつ、どこで、どんなイベントがあるとか、どこの何といふ店がお洒落で美味しいとか。
さうした彼の情報網に「京一會館」が引つ掛かつた。
ポルノ映畫などもかかるが、舊作映畫が3本立てで、しかも學生400圓だか500圓で觀ることが出來るといふのだ。
ヤマムラは、 25日に彼女にふられて 落ち込んでゐた私を連れ出してくれた。
いま調べて見たら、5月26日から6月3日にかけて 「ちょっとマイ・ウェイ」 といふテーマで、「天使を誘惑」、「もう頬杖はつかない」、「神樣のくれた赤ん坊」の3本立てだつた。
山口百惠ファンだつた私にとつて、百惠・友和シリーズはさほど觀たい映畫でもなかつたが、むしろ桃井かおりの映畫のはうが觀たかつた。
どの映畫も、もうストーリーは忘れたが、3本とも男女が同棲してゐたのは覺えてゐる。

なかで一つだけはつきり覺えてゐるシーンがある。
それは、桃井かおり扮する女と同棲してゐる男が桃井かおり扮する女の齒ブラシを使ふシーン。
女は、やめてよと云ふが、男は、キスする仲だからいいぢやないかと云ふ。
すると女は、それとこれとは違ふぢやないのと云ふのだ。
口の中の粘膜を觸れ合はせる行爲をするのと、口に入れる齒ブラシを共有するのとどこが違ふのか。
男にはそれが分らないが、女にはそれが生理的に許せない。
20歳の私にはわからなかつたが、いま50歳の私には生理的にわかる。
50歳のオヤヂのはうが女ぽくなつたといふことだらうか?


「天使を誘惑」 (1979年、東宝)
<監督>藤田敏八
<出演>山口百恵、三浦友和ほか
天使を誘惑 [DVD]
クリエーター情報なし
EMIミュージック・ジャパン


「もう頬杖はつかない」 (1979年、ATG)
<監督>東陽一
<出演>桃井かおり、奥田瑛二、森本レオほか 
もう頬づえはつかない [DVD]
クリエーター情報なし
ジェネオン エンタテインメント


「神樣のくれた赤ん坊」 (1979年、松竹?)
<監督>前田陽一
<出演>桃井かおり、渡瀬恒彦ほか
神様のくれた赤ん坊 [DVD]
クリエーター情報なし
松竹




【1981年】(2囘生)

梅原猛「隱された十字架」
夜、雨。本屋の女の子に傘を借りる
快い雷鳴。2年前の夏山を想ひ出す。
芥川 「蜘蛛の絲・杜子春」


日曜日。

梅原猛の「隱された十字架」を手にとつたきつかけが思ひ出せない。
誰かに薦められたやうな氣もするし、さうではなくて書店で出會つたやうな氣もする。
國史學の上田正昭教授が講義のなかで梅原先生の「祟り神」論に關するものとして「隱された十字架」に觸れてゐた記憶がある。
その記憶の出來事がいつであつたか。
私が「隱された十字架」を讀む前だつたのか、讀んだ後だつたのか、それが思ひ出せない。
ともあれ、私はこの本を讀んで感動した。
この本は學術論文ではない。
水も洩らさぬ綿密な論攷、といふわけではないので、學者からは學問ではないなどと云はれることもあるだらう。
しかし、その内容は素晴らしい。
ひとつの假説を立てることで多くのことの説明がつくのであれば、その假説は眞實である可能性が高い。
殘念ながら、その假説が眞實であることを立證するのには不十分だが。
この本は、梅原猛といふ破格の學者が推理する推理小説のやうなもの。
そのプロセスと、それを説く梅原猛節を樂しむべきものだと思ふ。

隠された十字架―法隆寺論 (新潮文庫)
梅原 猛
新潮社



どうやら、夜になつてから、雷雨になつたらしい。
「快い雷鳴」とあるのは、少々の雷鳴では驚かないし、むしろその重低音に快感を覺える、といふ程度の意味。
さういふ感じ方になつたのは、「2年前の夏山」での經驗から。

2年前の夏、私は浪人中だつたが、C高山岳部の夏山合宿に參加した。
この年は、戀ノ俣澤を遡行して平ヶ岳に登り、水長澤を下つて利根川源流に出、さらに小穗口澤を遡行して小澤岳に登つて越後主稜線を縱走し銀山平に下るといふ、壯大な計畫だつた。(内心では無理だらうと思つてゐたのだが)
戀ノ俣澤の澤の中で2泊、3日目に澤から脱け出して頂上を踏み、少し下つた池ノ岳附近の平地にテントを張つた。
この年は天候不順で、ずつと小雨にたたられ、3日目も朝から雨だつた。
その夜、夜中の0時頃に激しい雷雨となつた。
雷には2種類ある。
ひるま地面が熱せられた爲に上昇氣流が生じて發生する熱雷と、冷い空氣と暖かい空氣の境目に生ずる前線活動によつて發生する界雷である。
熱雷はだいたいにおいて夕立となつて現れるもので、この時のやうに眞夜中に發生することはない。
從つて、この眞夜中の雷は界雷といふわけなのだが、この界雷はいつ發生するのか豫測することは困難である。
と言ひ譯しておいてから云ふのだが、山登りをする際に山頂近くの平地にテントを張るのはそもそも無謀なのである。
雷が落ちるのは地上から突出してゐるところ(そこから放電する)なわけで、頂上近くの平地にテントを張れば、そのテントこそが「地上から突出してゐるところ」になつてしまふ。
つまり、私たちのテントは、まさにいつ雷が落ちても不思議のない状況にあつたのである。
落雷地點(放電地點)までの距離を測る方法として、稻妻が光つてから雷鳴が轟くまでの時間差で測る方法がある
その方法で云へば、稻妻が光つてから雷鳴が轟くまで3秒以内だと1km以内の地點で落雷してゐるので危險だといふことになる。
ところが、あの時の私たちの状況ではその方法は使へなかつた。
なにしろ、稻妻は光り續け、雷鳴は轟き續けるものだから、どの稻光とどの雷鳴が對應するのかまるでわからない。
それどころか、眞夜中だといふのにテントの外は薄紫色といふかピンク色といふか、そんな色で空が明るくなつてゐるし、何十連發もの打ち上げ花火の音のやうに重たい音が響き續けてゐた。
テントの中で眠つてゐた私たちはみんな起き出してゐた。
こんな状況で眠れるわけがない。
私は髮の毛はともかくとして、腕の産毛が逆立つてゐるやうな氣がした。
もしかすると、私たちは雷のまつただなかにゐて、私たちのからだにも帶電してゐたのかもしれない。
私たちは全員シュラフから出て起き上がつてゐた。
こんな状況で眠れる譯もなく、ひたすら雷雨が止むのを祈つてゐた。
すると、私のゐるテントの端のはうから聞えて來たのだつた。
「ナムアミダブツ、ナムアミダブツ・・・」
そちらを見ると2年のヌマタが俯いてブツブツ云つてゐる。
さうか、彼は淨土宗だか淨土眞宗だかの信者だつたのか。
彼の念佛のお蔭か、我々は無事に朝を迎へることが出來た。
ちなみに翌朝訊いたらヌマタはこのことを覺えてゐなかつた。
無意識の内に神佛にすがつてゐたといふわけだ。

かうした極限とも云へる經驗をしたお蔭で、私は街なかで自分に雷が落ちることなどあり得ないと思ふやうになつた。
どんなに激しい雷雨だらうと、街なかであの時以上の雷雨になることなど絶對にあり得ない。
街なかでの雷雨など、かはいいものだ。
さうなると、むしろ雷雨のエネルギーが自分の生命力をアップしてくれるやうな氣がして、雷雨が好きになつた。
特にあの重低音。
あれは、どんなオーディオセットでも再生することは出來ない。
まさに大自然のオーケストラなのである。


「蜘蛛の絲」も「杜子春」も中學生の頃に讀んだ。
何故この時に讀み返したのかは不明。
ただ、學生時代に、芥川の文體を再評價したことは覺えてゐる。
もしかしたら、その作業の一環でこれらを讀んだのかもしれない。

蜘蛛の糸・杜子春 (新潮文庫)
芥川 龍之介
新潮社





【1982年】(3囘生)

麻雀 +400


月曜日。

あ、勝つてゐる。




【1983年】(4囘生)

單車パンク 修理代¥4,900 痛い!
麻雀 +400


火曜日。

思ひ出した。
さうさう、パンクしたことがあつた。
どこでパンクしたかまでは覺えてゐないが、單車を買つたショップまで單車を押して行つたのを思ひ出した。
400ccの單車だけあつて、かなり重たいのだ、これが。
腕はパンパンになるは、腰は痛くなるは、さんざんだつた。
修理代の5千円もさることながら、腰のはうがよほど痛かつた。

あ、勝つてゐる。
負けは大きく、勝ちは小さく、てか。





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