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『家事か地獄か』 稲垣えみ子を読んだ

2023-11-26 | 
まず筆者の稲垣えみ子さんのプロフィールを書くと、1965年、愛知県生まれ。一橋大学社会学部卒。朝日新聞社で大阪本社社会部、週刊朝日編集部などを経て論説委員、編集委員を務め、2016年に50歳で退社。以来、都内で夫なし、子なし、冷蔵庫なし、ガス契約なしのフリーランス生活を送る、とある。

キラキラバリキャリ女子から、その経歴を活かして隠居FIRE女子になっているわけだが、その隠居っぷりは徹底していて上級ミニマリストといった感じ。

冷蔵庫、掃除機、洗濯機がないという、ミニマリストには必須の家電系は持っておらず、食料は干したり漬けたりして常温保存しているらしい。
あと、ガスも契約しておらず、料理はカセットコンロ、お風呂は銭湯通いだそうな。

住まいは都内だし、都会の隠居生活という感じで、なかなか真似しようにもできない人のほうが多いだろう。

本の中身は、ものを減らしていかに快適になったかということがずっと書かれているわけだが、私が参考になったところは主に2点だった。

1つ目は、料理は調理法別に3種類作ること。
  1. 火を通さないおかず(サラダ、漬物等)
  2. さっと火を通すおかず(炒物、焼物)
  3. じっくり火を通すおかず(煮物、汁物)
私が作ると1個か2個や😂

2つ目は、他のミニマリスト系の本にはぜったいに出てこない視点で、老後と認知症の観点から便利な物に頼りすぎずシンプルに暮らすのだ、ということ。

彼女の母親は典型的な良妻賢母型母だったそうで、たくさんの服やモノをきちんと整理し、立派な料理を作っていた人だったようである。
しかし認知症になったことにより、それらはすべて複雑なミッションになってしまった。
また、家電を買い替えようものなら、新しい技術についていけず使い方がわからず使えないまま孤独になってしまったとのことだった。

修道女のように、なにもないシンプルな清潔な部屋で毎日同じシンプルなものを作って食べ、毎日同じシンプルなものを繰り返し着て暮らす、便利なものに頼りすぎず、自分の手や頭を使って来る日も掃除する生活が良いのではないだろうか、ということで、実際にそのような暮らしを初めてはや7年とのことであった。

これは我が親の様子を見ていても本当にそうで、やれテレビが壊れた、掃除機が壊れた、パソコンが壊れた、となっても、使い方がわからず、かえって周りにとっては手間のかかることになり、手間をとっても新しいことは覚えられないので、本人には自己否定感が残り、周りは時間を奪われたと迷惑するという悪循環になっていたので、しごく納得したのであった。

とはいえ、家族がいたり伴侶がいるとなかなか難しいものがある。

いつか伴侶には先立たれ、一人で暮らすことにはなるだろうから(そもそも生きていきたいかは別にして)、こうした先人が実際に行動して様々な示唆を与えてくださるのは大変勉強になる。

生きることを縮小していくのは決して悪いことではないのよ、というのは、老いていく人を見たり、実際に自分がなっていかないとわからないことだと思う。