夢を見ました。中学生の頃の。
私はとある私立中学・高校にいってましたが、そこで出会った国語の先生は
とても強烈な人でした。教室の後ろに立たせるなんてのは序の口で、テストは
漢字や暗記物を毎回のように出す。宿題もかなりの量を出す。で、忘れたら
出席簿で叩いたり、(一番すさまじいのが、教壇からスタートして、じりじり
下がっていく生徒を叩きながら追いかけ、教室の後ろについたら回り込んで、
教壇の方に戻っていく、というのでした)果ては参考書丸写しで逃れようとした
生徒のノートを破ったりもしてました。どこの参考書かはっきり言い当てる
あたりがすごかったですね。
その先生に怒鳴られているという夢を見たのです。
その先生は最初の授業の時から、普通と違ってました。
「おはよう。はい、ノート開いて。ノートは縦書きに使うからな~。
ほら、はようやらんかいな~!」
ここまで10秒ほどでまくし立てる。
黒板の使い方も縦横無尽で、うまくまとめるのはかなり難しかったです。
不思議と私自身は叩かれた記憶は一度もないんですが、それでもあまりの
厳しさに、中3の1学期にしばらく登校拒否になったりもしました(^^;
その先生の授業が、月曜の1時間目にきたんですよね。思いっきりブルーで、
学校行く振りをしてよそで時間をつぶしてました。月曜のその時間+次の時間だけ
さぼるのが、火曜日にも飛び出したあたりで呼び出しをくらいました。
もちろんそのときの中間テストは過去、と言うかすべてのテストの中で最悪の
26点。今でも覚えています。国語は元々自信がある方だったんですが、見事に
うち砕かれました。そりゃ準備してなければ点数取れるはずありませんが。
でも、不思議とその先生への反発は、私も含めてほとんどの人はありませんでした。
怖い、と言う思いだけで、理不尽だとは思わなかったのです。
今の公立中学ならPTAで即つるし上げくらいそうな先生なんですが、
ちゃんとやってないこっちが悪い、と言うのが皆わかっていたんですね。
そして、その先生には、家庭教師の先生を個人的に紹介してもらったりも
しました。結果としてはその人に甘えてしまって思うほど成績は伸びなかったの
ですが、その経験は、今度は自分が家庭教師をする側に回ったときに大いに
役立っています。
さらに何より、ある時期から国語力が飛躍的に伸びました。感覚で読んでいた
文章を論理的に読み進めるようになりましたし、古文は特にきっちりやったので、
今教える時にもすごく役に立っています。活用と品詞分解が基本の要で、敬語と
単語と助動詞の三本柱で支える、というのはすべてこの先生の受け売りです。
高校にはいると苛烈さは影を潜め、「なんか気持ち悪いなあ」とみんなで言い合う
ほど丸くなりましたが、それでも時折怒鳴るのは飛び、それを聞いて逆に
安心するという雰囲気でした。そして、授業がとても楽しかったです。
森鴎外の「舞姫」を読んでいた頃が一番楽しい時期で、単に文章を追いかけて
行くだけでなく、解釈をかなり深くつっこんで皆でやりました。
ウンテルデンリンデン等を抜けてエリスとであった主人公は、夢のような世界を
ドイツで過ごし、逆のルートをたどって現実世界である日本へ帰っていく、という
話を聞いたときは、あーなるほど、と思いました。
手を挙げて発表するのも、その先生にほめてもらいたい一心でした。
あれだけ厳しかった先生に
「そやな。よーわかったな~」
と言ってもらえるのがとてもうれしかったのです。
そんなわけで、この先生は私の恩師の一人です。母校を離れ、今どこで教えて
いるかはわからなくなっていますが、機会があれば、一度お会いして、
お礼を言いたいなあと思っています。
私はとある私立中学・高校にいってましたが、そこで出会った国語の先生は
とても強烈な人でした。教室の後ろに立たせるなんてのは序の口で、テストは
漢字や暗記物を毎回のように出す。宿題もかなりの量を出す。で、忘れたら
出席簿で叩いたり、(一番すさまじいのが、教壇からスタートして、じりじり
下がっていく生徒を叩きながら追いかけ、教室の後ろについたら回り込んで、
教壇の方に戻っていく、というのでした)果ては参考書丸写しで逃れようとした
生徒のノートを破ったりもしてました。どこの参考書かはっきり言い当てる
あたりがすごかったですね。
その先生に怒鳴られているという夢を見たのです。
その先生は最初の授業の時から、普通と違ってました。
「おはよう。はい、ノート開いて。ノートは縦書きに使うからな~。
ほら、はようやらんかいな~!」
ここまで10秒ほどでまくし立てる。
黒板の使い方も縦横無尽で、うまくまとめるのはかなり難しかったです。
不思議と私自身は叩かれた記憶は一度もないんですが、それでもあまりの
厳しさに、中3の1学期にしばらく登校拒否になったりもしました(^^;
その先生の授業が、月曜の1時間目にきたんですよね。思いっきりブルーで、
学校行く振りをしてよそで時間をつぶしてました。月曜のその時間+次の時間だけ
さぼるのが、火曜日にも飛び出したあたりで呼び出しをくらいました。
もちろんそのときの中間テストは過去、と言うかすべてのテストの中で最悪の
26点。今でも覚えています。国語は元々自信がある方だったんですが、見事に
うち砕かれました。そりゃ準備してなければ点数取れるはずありませんが。
でも、不思議とその先生への反発は、私も含めてほとんどの人はありませんでした。
怖い、と言う思いだけで、理不尽だとは思わなかったのです。
今の公立中学ならPTAで即つるし上げくらいそうな先生なんですが、
ちゃんとやってないこっちが悪い、と言うのが皆わかっていたんですね。
そして、その先生には、家庭教師の先生を個人的に紹介してもらったりも
しました。結果としてはその人に甘えてしまって思うほど成績は伸びなかったの
ですが、その経験は、今度は自分が家庭教師をする側に回ったときに大いに
役立っています。
さらに何より、ある時期から国語力が飛躍的に伸びました。感覚で読んでいた
文章を論理的に読み進めるようになりましたし、古文は特にきっちりやったので、
今教える時にもすごく役に立っています。活用と品詞分解が基本の要で、敬語と
単語と助動詞の三本柱で支える、というのはすべてこの先生の受け売りです。
高校にはいると苛烈さは影を潜め、「なんか気持ち悪いなあ」とみんなで言い合う
ほど丸くなりましたが、それでも時折怒鳴るのは飛び、それを聞いて逆に
安心するという雰囲気でした。そして、授業がとても楽しかったです。
森鴎外の「舞姫」を読んでいた頃が一番楽しい時期で、単に文章を追いかけて
行くだけでなく、解釈をかなり深くつっこんで皆でやりました。
ウンテルデンリンデン等を抜けてエリスとであった主人公は、夢のような世界を
ドイツで過ごし、逆のルートをたどって現実世界である日本へ帰っていく、という
話を聞いたときは、あーなるほど、と思いました。
手を挙げて発表するのも、その先生にほめてもらいたい一心でした。
あれだけ厳しかった先生に
「そやな。よーわかったな~」
と言ってもらえるのがとてもうれしかったのです。
そんなわけで、この先生は私の恩師の一人です。母校を離れ、今どこで教えて
いるかはわからなくなっていますが、機会があれば、一度お会いして、
お礼を言いたいなあと思っています。