without a trace

ヤマザキ、フリーターを撃て!

白い巨塔最終回

2006-09-18 03:01:06 | Weblog
 白い巨塔31話最終回。田宮二郎は愛人の太地喜和子と海でついに判決だといつものように話す。おれはいつだって勝つ丼さと言ってると倒れかける。体調が明らかにおかしい。判決はなんと敗訴で半ケツ寸前の驚き。反五郎ちゃん原理主義の連中にしてやられたり。児玉清の野郎め、答えみてるだろうと最高裁まで持ち込みますよと大衆の目でありながら同時に強者側であるマスコミに話してると倒れる。白い巨塔にかつぎ込まれてしまう。彼は末期ガンでもう助からないが、周囲は隠そうとする。しかし田宮はガンの権威だから気付き始めるんだ。

 里見はネパール行きを諦めさせようと中村娘と会う。暴走家事手伝いは私を抱いてくださいと本性丸出し。もうすぐ30歳の女性だから当然こうなるのもわからない里見さんがまたもや素敵。私あなたが思ってるような女じゃないのよとか言っちゃう系。高橋長英のようにやり逃げできるような男ではないんだ。この女性は自分にはないものが里見先生にはあるってわかってるんだ。先生は決して火事を手伝わない。そこに田宮が会いに来てスタコラサッサと逃げていく娘。田宮は自分の手術に立ち会ってくれないかと頼みに来るんだ。彼は権威だから執刀してくれる人間がいないんだ。巨塔内の人間関係のゴタゴタやらで誰もやりたがらない。だから師匠の中村伸郎に頼む。

 中村伸郎が執刀医で里見含めた皆で手術を行うも末期ガンだ。父のいなかった田宮が師匠に手術されて、親友が立ち会う、しかしもはや黒いガンは摘出しても無駄なのだ。欲望は決して満足せずにガン細胞のように大きくなっていく。その欲に蝕まれてしまった男。

 当時だからガンを隠してわざと他患者の切り取った胃を見せたりする。それでも黄疸が出るじゃないか。こいつはおかしいとカルテを見せろと騒ぐ。しかし肝心の本物のカルテさえも隠されている。彼にとって真実は決して見えない所に隠され、手は届かない・・だからこそ彼はあがいて生きてきた。いつだって自分のアイデンティティーに響く湾岸の工場街の煙突から出る炎を見てきた。公害が出てることなど気づいてたって勝つために塔の上に燃える自分を重ねてきたのだ。まるでトラヤヌス帝の戦いの軌跡が掘ってある塔のように。

 太地も気づいて里見に聞きに行く。彼女は医大に通ってたくらいだから騙せないんだ。しかし決して何も言わない里見先生。太地は確信して一人歩いていく。この歩き方に生き方が出てるんだよね。肩を切って歩くって言うのかな、今ではほとんど見られないような歩き方。女性の歩き方って色々と人生が出ると思う。このカメラが里見視線なんだ。ホステスで情婦の太地を童貞スピリットの里見が窓を挟んで眺めるという構図。

 田宮は病床で里見に手を伸ばす。かつての友情が断ち切られた握手を再び求める。僕は間違っていたよ里見君。硬く握手をして友達じゃないかと泣く。イエのない人間が最も大事にすべきは友達だと気づくのが遅すぎた。物理的な肉体接触で人間関係が変化する。高橋の性交渉、今回の里見と中村娘の抱擁など、別れを意味している。肉体は必ず滅びるのだと言わんばかりに。違った形で手紙が存在する。言葉で言えないことを手紙で書くことによって人間関係の変化が起こる。別れとは逆の結びつきが描かれるんだ。

 高橋はお見合いも破談して大阪を離れることに。医者のいない村で働くと自分のアイデンティティーを取り戻す。里見が来て、もう死ぬ財前君に会ってくれと頼まれる。私は誤診の罪を認めたくないからお断りしますと。高橋は田宮と同じ貧しい出身で、いつも周囲のボンボンにあわせられなかった。それが周囲でなく自己の意識の問題だとわかっていても違和感は消せなかった。儲けを度外視するような貧しい人間を助けるような医者としか心を合わせられない。ここは田宮と逆でコンプレックスの消化の仕方が違う。都会に出て過剰に染まるか、ほとんど染まれないかのようにね。山の文化で育った人間が海の文化に行くような。

 田宮の母である中北千枝子は太地と病院まで来るも会わない。あの子を苦しめるだけだと。同時に太地は死に行く男の姿を見守れる立場じゃないんだ。田宮の子供が描いたパパの絵を見てると苦しみ始める。父のいなかった男が子供たちにも同じ思いをさせるのだ。家族や里見に囲まれて最後に言うのが「母さん・・」。ビリー・ザ・キッド系ワードですよ。その後に母が入ってきて泣く。

 田宮は遺書でほとんど里見に宛てて書いてる。家族にもあるのかもしれないが描かれない。遺書で彼らの関係は結びつきになるのだ。死の代償と引き換えに。かつて彼がどれだけの志を持っていたかが匂う。だからこそ世の中は甘くないという反発の言葉が意味をなす。これは見えない力に対する諦めであって、同じ言葉を言ってたのが中村伸郎の奥さんだったりする。彼女は彼女なりに若い頃は高い志があったのかもしれない。諦めは自尊心という塔になり、どこまでもカリン塔のようにそびえ立っていく。しかし頂上にいるのはカリン様のような里見だったのだ。

 この回はタイトルでの総回診シーンがない。代わりに田宮の遺体が白い巨塔の中を回るのだ。なぜか西洋的な音楽が流れる。彼は社会に振り回されない西洋的な思想を再び取り戻したんだろう。太地は海で炎を見ながら泣いている。すぐそこには船があって、「浮雲」のようにどこか遠くへ行きたかったんだろうか。田宮の死体が病院の外に運ばれて唐突に終わる。その後の説明も何もなし。



コメントを投稿