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ヤマザキ、フリーターを撃て!

芸術のわな-為政者の意図

2006-09-15 02:09:26 | ドキュメンタリーとかテレビ
 NHK-BS世界のドキュメンタリー「芸術のわな」第4回:為政者の意図。BBC制作。人間には死を認識する能力がある。死を認識するからこそ恐怖が生まれる。しかしそこには惹きつけられてしまうのも事実。そこで死のイメージが芸術によってどう使われてきたかを追っていく。

 ヨルダンのエリコという町は数千年もの歴史がある。そこの遺跡で見つかった頭蓋骨には手を加えて死者の顔を復元していた。当時の寿命は20代半ばと言われており、人間は常に身近にある死を意識して暮らさなくてはならない。その不安を克服するために芸術として頭蓋骨を使っていたのだ。死んでも生きてる人間のすぐ近くにいられるという安堵感。これで死後も彼らは存在できる。そして人間は死について考える時に故人を見ると安心するという本能がある。その両者の利害が一致してそういう生活があった。

 一方でメキシコのアステカ文明。今では闘牛で有名なこの国。今の牛を殺す見世物ショーと違ってアステカでは人間をいけにえショーとして殺していた。ピラミッドの頂上は処刑場で頭蓋骨をかぶった神官がいけにえをなんと生きたまま心臓をえぐり出す。まるで「インディ・ジョーンズ魔宮の伝説」世界。彼らにとっては太陽神が命と引きかえに世界を作ったので、太陽神が怒らないようにいけにえを捧げなくてはならないんだ。その儀式の光景をピラミッドのあちこちに芸術として掘ってある。為政者はこれを利用して恐怖心で民衆を押さえこむ。学者が言うには権力側に、つまり殺されない側にいると人間はいとも簡単に残虐になれるという。死を連想すると時に自分と違う意見のものを攻撃するのは本能だという。殺されたくなければ為政者側にいて忠誠心を見せなくてはならない。文明の恐怖を植え込むために利用される芸術。

 古代イタリアではエトルリア人が墓に明るい絵を描いていた。死後は生きてる世界の延長として捉えられていたんだ。それがローマ人が侵攻してきて一変する。死後に地獄という概念が誕生する。徐々に国家のために戦う人間は天国に、戦わない人間は地獄という絵になっていく。大義のために死ぬ人々は天国に行って楽しくずっと暮らせる、大義のために死なない人間は地獄でずっと鬼や化け物と戦わないとならない。国家のために死ねば為政者に民衆に祀ってもらえる。そして出てくるのが十字架。これでキリスト教徒は死を共有できる。キリストがはりつけにされてるのを見て死後に救いのイメージを持つことができる。忘れてならないのはこれが戦争に使われてきたことだと終わっていく。


 ラストは宗教の持つ原理的な怖さを感じさせる。しかもそれが為政者によって芸術として利用されてきたかのように。今回がシリーズラストだけど最も面白かった。死という恐怖を癒しとして逆に捉えたりと、なぜホラー映画が西洋で常に作られ続けるかなど興味深い。昔の映画を見ていて落ち着く事がある。それは登場する人物がほとんど故人だったりするのが意識下にあるのかもしれない。かつてガンジス川で死体が焼かれる光景を見た時の正直な感想は死ねばこんなもんかと安堵に近い感覚があった。死体焼いてるそばでオッサンが寝ててやはりこんなもんかと。付近にいる死を待つ人々が路上に餓鬼のようにいる方が怖かった。死につつある人間は恐怖だが、死んでる人間は恐怖でない。人間の本能なのかなと今でも思う。

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