大きめの古本屋へ。ブックオフなどと比べると店員がいかにもフリーターぽくておれ好み。ホームレスが拾った漫画を売りに来る店。本日発売の週刊漫画がその日に100円で売られてしまうという素敵な店。すぐそばのコンビニ大変じゃないかと余計な心配をしてしまう。コンビニの隣に100円ショップがあるくらいの心配度。そんで通ってて気づいたのは、古本屋の店員にまた無職きたと思われても何ともない。お互い様という意識があるからね。それが図書館だとちょっと違う。また無職きたと思われると微妙な視線を気にする。古本屋の店員視線と図書館の司書視線は何かが違う。トイレに行きたくなる度も微妙に違う。
古本屋:無職パラダイス、客の8割はマンガでその他は本、何とかオフの店員ですが何か?→らっしゃいませうるさすぎ。
図書館:無職と有職の混じる境界、客の8割は本でその他は昼寝、図書館の公務員ですが何か?→お疲れちゃん
考えたのはおそらく公と私の違い。古本屋は私で図書館は公じゃないかと。溝口健二の映画では私と公の対立がしつこく描かれる。「山椒大夫」では荘園という公で強制労働させられるフリーターじゃなくて農奴と、店長じゃなくて持ち主の山椒太夫とのバトル。農奴は死ぬまで働かされて逃げようとしたら額に焼印という人肉饅頭の出来上がり。「祇園の姉妹」では芸者の山田五十鈴がはっきりと世間が何だ、世間なんて何もしてくれないじゃないかと曖昧な公を強調している。そういったしがらみのような公がおそらく昔の邦画を見るきっかけの一つとなっている。
何が言いたいかというと、古本屋の店員と図書館の公務員は時給にしたらどれくらい違うんだろうと。
古本屋:無職パラダイス、客の8割はマンガでその他は本、何とかオフの店員ですが何か?→らっしゃいませうるさすぎ。
図書館:無職と有職の混じる境界、客の8割は本でその他は昼寝、図書館の公務員ですが何か?→お疲れちゃん
考えたのはおそらく公と私の違い。古本屋は私で図書館は公じゃないかと。溝口健二の映画では私と公の対立がしつこく描かれる。「山椒大夫」では荘園という公で強制労働させられるフリーターじゃなくて農奴と、店長じゃなくて持ち主の山椒太夫とのバトル。農奴は死ぬまで働かされて逃げようとしたら額に焼印という人肉饅頭の出来上がり。「祇園の姉妹」では芸者の山田五十鈴がはっきりと世間が何だ、世間なんて何もしてくれないじゃないかと曖昧な公を強調している。そういったしがらみのような公がおそらく昔の邦画を見るきっかけの一つとなっている。
何が言いたいかというと、古本屋の店員と図書館の公務員は時給にしたらどれくらい違うんだろうと。