<<Ecouter Haendel>> p.17 2012年07月19日 | Weblog Moze さん、ご指摘ありがとうございました。"Naissance de la peine" p.17 は以下でご参照ください。 https://docs.google.com/file/d/0B6CDVcIb-i7kTHpseFVTR0NOb3c/edit Smarcel #学習 « <<Ecouter Haendel>>(2) | トップ | Ecouter Haendel (3) »
4 コメント(10/1 コメント投稿終了予定) コメント日が 古い順 | 新しい順 Naissance de la peine 2 (misayo) 2012-07-21 19:41:31 こんにちは、みさよです。いよいよ夏ですね。バカンスには縁のない生活ですが、なにか楽しいことがあればいいですね。 真冬に生まれて、彼女はこの季節の危険と病気にさらされました。生まれてまもなく細気管支炎にかかって、呼吸が止まりそうになりました。世界中のあらゆる両親が心配するように、私たちも心配しました。私たちは彼女をおくるみにくるんで、救急病院に急いで連れて行きました。彼女は蒼白になって、身動きもしませんでした。2週間は入院しなければならない、必要ならもっと長期になるだろうと言われました。しかし彼女が私達のもとに「戻ってきた」時に、私たちはなにも言われませんでした。もっと後になって分かったことですが,人々は重篤な発達の遅れと停滞を予測できたのでした。しかしながらその時は、何も診断されず、伝えられませんでした。 ガランスは大きくなっていきました。彼女は嘔吐、胃腸の不調、夜泣きといった赤ん坊のささいなトラブルを経験しました。よくあることです。それと多分ある程度の視線の固定化がありました。それはしばしば魅力的なものでした。(「なんてまじまじと彼女は私を見てくれるのだろう。」人は彼女が見つめていると信じたのです。)時には迷惑をかけ、いずれにせよ驚かさせました。私たちはあらゆる両親の注意深さをもって、処方箋を守り、体重、身長曲線、それに頭囲の計測結果に注意しました。それらは不安を抱かさせるものではありませんでした。もちろん私たちは彼女がとても可愛くて、とても魅力的だと思いました。彼女は早熟な子供にはならないでしょう。でもそんなことはたいしたことではありません。 返信する Unknown (midori) 2012-07-23 18:23:27 こんにちは。先生、みなさん、どうかお元気で、よい夏をお過ごしください。9月にまたこの教室で一緒に勉強できる日を楽しみにしています。真冬に生まれたガランスは、この季節の危険と病気に耐えなくてはならなかった。その中で、生まれてすぐに細気管支炎にかかり、そのせいでまるで息を止められてしまったかのように見えた。世界のどんな親も心配でたまらない。私たちもそうだった。ガランスを毛布にくるみ、病院の救急センターに駆け込んだ。ガランスは蒼白で、動かなくなっていた。そして、病院に2週間入院することになった。私たちは、必要以上に長いのではと訝る。しかし、ガランスが私たちの手に「返された」とき、医師からは何も言われなかった。私たちは後になって、ガランスに反応がなさすぎること、または動きがあまりにもないことに医師は気づいたかもしれないと考えるようになった。しかし、その時は何の診断も下されず、何も言われなかった。ガランスは大きくなっていった。嘔吐、おなかの不調、夜寝ないなどの赤ん坊特有のささいな問題はあった。けれど、ありふれたことにすぎない。もし、あげるとしたら、じっと見つめる視線が特別だったかもしれない。その視線は時に私たちを魅了した。(「なんてじっと僕を見つめてるんだろう。」― あるいは、ただ、私たちがガランスが私たちを見つめていると思っていただけかもしれない。)時に、その視線に心を乱され、いずれにせよ、人をはっとさせるような視線だった。親ならだれもがそうであるように、私たちは医師の指示に細心の注意を払って従い、体重、身長の増え方、頭の周囲のサイズを注意深く記録した。心配な要素は何もなかった。そして、春の訪れ。生まれて3カ月、ガランスの顔立ちははっきりとしてきた。ごく自然に、私たちはガランスをとてもきれいだと思った。とても魅力的だと。ガランスは成長の早い子どもではないだろう。でも、それは気にするようなことではなかった。 返信する Leçon261 (Moze) 2012-07-24 11:31:43 フランスのおみやげ話も楽しみにしています。Bonnes vacances!************* 真冬に生まれたので、ギャランスはこの季節のリスクと病気を被った。すぐに気管支炎にかかって、息ができなくなるかのように思われた。親ならば不安でいっぱいになる。私たちも同じだ。私たちはギャランスを毛布にくるんで、救急病院に連れて行く。ギャランスは蒼白で、動かない。ギャランスは二週間入院することになったのだが、必要以上に長かっただろうか?しかし、ギャランスが私たちに「返された」時、何も言われなかった。今思えば、非常に衰弱して、動かないことを認められながらも、診断されることも、伝えられることもなかったのだ。 ギャランスは大きくなった。赤ちゃんの些細な困難の数々、嘔吐、腸の病気、夜泣きを経験した。すべて普通のことだ。しいていえば、多少すわった目。時には思わせぶりな(「なんて鋭く私をみているのかしら!」と。あるいは見つめられていると思っているだけかもしれないが)、時にはやっかいな、いつも意表をつく眼差し。私たちは、親がみなもつ細心の注意で、医師の処方に従い、体重、身長、頭の外周の寸法のグラフを見守った。グラフは心配なかった。春が来た。三ヶ月になって、顔のつくりもはっきりしてきた。もちろん、私たちはギャランスがとてもかわいらしくて、魅力的だと思った。ギャランスは、成長の遅い子かもしれない。でもそんなことはかまわなかった。 返信する Unknown (shoko) 2012-07-25 07:27:31 先生、みなさん、こんにちは。もう何年もフランスに行っていません。先生が前回に引き続き再度渡仏されるというので、羨ましく思います。向こうでの生活ウォッチングなど、私たちにご報告していただけると嬉しいです。充実したヴァカンスでありますように。<質問>1.先生が今回この文章を課題に選ばれた理由が「文体の美しさ」と書かれていましたが、例えばどういうところでしょうか(私のレベルでは、区別がつかないです)。2.「ou peut-etre」の意味がわかりませんでした。***************************真冬に生まれたギャランスは、この季節特有の病気にかかり、危険にさらされた。生まれて間無しに気管支炎になり、息をするのが難しくみえるほどだった。世の中のどの親ともいっしょで、私たちも不安にかられた。ギャランスを毛布でくるみ、あわてて救急病院に連れて行った。ギャランスは血の気もなく、身動きすらしなかった。2週間は入院するだろうが、必要であれば長引くこともあるだろう。彼女が私たちの元に「戻された」時、何の説明もなかった。あとになってわかったことだが、その時すでに彼女は極度に衰弱し動けない状態であるのがわかっていながら、診断がくだされることはなかったし、伝えられることもなかった。ギャランスは大きくなり、乳児によくありがちな嘔吐、おなかの不調、夜泣きをするようになった。これはごく普通にあることだ。Ou peut-être じっと視線を見据えた感じは、時には愛くるしく、(「なんていう目で私を見つめてくれているの」と感じたのは、-ギャランスが自分を見てくれていると思い込んでいるのだから)、しかし多少気詰りで驚きでもあった。私たちは細心の注意をはらって、彼女の体重、身長、頭囲を計ってグラフをつけ続けた。特に気になるようなことはなく、春がやってきた。3か月経つと顔だちもはっきりしてきた。当然、私たちはギャランスのことをとても可愛いく、なんてステキなんだと思った。成長の早い子供ではないかもしれないが、そんなことはどうでもいいことだった。 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
真冬に生まれて、彼女はこの季節の危険と病気にさらされました。生まれてまもなく細気管支炎にかかって、呼吸が止まりそうになりました。世界中のあらゆる両親が心配するように、私たちも心配しました。私たちは彼女をおくるみにくるんで、救急病院に急いで連れて行きました。彼女は蒼白になって、身動きもしませんでした。2週間は入院しなければならない、必要ならもっと長期になるだろうと言われました。しかし彼女が私達のもとに「戻ってきた」時に、私たちはなにも言われませんでした。もっと後になって分かったことですが,人々は重篤な発達の遅れと停滞を予測できたのでした。しかしながらその時は、何も診断されず、伝えられませんでした。
ガランスは大きくなっていきました。彼女は嘔吐、胃腸の不調、夜泣きといった赤ん坊のささいなトラブルを経験しました。よくあることです。それと多分ある程度の視線の固定化がありました。それはしばしば魅力的なものでした。(「なんてまじまじと彼女は私を見てくれるのだろう。」人は彼女が見つめていると信じたのです。)時には迷惑をかけ、いずれにせよ驚かさせました。私たちはあらゆる両親の注意深さをもって、処方箋を守り、体重、身長曲線、それに頭囲の計測結果に注意しました。それらは不安を抱かさせるものではありませんでした。もちろん私たちは彼女がとても可愛くて、とても魅力的だと思いました。彼女は早熟な子供にはならないでしょう。でもそんなことはたいしたことではありません。
先生、みなさん、どうかお元気で、よい夏をお過ごしください。9月にまたこの教室で一緒に勉強できる日を楽しみにしています。
真冬に生まれたガランスは、この季節の危険と病気に耐えなくてはならなかった。その中で、生まれてすぐに細気管支炎にかかり、そのせいでまるで息を止められてしまったかのように見えた。世界のどんな親も心配でたまらない。私たちもそうだった。ガランスを毛布にくるみ、病院の救急センターに駆け込んだ。ガランスは蒼白で、動かなくなっていた。そして、病院に2週間入院することになった。私たちは、必要以上に長いのではと訝る。しかし、ガランスが私たちの手に「返された」とき、医師からは何も言われなかった。私たちは後になって、ガランスに反応がなさすぎること、または動きがあまりにもないことに医師は気づいたかもしれないと考えるようになった。しかし、その時は何の診断も下されず、何も言われなかった。
ガランスは大きくなっていった。嘔吐、おなかの不調、夜寝ないなどの赤ん坊特有のささいな問題はあった。けれど、ありふれたことにすぎない。もし、あげるとしたら、じっと見つめる視線が特別だったかもしれない。その視線は時に私たちを魅了した。(「なんてじっと僕を見つめてるんだろう。」― あるいは、ただ、私たちがガランスが私たちを見つめていると思っていただけかもしれない。)時に、その視線に心を乱され、いずれにせよ、人をはっとさせるような視線だった。親ならだれもがそうであるように、私たちは医師の指示に細心の注意を払って従い、体重、身長の増え方、頭の周囲のサイズを注意深く記録した。心配な要素は何もなかった。そして、春の訪れ。生まれて3カ月、ガランスの顔立ちははっきりとしてきた。ごく自然に、私たちはガランスをとてもきれいだと思った。とても魅力的だと。ガランスは成長の早い子どもではないだろう。でも、それは気にするようなことではなかった。
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真冬に生まれたので、ギャランスはこの季節のリスクと病気を被った。すぐに気管支炎にかかって、息ができなくなるかのように思われた。親ならば不安でいっぱいになる。私たちも同じだ。私たちはギャランスを毛布にくるんで、救急病院に連れて行く。ギャランスは蒼白で、動かない。ギャランスは二週間入院することになったのだが、必要以上に長かっただろうか?しかし、ギャランスが私たちに「返された」時、何も言われなかった。今思えば、非常に衰弱して、動かないことを認められながらも、診断されることも、伝えられることもなかったのだ。
ギャランスは大きくなった。赤ちゃんの些細な困難の数々、嘔吐、腸の病気、夜泣きを経験した。すべて普通のことだ。しいていえば、多少すわった目。時には思わせぶりな(「なんて鋭く私をみているのかしら!」と。あるいは見つめられていると思っているだけかもしれないが)、時にはやっかいな、いつも意表をつく眼差し。私たちは、親がみなもつ細心の注意で、医師の処方に従い、体重、身長、頭の外周の寸法のグラフを見守った。グラフは心配なかった。春が来た。三ヶ月になって、顔のつくりもはっきりしてきた。もちろん、私たちはギャランスがとてもかわいらしくて、魅力的だと思った。ギャランスは、成長の遅い子かもしれない。でもそんなことはかまわなかった。
もう何年もフランスに行っていません。先生が前回に引き続き再度渡仏されるというので、羨ましく思います。向こうでの生活ウォッチングなど、私たちにご報告していただけると嬉しいです。充実したヴァカンスでありますように。
<質問>
1.先生が今回この文章を課題に選ばれた理由が「文体の美しさ」と書かれていましたが、例えばどういうところでしょうか(私のレベルでは、区別がつかないです)。
2.「ou peut-etre」の意味がわかりませんでした。
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真冬に生まれたギャランスは、この季節特有の病気にかかり、危険にさらされた。生まれて間無しに気管支炎になり、息をするのが難しくみえるほどだった。世の中のどの親ともいっしょで、私たちも不安にかられた。ギャランスを毛布でくるみ、あわてて救急病院に連れて行った。ギャランスは血の気もなく、身動きすらしなかった。2週間は入院するだろうが、必要であれば長引くこともあるだろう。彼女が私たちの元に「戻された」時、何の説明もなかった。あとになってわかったことだが、その時すでに彼女は極度に衰弱し動けない状態であるのがわかっていながら、診断がくだされることはなかったし、伝えられることもなかった。
ギャランスは大きくなり、乳児によくありがちな嘔吐、おなかの不調、夜泣きをするようになった。これはごく普通にあることだ。Ou peut-être じっと視線を見据えた感じは、時には愛くるしく、(「なんていう目で私を見つめてくれているの」と感じたのは、-ギャランスが自分を見てくれていると思い込んでいるのだから)、しかし多少気詰りで驚きでもあった。私たちは細心の注意をはらって、彼女の体重、身長、頭囲を計ってグラフをつけ続けた。特に気になるようなことはなく、春がやってきた。3か月経つと顔だちもはっきりしてきた。当然、私たちはギャランスのことをとても可愛いく、なんてステキなんだと思った。成長の早い子供ではないかもしれないが、そんなことはどうでもいいことだった。