[注釈]
*soit dit en passant : 19世紀の大詩人が使っている表現なので、現在口語的に使用するかどうかはわかりませんが、ぼくなら、a` ce propos 「そういえば」を使うでしょうか。
*il faut que tout cela deviennent tableau par le moyen...: tout cela は、ブーダンの描いた sa curieuse collection を指します。tableau を制作するには写生notes,copieよりも、記憶を介在させた impression poe'tique が重要である、ということです。プルーストの文学理論を連想させますが、a' volonte' 意志的というところが、大きな違いとなっていますね。
ブーダンのle Pardon de ….については、
http://collections.musees-haute-normandie.fr/objets//m072004_0001705_p.jpg
をご参照下さい。
[試訳]
そう、想像力が風景を作り上げるのです。私にはわかるのですが、写生に専念する人は、眼前の情景に含まれている驚くほど豊かな夢想に身を預けることができないものなのです。でもどうして想像力は、風景画家のアトリエから逃れてしまうのでしょうか。おそらくこのジャンルに長けた画家は、自身の記憶を疑うあまりに、その場で写生する制作方法をとっているのですが、そのやり方がまた見事に彼らの精神の怠惰と適合してしまうのです。私が最近眼にしたように、もしそうした画家たちがブーダン氏のアトリエで、因みに彼は、非常に優れた、けれども相当控えめな作品(le Pardon de sainte Anne Palud)を発表しているのですが、海と空を前にパステルでその場で描かれた数多くの習作を見たのであれば、彼らに何が理解できないでいるのか、つまり、習作と絵画を分つ違いに思い至ったことでしょう。といってもブーダン氏は、自身の芸術に対する献身振りを誇ることも出来たであろうに、たださりげなく、目を離すことのできないコレクションを並べているだけなのです。こうしたすべてが、いつでも想い出せる詩的印象によって絵画とならなければならないことは、彼にとって自明なことであり、ことさら絵のために写生をすると言うこともないわけです。しばらくすれば、まちがいなく、完成作においてブーダン氏は、大気と水の驚くべき魔術を披瀝してくれることでしょう。
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misayoさん、柴田の「翻訳教室」おもしろそうですね。もともと貧弱な英語力もすっかり錆び付いてしまったぼくにも、とても勉強になりそうです。
そういえば、a` ce propos...、昨日思い立ってスーザン・ソンタグ『良心の領界』(NTT出版)収録の「インドさながらの世界 - 文学の翻訳について」を読み返しました。インドにみられるように、社会活動の場が英語一色に染められようとする現代において、翻訳の重要性を説いた講演です。水村美苗『日本語が滅びるとき』同様、日本語と翻訳の不即不離の関係を再考する上でも非常に示唆に富む内容でした。
それでは、次回はBaudelaire の文章を最後まで読んでしまいましよう。試訳は7月3日(水)にお目にかけます。
[注釈]
*en puissance, non en acte : これはスコラ哲学の用語で en puissance は virtualite' を、 en acte はその対立概念です。可能性としてとどまる記憶と、実際の想い出の蘇りのことです。またla me'moire は記憶が保存されること、あるいはその状態であるのに対して、le souvenir には、venir a` esprit、つまり「想起」という動的な変化が含意されていると考えられます。
[試訳]
ヴァレリーもまた想起の、現実態ではなく、可能態としての想起が損なわれるものではないことを信じていた。「忘却とは、記憶を働かせる装置がいよいよ鈍くなることだ。想い出は可能態としては永遠に損なわれることはないと、私は信じるようになった。ただそれが現実に働くことは稀である。想起は現実の働きによって起るが、それを引き起こす正確な条件は次第に失われてゆく。そうした条件は紛糾し、混乱し、明確化されなくなり、失われてゆくのだ。」想い出を喚起すべきだったものが他にあてがわれ、力を失い、消え去ってしまう。時とともに、とヴァレリーは冗談を言う。「想い出の値は上がるのだ」さらにこうくり返す。「記憶は失われることはない。想い出は消え去らない。失われるのは想い出の辿る道筋であり、シナプスの力にはムラがあるのだ。」
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shoko さんが仰るように、この程度の暑さで盛夏を迎えられたら、本当に有り難いですね。
さて、次回からは印象派の先駆け、Boudinを世に知らしめたBaudelaireの美術評を読むことにしましょう。テキストに関しては、この週末にまたお知らせします。
Shuhei