フランス語読解教室 II

 多様なフランス語の文章を通して、フランス語を読む楽しさを味わってみて下さい。

ひとつでない性のあり方(2)

2011年10月26日 | Weblog
 [注釈]
 
 *C'est (...) ouvert a` toutes les ide'ologies. : 一部の人文科学の極端な反生物主義を問題にしています。ここでいうide'ologie とは、生物学的事実を顧みない偏向と結びつきかねない思想的な立場ということでしょう。ouvert の意味するところは、qui n'est pas prote'ge', abrite' となるでしょうか。
 *la construction sociale de l'identite' sexuelle des individus. : ここは大切なところで、sexualite' は、所与の、生物学的な事実ではなく、社会的に構築されたものである。そうしたなりたちが、人類学において一層明らかになる、ということです。
 *une re'ce'ptivite' sexuelles des femelles quasi permanente : quasi permanente は、「ほとんど常時」ということでしょう。ヒト以外の他の種では、交尾・繁殖が季節やなんらかの大きな周期に左右されることがあるようです。
 
 [試訳]
 
 生物学的な性は染色体によってはっきりと決定されている。雌は哺乳類ではXX(同形型)であり、雄はXY(異形型)である。ところが、鳥類では逆で、雌がZW、雄がZZとなっている。極低い確率で性別が不確定な違った型の個体が生まれる。
 そこにおいて、一部の人文科学が物議をかもしている。それは、極端な反生物主義を理由に、私たちが性に関して生物学的にはもっとも性別の顕著な種のグループに属するという、この生物的な事実を認めようとしない。それは科学的に見てお粗末な議論であるし、哲学的な観点から見ても馬鹿げているし、どんなイデオロギーにもつながりかねない。(生物学的な)性の向こうにセクシュアリテは存在する。つまり、個体をさまざまな性的な関係に導く多様な、自在な行動が存在する。幸い、一部の人文科学は、とくにセクシュアリテ、個体の性的同一性の社会的な構築に関して、進化主義人類学と共同している。
 私たちの種は、雌側の性のほとんど恒常的な受け入れ態勢と、性行為と生殖の断絶によって特徴づけられている。同じことは、私たちにもっとも近い類人猿にも見られる。セクシュアリテは愛情関係のみならず、闘争の解決や侮辱や服従においても介入する。
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 misayoさん、明子さん、Mozeさん、shokoさん、訳文ありがとうございました。皆さんには、少しやさしすぎる文章かもしれませんが、あと二回よろしくおつきあいください。
 ところで、今は日本を代表する現代作家となった村上春樹ですが、ぼくは、高校生の頃に図書館で、群像新人賞に輝いた『風の歌を聴け』を同誌で読んだきりでした。たしかその前年に同賞を受賞したのが、当時高校生だった中沢けい作の『海を感じる時』だったと記憶しています。その後、ぼくのまわりでも、村上の数々の長編小説を読み続けている知人は数多くいましたが、ぼくは村上作品と出会うことはありませんでした。
 前回少し触れた、山梨旅行への車中で村上春樹『走ることについて語るときにぼくの語ること』(文藝春秋)を読みました。これは、マラソン・ドキュメンタリーの体裁を取った、著者自身の言葉を借りれば、一種の「メモワール」です。自身の資質を冷静に見据え、その資質を、才能を、十全に活かす努力を怠ることなく、三十年以上に渡って日本の文学界の第一線を走り続けてきた村上の逞しい姿勢には、教えられることが数多くありました。
 実は、同書を手に取ったきっかけは、内田樹が若い人々を念頭に置いたブック・ガイドでこれを薦めていたからです。興味のある方は、こちらもご覧下さい。
 http://blog.tatsuru.com/
 それでは、次回は、Francois Hetier). までとしましょう。11/9(水)に試訳をお目にかけます。
 Shuhei

ひとつでない性のあり方(1)

2011年10月12日 | Weblog
[注釈]
 *elles se trouvent en prise avec les grands questions (...), sans oublier l'avenir de l'espaces humaine, avec les probl`ematiques de... : 生命科学や地球科学は、私たちが今生きているこの社会の諸問題と直接かかわり(en prise avec)、人類の将来をも見据えると、生物多様性や温暖化の問題とも無縁ではいられない。
 *un enseignement de qualite' en phase avec les avance'es (...) : en phase avec...とは、…と位相を同じくする、ということですから、ここでは、les avance'es などと遅れをとらない、ぐらいの意味合いでしょう。
 *les espe`ces les plus sexue'es : sexue'は、文脈からすると、生物的に雌雄が判然としている、ということでしょう。Mozeさんの「雌雄化されている」というのは正確な訳だと思います。
[試訳]
 明らかに、生命や地球に関する科学は、左右を問わず保守派には気に入らないものだ。それぞれの研究分野やその内容によって、そうした科学は、私たちの社会の現代性(モダニィティー)や、宗教的中立性(ライシテ)や性的問題に関する大問題にかかわることとなり、人類の未来を視野に入れると、生物多様性や気候温暖化の問題圏とも無縁でいられない。私は、同僚の研究者たちの代表として、教育内容の作成にかかわっている国立教育機関で働く私たちの仲間の、正しさと勇気と、一言で言えば、市民としての働きを讃えたい。また、学知の進展と社会の諸問題の変化に適った教育にために働いているすべての人々のことも讃えたい。
(…)
 時代の変遷の中で問題となるのは常に人間であり、人文科学である。論争は錯綜しているために、ここでは議論を整理してみたい。生物学的、進化的観点からすると、もっとも性別的な種は、哺乳類と鳥類である。二つの類は、もちろん、性の多様性においても、生理学的に、動物行動学的に、認知科学的にもっとも複雑な種である。(爬虫類のほとんどの性は孵化の温度に応じて決まり、魚類の10%は成育中に自然と性を変更している。)
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 みさよさん、明子さん、Mozeさん、shokoさん、訳文ありがとうございました。さすがにみなさん、内容を正確に捉えていました。まだ筆者の主張は明らかになっていませんが、本題に入るのは、次回以降となります。
 明子さん、Twitter のぞいてくれてありがとうございます。Twitterの趣旨からは外れているかもしれませんが、読書日記代わりに、時々書き付けています。
 日本のように、高温多湿の島国では、音楽、絵画などを気遣い少なく楽しめるのは、やはり秋となりますね。ぼくも、ふと思い立って昨日火曜日、山梨県立美術館に足を運んできました。心に残ったのは、農夫たちの労働をたたえたミレー(Millet)の作品群や、バルビゾンの森の木漏れ日を描いたルソー(Rousseau)の風景画でもなく、後にミレーの妻となりながらも、その三年後には他界することになる、まだ少女と言って差し支えない Pauline Virgine Ono を描いた、その後農民画家と呼ばれることになるミレーのほんの初期の肖像画でした。http://www.art-museum.pref.yamanashi.jp/permanent/collection_millet01.html
 この絵画を制作していたミレーも少女も、この若い生命に許された命数を知るはずもなかったでしょう。けれども、凝視することによって、画家がこの初々しい命を作品創造のその時に、確かに捉えていたことを、この絵は語っています。子供を持つこともなく夭逝した妻をミレーは深く悼んだことでしょう。ですが、ミレーの描くという行為によって、ポーリーヌの命は時空を超えた永遠の若やぎとして、ぼくの眼をしばらく捕らえて放しませんでした。
 同時開設されていた「川端康成と東山魁夷展」は、帰りの列車の時間が気になり、まったく落ち着いて楽しめませんでした。できれば、もう一度同美術館を訪ねてみたいと思っています。
 さて、次回はd'humiliation et de soumission. までとしましょう。26日(水)に試訳をお目にかけます。Shuhei