フランス語読解教室 II

 多様なフランス語の文章を通して、フランス語を読む楽しさを味わってみて下さい。

Au bar des nostalgies (1) 沖縄、嘉手納のバーで

2010年02月24日 | Weblog
 [注釈]
 
 * les communications te'le'phiniques e'taient che`res : みさよさんの「電話で話すのは高くついた」という訳は、とてもうまい訳だと感心しました。
 * une histoire minimaliste, fragmentaire (...) de pre'sence des GI a` Okanawa : 日米に係る安全保障という大きな物語ではなく、小さなエピソード、という意味合いで minimaliste, fragmentaire という形容詞が並べられています。
 * Les trois quarts (...) le sont a` Okinawa. : le = stationne's

 [ 試訳]
 
 半世紀にわたって、古びたタイプライターで彼は恋文を書いていが、それは自分の手紙ではなかった。76歳になる仲間テツオは、沖縄の嘉手納にある米軍基地のバーで働く娘たちが、ベトナムやあるいは他の国で戦う恋人たちに宛てた手紙の代書屋を務めていた。返事が届くと、差出人の娘がやって来る。仲間は手紙を訳して娘に聞かせていた。英語は基地で働くために学んだものだった。ある日米兵相手のバーを営んでいる従兄が、訳してくれと手紙を持って来た。それから、注文が相次ぎ、仲間は代書屋になったのだった。
 1960年代から80年代までは、電話代は高くついたし、日本にはあちらこちらに米兵が駐留していたため、恋文の代書は、新しい通信技術らよって一掃されるまでは、繁盛した。恋文の代書屋とともに消え去ったのは、政治の向こう側にあった物語、日本の南端に位置する亜熱帯の島々沖縄に、64年にわたり続く米兵駐留のちっぽけなエピソードであった。
 何十年にもわたって暴力の徴は消えない。日本にある基地が後方を支えながら、アメリカによって行われる戦争の暴力。米軍の駐留に反対する地域住民たちの闘争から生まれる暴力。米兵向けのバーや売春宿で働くために、遠く、さまざまな地域からやって来た娘たちを食い物にしようとする暴力。そんな娘たちに対する、あるいは一般の女性たちに対する暴行。「暴力に反対する沖縄女性協会」によると、この40年で100件にも上る米兵による暴行が起きている。日本に駐留する47000人の米兵の3/4が、沖縄に集中している。
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 みなさん、さすがによく読めていました。Le Monde は、購読者以外の方が参照できるのは A la Une、つまり、一面のみなのですが、La Libe'ration などは無料閲覧できる記事もかなりあります。こうしたフランスの新聞社のサイトを是非時々覗いてみて下さい。
 それでは、次回は toujours a` se comprendre, non ? までとしましょう。 
 明子さん、「日仏国際シンポジウム」のことは初耳でした。詳しい内容がわかるサイトなどがあれば、また教えて下さい。
  smarcel

アルベール・カミュ『反抗的人間』(2)

2010年02月17日 | Weblog
 [注釈]

 * les e^tre livre’s aux e^tres : この部分は、e^tre の多義性のために、よく分かりませんでした。ただ、現実には確固とした物語像を結ばない人生が、小説においては「運命の様相」を帯びる、という文脈を踏まえて、下記のように訳出しました。
 * il n’est me^me jamais de si bouleversants he’ros que ceux qui... : ne pas si... que ~ 「~ほど…でない」
ex. Il n’est pas si ente^te’ que vous croyez.
 * nous perdons leur mesure : mesure は、ここでは「尺度」を意味すると考えられます。prendre la mesure de …となれば「….の真価を見定める」という意味になります。
 ここでは、「情念の果てまで」生き抜く小説世界の登場人物たちの真似は私たちにはできない、という文脈をしっかり押さえて下さい。
 * Le roman fabrique du destin sur mesure. : sur mesure 「寸法に合わせて、オーダーメイドで」ここでも、小説がそれぞれの登場人物に相応しい運命を「象る」ことを表現しています。
 * Une analyse de’taille’e des romans... : ここでは、chaque fois diffrentes, son expe’rience ⇔ l’essence の対比に注意して下さい。小説の展開 perspectives 、作家の経験 expe’rience はさまざまであっても、小説の本質は変わらないということが述べられています。

 [試訳]

 そこでは行為がそれに相応しい姿を得て、「完」の文字が記され、人々は懸命にその人生を生き、あらゆる人生が運命の相貌を帯びる。もし小説がそういうものでなかったら、一体小説とはなんであろうか。物語世界とは、人間の深い欲望に沿って、この世界を書き換えたものにすぎない。なぜならそこで問われているのは、同じこの世界であるからだ。苦悩も同じなら、嘘も恋も同じだ。登場人物たちは私たちと同じ言葉を、弱さを、力を持っている。彼らの生きる世界は、私たちの世界と比べて、美しくも、説教臭くもない。ただ彼らは、自分たちの運命をその果てまで駆け抜ける。キリーロフやスタヴローギン、グラスラン夫人、ジュリアン・ソレル、クレーヴ公といった、その情念の極北まで辿り着いた人物たちほど、読み手の気持ちを揺さぶる主人公たちはけっしていない。この世界においては、私たちは彼らの大きさを測れない。なぜなら、彼らはその生を全うするが、私たちにはそれが果たせないからだ。(…)
 つまり、これが想像世界である。けれども、この世界を書き換えたものなのだ。そこでは、苦悩が、もし望むのであれば、死に至ることもあり得る。情念は生半可なものではありえない。さまざまな人間が凝り固まった思いにとらわれ、一人ひとりが常に向き合っている。ひとはついにそこでおだやかな自らの姿と枠を手に入れる。それは、その実人生の条件に囚われたままでは、求めても虚しかったものだ。物語がそれぞれに相応しい運命を象る。そのようにして物語は人間の生誕と肩を並べ、束の間であっても死に打ち勝つ。名の知れたさまざまな小説を分析してみると、物語の展開は異なっていても、小説の本質が、その度にくり返されるこの書き換えにあることが分かる。作家がその経験に基づいて行っても、その書き換えは、常に同じ方向に導かれている。それは、ただ説教臭く、純粋に形式のみを目指して行われるわけではなく、何よりもまず統一を目指し、そのことによって形而上的な欲望を表現する。小説とは、この面において、まずなによりも、この世界に郷愁と同時に反抗を覚える感性のための、知性の行使である。
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 『反抗的人間』、いかがだったでしょうか。また疑問に思うことがあれば、遠慮なくお尋ね下さい。
 さて、次回からは、がらりと趣をかえて、Le Monde の日本特派員が書いた沖縄レポートを読むことにします。テキストはこの週末までにはお届けします。お楽しみに。
smarcel

アルベール・カミュ『反抗的人間』(1)

2010年02月10日 | Weblog
 [注釈]
 
 * sous le signe de l’absurde et de la ne’gation : signe とは「符号」のことですから、カミュ= 「不条理」といった受け止められ方のことです。
 * de saisir sa vie comme un destin : この解説文では、カミュにおける矛盾、両義性が問題とされています。つまり、あるがままの現実を捉える態度と、その変革を目指す側面のことです。そうすると、posse’der le monde, en avoir une perception comple`te は、後者の側面を、saisir sa vie comme un destin は、前者の態度に対応しているように思われます。
 * si cate’goriquement condamne’e par Breton : 『反抗的人間』の発表を機に、「現実の変革」に臨む、その審美的、政治的意識について、カミュと、ブルトンを筆頭とするシュール・レアリストの間で激しい論争がありました。
 * Le roman s’en racine.. : 要は、la justification profonde de la fiction romanesque のことですから、Moze さんの「根付いている」という解釈で問題はありません。
 
 [試訳]

 カミュの作品は、えてして不条理や否定といった符号のもとに置かれる。現代を生きながら悪や死について自問する人間に、世界は答えを返すことはないのだから。ところで、作家自身が指摘していたように、不条理の作品群(小説『異邦人』1942年、論考『シジホスの神話』1942年、戯曲『カリギュラ』1944年)の後には、行動を前提とする反抗の作品群(小説『ペスト』1947年、戯曲『正義』1950年、論考『反抗的人間』1951年)が続く。カミュにとって「矛盾とは、人間はあるがままの世界を受け入れることは出来ないのに、そこから逃れることも潔しとしないことだ」(『反抗的人間』p.326)この同じ矛盾が、芸術家の態度を特徴づけてもいる。「芸術とは、称賛と同時に否定するこの運動のことだ。どんな芸術家も現実を受け入れることはない、とニーチェは言った。確かにその通り。けれども、どんな芸術家も現実をなかったことにはできない」(p.317)
 このことはとくに小説家にあてはまる。小説家は、人間の「形而上学的欲望」を、つまり、世界を所有し、世界を完全に見通そうとし、だがまた同時に、その人生を運命としてとらえようとする欲望を、満たすことができるからである。
 
 小説と運命

 そこに、小説による虚構の深い動機がある。それをブルトンは手厳しく批判したけれども。「とりとめもない世界」にまとまった形を与えることのできない苦しみを生きる人間に、小説は似たような苦しみを生きる登場人物たちを提供してくれる。ただひとつ違うのは、「登場人物たちは、彼らの運命の果てまで駆け抜ける」点だ。それが可能なのは、まさに彼らが想像上の人物だからである。小説は、つまり、枠もなく、とりとめもなく生きながらも、生の形を希求する、人間の最も深い条件に基づくものである。
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 本文に付されたこういう解説文の方が、えてして読みづらいということはあります。いかがだったでしょうか。
 さて、次回は、いよいよ『反抗的人間』の本文を読むことにします。少し長いのですが、かといって2回にも分けづらく、一挙に読んでしまうことにします。
 
 大阪という土地は、南洋に面した和歌山県の北に位置します。年があらたまりしばらくすると、スーパーなどの店頭に、陽を浴びると黄金色に見える、和歌山産の八朔(はっさく)が並びます。そのどことなく暖かな色調に、ぼくはいつもそう遠くない春を感じるのです。今年買い求めた八朔は、どれも瑞々しく、甘く、例年よりもまして、舌で春の訪れを実感しています。
 smarcel