フランス語読解教室 II

 多様なフランス語の文章を通して、フランス語を読む楽しさを味わってみて下さい。

ミラン・クンデラ「カフカ作品の美しさを...」(1)

2014年06月25日 | Weblog

 今回は特に何も付け加えることがありません。misayoさん、クンデラの書いたものはもう十分理解できるはずです。彼の評論、小説などどんどん読んでいって下さい。

[試訳]

 ミラン・クンデラ「カフカ作品の美しさを明確にしてみたいけれど、できそうもない」
 

 数えられないくらいのページがフランツ・カフカについて書かれたけれども(おそらくはまさにその膨大なページのために)、前世紀の大作家の中でカフカは依然として最も理解されていない作家である。彼の最も有名な作品『審判』は1914年に書き始められた。すなわち第一次『シュールレアリスム宣言』が世に出される丁度十年前にあたるが、当時シュールレアリストたちはカフカの「超現実」の幻想について知る由もなかった。というのも、その小説作品が死後しばらく経ってから出版されることになるカフカは、その時その存在さえ知られていない作家であったからだ。他のどんな作品にも似ていないこれらの小説が文学史の流れの外にあり、その作者にしかよりどころを持たない場所に位置づけられていたとしても、驚くにはあたらない。
 けれども、そうした孤高にもかかわらず、こうした小説作品の時代を先取りした美学の革新性はひとつの事件であり、小説の歴史に(随分時間がかかったとはいえ)影響を与えずにはおかなかった。「今までとは違った形で小説が書けることを私の教えてくれたのは、カフカだった」と、かつてガブリエル=ガルシア・マルケスは私に語った。
 『審判』に明らかな形で読み取れるように、カフカはまったく独自な仕方で自身の小説の登場人物を考察している。登場人物Kの風貌についてカフカはひと言も語らないし、小説の中で出来事が起る前、その暮らしぶりについても何も語られない。その名前についてさえ、私たちにはただKというこの一文字が知らされているだけだ。そのかわりに、小説冒頭からその最後に至るまで、Kの状況、彼の生きているその状況に焦点が当てられている。
 『審判』の場合、問題になるのは「告発されている男」の状況である。その告発もはじめかなり奇妙な仕方で明らかになる。これといって特徴のない男が二人朝、まだ起き上がってもいないKのもとに訪れる。そしてどちらかというとにこやかなやり取りの間に、自分が告発されていること、こうした審査のケースでは大変長きにわたることを覚悟しなければならないことも知らされる。Kと男たちのやり取りはおかしくも、バカバカしくもある。実際、カフカがこの冒頭の章をはじめて友人たちに読んで聞かせたところ、みんな声を上げて笑ったのだ。

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Akiko, je vous envie de passer la plus belle saison en France. Bon se'jour ! midoriさん、今回は易し過ぎたかもしれませんが、また自分のペースでこのサイトをフランス語学習に役立てて下さい。Mozeさん、http://filmvf.net/の紹介ありがとうございます。ぼくも今度フランス語吹き替えの『風立ちぬ』を楽しんでみます。

 ところで、昨日某お弁当屋さんで注文した豚カツ弁当を待つ間、沖縄慰霊の日にちなんで書かれた中日新聞のコラムに目が止まりました。末尾の一文が心に残りました。よろしかったら一読下さい。

http://www.chunichi.co.jp/article/column/syunju/CK2014062402000093.html

 さて次回はla pe'sie de la prose. までを読みます。試訳は7月9日(水)にお目にかけます。

 Bonne lecture ! Shuhei


Ph. Sollers <<L'ange de Proust>>(3)

2014年06月11日 | 外国語学習

[注釈]
 * Je me serais bru^le' les ongles : 『失われた時を求めて』の主人公に仕えるフランソワーズは、フランスの地方特有の言葉遣いで時として主人公を魅了するのですが、その彼女の言動にはこのセレストの姿がいくらか反映されていると言われています。se bru^ler les ongles という一般に使われている慣用句があるのかどうかは定かではありませんが、これももしかしたら、セレストの、あるいはセレストの育った地方特有の言い回しなのかもしれません。

[試訳]
 この二人よく笑っています。例えば、 NRFが『失われた時を求めて』の出版を断ったことをジッドが謝罪に来たとき、セレストは「あの方はまるでえせ坊主のようだ」と思ったと言います。するとプルーストは吹き出して「大笑い」。そのあだ名はそのあともジッドに残されることになるのです。セレストは彼女独自の人の見方を持っていたようです。コクトーは「イタリアの道化ポリシネル」で、ただ(あるいはほとんど)ジャック・リビエールとエドワー・モランだけが、彼女のメガネに適ったのでした。セレストが一番驚いたのは、この大病人の書くことの速さでした(彼女は逆さまからでも主人の書いたものを読むことが出来ました)。ベッドは原稿で埋め尽くされ、それを穫り入れ、貼付け、分類しなければなりませんでした。ある朝、プルーストは彼女に言います。「完」の字を書いたよ、と。「これでぼくも死ねる」「可哀想な旦那様の疲れ切った身体に病がさらに深刻になってからは、片目を閉ざすことももうありませんでした。後から言われたものです。一週間私はまったく横にならなかったそうです。そんなことはわからなかった、と私は答えました。本当に、自分では気づきもしませんでした。私にとっては、まったく当たり前のことでした。旦那様が苦しんでいる。考えることはただひとつ。旦那様の望むこと、その苦しみを少しでも和らげることができることなら、なんでもして差し上げることです。(...)十分なことをして差し上げられないぐらいなら、私は自分の爪を燃やしていました。」
 プルースト氏はもう眠ることも、食事をとることもありませんでした。医者の手も拒んでいました。自らの死は自分だけのものである、と考えていました。「旦那様の生殺与奪の権をお持ちなのは、旦那様をおいて他にはありませんでした。」セレストのづき言葉が私は好きです。「旦那様は自分自身であることにかけて最高にエレガントでした。ただそれだけです。」
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 いかがだったでしょうか。misayo さん、midoriさん、Mozeさん、梅雨の日々にも関わらず、訳文ありがとうございました。
 実は、プルーストの最期を看取ったそのセレストの姿を以下で見ることが出来ます。決して知識階級に属する人物ではありませんでしたが、きれいなフランス語で聡明に語るマダムの様子を見ることが出来ます。
http://www.ina.fr/video/I08042556
 さて次回からは、あのクンデラがカフカの『審判』を評した文章を読むことにします。詳しくはこの週末までにお知らせします。
 p.s. Moi, non plus, je ne peux fermer les oreilles au cri des chats. Shuhei