フランス語読解教室 II

 多様なフランス語の文章を通して、フランス語を読む楽しさを味わってみて下さい。

新しいテキスト :E.Todd <<Qui est Charlie ? Sociologie d'une crise religieuse>>

2015年05月20日 | 外国語学習

Chers amis,

「教室」では、次回から E.Todd <<Qui est Charlie? Sociologie d'une crise religieuse>>(Seuil)の書評を読みます。テキストをご要望の方は

shuheif336@gmail.com

までご一報ください。 Shuhei



3 コメント

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Emmanuel todd contre les illusion de la France du 11 janvier 1 (misayo)
2015-05-24 10:44:04
 こんにちは、みさよです。今回の課題は最後のあたりが難しかったです。サント・トリニテ教会が唐突に出てきて、面くらいましたが、カトリック教会の象徴と捉えればよいのでしょうか。

エマニエル・トッドが1月11日に関するフランスの幻影に反撃する

「大衆による支配集団」
 この作品は「シャルリ」の時以降の私たちの社会のイデオロギー的政治的権力の構造を理解するための招待状です。国家が自らを宗教分離の信徒共同体にしてしまう「宗教的危機」についての学識豊かで辛辣な分析です。もちろんデモ参加者が寛容のために行進したことを率直に著者は認めています。しかし彼らに影響を及ぼしたのは「潜在する価値観」の本当の姿ではありませんでした。あの日「何よりも問題だったのは、社会的権力、支配力を明らかにすることだった」と著者は書いています。「弱者の宗教を侮辱する権利を優先的必要事項として認めさせる」ために通りに飛び出した上部カテゴリーの「白人フランス」の支配力です。理論的、意識的宣言のうちにではないけれど、実際的で無自覚的態度のうちにある、不平等なフランスの支配力のことです。
 なぜなら「今日、共和制を引き合いに出す勢力は、本質的な共和派ではない」と著者は説明します。リヨンの大規模なデモと、マルセイユのもっと穏やかなデモの違いが、それを描き出すように、1月11日に集結したのは、カトリックと階級制の古い地盤の住民たちだったのです。この「大衆による支配集団」こそが、恵まれない人々の社会的差別を是認し、怒れる郊外のゲットーに若いイスラム人たちを追放することを是認していると著者は主張しています。
 地図作成法を根拠にして、人口統計学者は「周辺地域のカトリック教のサブカルチャー」はカトリック教会の衰退にもかかわらず存続し、無意識に個々人を明確にしていると証明しようとしています。また彼らは不平等な「ネオ共和派」の出現を助長しているとしています。その影響で「ヨーロッパの単一通貨の残酷な神聖が、サント・トリニテ教会に取って代わってしまった。なぜならマーストリヒト条約は我々にとって、革命に由来すると言うよりは、カソリックやヴィシーに起因するからだ」と著者は断言します。同様の影響力の下、社会党は右傾化してしまったのです。
 
Unknown (shoko)
2015-05-29 05:04:58
先生、皆さん、こんにちは。大変ご無沙汰してしまいました。久しぶりに「訳す」という作業をし、記事の背景や知識がないと正確に訳すことができないと痛感しました。意味の取れていないところが幾つもあり、先生の試訳を待つことにします。

「奇跡」以外のなにものでもないのですが、パリで仕事を見つけ、入国してから4か月近くになります。バタバタと慌ただしく荷造りをして日本を離れ、短期の旅行以外では馴染みのなかったパリでの暮らしは、早い段階から違和感がなかったのが不思議な感覚でした。一方、すっかりフランス語の勉強を疎かにしてしまっていました。皆さんとまた一緒に勉強させてください。よろしくお願いします。

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シャルリ・エブド事件以降、エマニュエル・トッドは著述のなかで、我々が生きている社会のイデオロギーや政治の権力構造を理解するよう勧告している。トッドが記述しているのは、或る国家の「宗教的危機」の学問的・辛辣的な分析である。ここでいう国家とは、宗教から独立し、国家そのものを欺いている。トッドによると、追悼行進している人たちはもちろん宗教の自由のためにデモをしたのではあるが、とはいえ参加者たちを動かしたのは潜在的価値の実際の姿ではないと言っている。この日、「なにはさておき社会的権力・支配力というものを表明することが重要であった」と彼は書いている。ここで言う支配とは、優先的に必要なものとして、弱者の宗教を侮辱する権利があると定義するためにデモに向かった社会の上部にいる白人の支配である。また、デモ行進する彼らの理論的・意識的要求の中にではなく、実践的・無意識的行動の中に存在する不平等なフランスの支配である。

何故なら今日共和制を標榜する集団は共和制の神髄を有していないからだとトッドは説明し、このことは、リヨンでの大規模なデモとそれに比べて控えめなマルセイユのデモとの差に表れているという。1月11日の追悼行進に集まったのはカトリック教徒で階級制が見られる古い地盤の土地に暮らす人たちであった。恵まれない人たちが社会的に差別され、イスラム教徒の若者たちをゲットーに追放する、このようなことを受け入れるのが大衆による寡頭政治なのである。

人口分布図を根拠とし人口統計学者が証明しようとしているのは、カトリックの衰退は見られるものの、周辺地域のキリスト教的サブカルチャーが存続していることと、無意識のうちの個々の明確化である。また、不平等なネオ共和制の到来の優遇である。この制度の影響のもと、欧州の統一通貨ユーロの厳格な神聖化は、三位一体にとってかわった。何故なら我々にとってマーストリヒト条約は、フランス革命以上にカトリシズムやヴィシー政権に由来しているからだとトッドは断じている。同様にネオ共和制の影響により、社会党は右傾化した。
Lecon314 (Moze)
2015-06-02 13:46:48
こんにちは。misayoさんのおっしゃるように今回は難しかったです。syokoさん、パリでの新しい生活頑張ってください!またパリ便りなどお聞かせください。
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著作は、「シャルリー」を契機として、私たちの社会のイデオロギー的、そして政治的メカニズムを理解するよう促すものである。政教分離の共同体において「自らを欺く」国の「宗教的危機」についての明晰で辛辣な分析である。もちろん著者も認めているように、デモの参加者たちは、誠心誠意、寛容のために行進したのだ。だがしかし彼らを動かしたのは、「潜在的な価値観」の現れではない。あの日は「とにかく社会的権力、支配を明確にすることが重要だった」と著者は書いている。弱者の宗教を軽蔑する権利を優先的要求として明示するためにはせ参じた上流階級からなる「白人のフランス」の支配である。理論的そして意識的宣言においてではなく、実際の、無意識の行動のうちにある不平等なフランスの支配である。
といのも今日、フランス共和国を引き合いに出す力は、共和主義的本質によるものではないと著者は説明する。リヨンでの大勢のデモとマルセイユでのより控えめなデモとの差が例証するように、1月11日に呼び集められたのは、カトリック的そして階級的な古い地方の住人たちである。憤ったのは、不利な人々の社会的差別、若いイスラム教徒を郊外のゲットーに追放することを容認する「多数の寡占支配者」なのであるとトッドは主張する。
地図作成を拠りどころにして、この人口統計学者は明らかにしようとしている。「都市周辺地区のカトリック的サブカルチャー」が、教会の衰退にもかかわらず存続しているが、知らない間に、人々の心を決めさせている。さらに、不平等主義の「ネオ共和国」の出現を促している。その影響の下に、ヨーロッパの単一貨幣の「残酷な神性」が、聖三位一体にとってかわったのだ。というのも、マースリヒト条約は、フランス革命よりカトリック主義とヴィシー政府に由来するからだとドットは明言する。その条約の影響力によって、社会党も保守化してしまった。

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