フランス語読解教室 II

 多様なフランス語の文章を通して、フランス語を読む楽しさを味わってみて下さい。

アニーズ・コルツについて(1) テレラマ臨時増刊号「20世紀の詩人たち」より

2016年06月15日 | 外国語学習

[註]

 *les mots qui sortaient le faisaient dans l'autre langue  le はl'épouxだと考えられます。 

 *Qui, plus tard, deviendra poème  ここの関係代名詞の先行詞は、le refus でしょう。

 *ce que disaient Adorno…:ネット検索してもわかると思いますが、フランクフルト学派の中心人物であり、美学者・社会思想家のアドルノは、アウシュヴィツ後、詩を書くことは野蛮であり、不可能であると語ったのでした。

 *S'il est mort précocement, c'est que…  si + 事実, c'est que + その理由という構文です。

 *A.K. aurait pu, (...) en faire une arme de guerre…: Mozeさんのお考えのようにen は、de l'allemand となります。

 

[試訳]

 アニー・コルツ(1928年生まれ)の詩には見えない影がある。その影は、ひとつひとつの言葉の下に、その言葉からなる言語の下にかくれている。言葉は叫んでいる。「人生はおだやかな大河」ではなく、「殺戮」であると。この影にはある日の日付が眠っている。その日付が告げるのは、彼女の夫の死。なぜなら、彼が、夫ルネ・コルツがまだそこにいた時、表現された言葉は別の言語で夫を歌っていたからだ。三ヶ国語が使用され、作家はそのどれかを選ばなければならなかったルクセンブルクの別の言語で。1971年以前に出されたアニーズの初期作品を読んでいるものには、そのことがわかる。その時まで世界を描いていた言葉はドイツ語であった。けれども、1971年。ルネ・コルツの死が訪れる。その時居座ったのは影ではなく、沈黙であった。何年にもわたる沈黙であった。詩の拒絶であった。そして歳月が流れ、沈黙が破られ、その拒絶が詩と、歌となるのだった。別の言語を語るという拒絶。その時から、別の言語で書かれた十数冊の書物が世に問われている。フランス語で書かれた書物。なぜこうして国境は跨がれたのだろうか。その訳は彼女が沈黙したのと同じことだ。夫ルネ・コルツは占領軍ナチによって強制収容所送りとなったのだった。早すぎる夫の死は収容所送還という暴力によってもたらされたものであった。アドルノの言に反して、ポール・ツェランをはじめ、詩が可能であるのみならず、必要でもあったすべての人々と同様に、アニーズ・コルツは、ドイツ語をヒトラーのプロパガンダの毒牙から奪い取ることができたかもしれない。それをもって野蛮に対する戦争の武器となし得たかもしれない。しかし課せられたのは沈黙であり、そこに辛苦に向き合う言葉はなかった。

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 Akikoさん、midoriさん、お久しぶりです。

 また機会を改めてお話ししますが、実は、このテキストを最後に「教室」を閉じようかと考えています。読んでみると密度のあるテキストで、まだ数回以上かかりそうですが、それまでまだしばらく、よろしくお付き合いください。

 みなさんもご存知でしょうか、この6月5日にスイスでベーシック・インカム導入の可否を問う国民投票が行われました。結果は否決でしたが、同制度は民主党政権下の2009年頃、日本でも大変議論になっていた社会制度でした。少し懐かしい気持ちで、山森亮・橘木俊詔『貧困を救うのは、社会保障改革か、ベーシック・インカムか』(人文書院 2009年)を読んでいます。意外だったのは、この書物で討議されている内容が、あれから6年以上経った今でも、まったく古びていないことです。その後日本社会は、東北大震災を挟んで、本当に停滞、あるいは後退しているのだなと実感させられました。

 それでは、次回はen attente de l'eau>>.までの試訳を29日にお目にかけます。

 Shuhei



3 コメント

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Anise Koltz Par Jean Portante 2 (misayo)
2016-06-21 11:27:30
 こんにちは、みさよです。この教室を閉じられると聞いて、残念で仕方がありませんが、長い間、多分私は10年あまりも、お世話になって、感謝の気持ちでいっぱいです。先生にも大変な時もあったことでしょうに、本当にありがとうございます。最後のテキストがこんなにも難しいのですから、まだまだ勉強は続けねばと思っています。

 新しい言語による最初の本「拒絶の歌」(1993年)を、彼女はサミュエル・ベッケトの引用で始めています。「沈黙は私たちの母語だ。」 そこから書かれた言葉、もう一つの言語は、フランス語の言葉を身にまとい始めるのです。激しい言葉を。しかしながらその下には、人を殺したあの言葉の影が隠されています。
 その時になって、沈黙から詩のゆっくりとした再生が始まるのです。まず詩の名誉回復が必要でした。新しい定義を、詩に与えなければなりません。再定義された詩は「白紙の上にインクを飛ばす前に、詩が搾り取ってしまった言葉に謝る」ものになるのです。詩は「人々の怒りに付け加えて言った憎しみについて謝る」ものになるのです。それは詩に寄り添って、ほっとすることを学びます。それは「ページを背にした言葉」が「傷ついた面を隠している」のが分かります。
 また場を再建することも必要です。その時になって、詩は「私が歩む海」になります。詩は「月の皮をむきます。」 川はそこで「星座を眺めて、仰向けに」なっています。海は「家の前に座る老人」です。砂漠は「人々の揺りかごであり、墓場です。そこではすべてのものが、水を待ちながらよみがえろうと精根を使い果たしています。」
Unknown (midori)
2016-06-28 08:27:38
先生、みなさん、こんにちは。
教室が終わってしまうこと、とても残念です。フランス語を勉強し始めたころ、この教室に参加することが夢でした。こうして先生やみなさんと一緒に勉強できて、とても嬉しかったです。本当にありがとうございました。
qui a tue l’hommeのl’hommeは誰のことでしょうか。

新しい言語で書かれた初めての本、『拒絶の歌(1993年)』の中で、彼女はサミュエル・ベケットを最初に引用する。「沈黙は私たちの母語だ。」その時から、別の言語として執筆に使われた言語はフランス語の言葉を身にまとう。激しい言葉もあった。その後、人々の命を奪った言語の陰はフランス語の言葉の下に潜むことになる。
そこで、沈黙から時間をかけて詩の再生が始まる。まず、詩人というものの名誉回復が必要だった。詩人というものの再定義。詩人は「白い紙に吐き出す前に口に入れた言葉を使って謝罪する」者となる。「世界の怒りに怒りを付け加えることで謝罪する」者。詩のすぐそばで呼吸することを学ぶ者。「ページによりかかった言葉」が「傷ついた面」を隠すのを目にする者。
同時に、空間の再構築も必要だった。そして詩は「私がその上を歩く海」となる。詩は「月の皮をむく」。そこにある大河は「あおむけに寝て、星座を見ている」。大海は「自分の家の前に座っている年老いた男」。砂漠は「水を待ちながら再び生まれるため、すべてがそこに消える、この世界の始まりと終わり」。
Lecon336 (Moze)
2016-06-28 22:48:53
こんにちは。「教室」が終わってまうのはとても残念ではあるけれど、あまりにも長い間、貴重な時間と労力をさいていただいて、これ以上甘えるわけにもいかないのかなとも思います・・・。私がフランス語を読み続けられたのはこの「教室」のおかげです。みなさんに感謝しています。
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新しい言語での最初の作品『拒絶の歌』(1933年)では、アニーズ・コルツはまず、サミュエル・ベケットを引用する。「沈黙は私たちの母語である」。書かれる言語となる別の言語は、その時からフランスの言葉をまとうことになるだろう。激しい言葉でもって。その言葉の下に、それ以降人間を殺害した言語の影が秘められる。そうして、沈黙を経てゆっくりと詩を再構築し始める。まず、詩人の名誉を回復させなければならない。詩人を改めて見定めなければならない。詩人は「白い紙の上に言葉を吐き出す前に、自分が吸い込んだ言葉のもとで詫びる」者になる。「世界の怒りに自ら付け加える怒りを詫びる」者に。詩と一体になって息づくことを知る者に。「ページを背にした言葉が」、「その傷ついた側を」隠すのを見る者になるのだ。そして空間を作り直さなければならない。詩はその時、「私が歩く海」となる。詩は「月の皮をむく」。 川は詩において「星座をじっと見つめながら、仰向けに寝かされる」。大海は「家の前に座った年老いた者 」。砂漠は「再生するために、水を待って、全てが尽きる、世界の揺りかごと墓場 」になる。

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