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紫苑の部屋      

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鳴滝籠りー蜻蛉日記中巻109段

2013-07-11 15:14:21 | 源氏物語
有名な鳴滝に籠った道綱の母のくだりです。

兼家の昇進は順調にすすんでいました。
2年前、新居の東三条邸も建てられ、そこに迎えられるのはだれか、
作者は期待していたのですね。
それは正妻の地位、を意味したのです。
選ばれたのは時姫、
身分的には遜色ないのですが、
長男道隆をはじめ男3人、この時点ですでに入内を果たした超子、後の一条母となる詮子、
と子沢山の強み、デ―ンと構えるおおらかさ、
時の権力者の妻としての力量、それを買われた。
その選択に抜かりなかった、兼家の目に狂いはなかったわけです。
そしてなにより、時姫腹の息子たちと道綱の出来が、決定的だったのでしょうね。

作者は、母に死なれ正妻の座も得られず、すっかり厭世感にとらわれ、
出家を志すも、兼家とのきずなも断ち切ることができずに悶々とする日々のなか、
近江の女、の出現で、今風にいえば、壊れてしまったのね。
長精進のため鳴滝へ、とむかったのでした。

兼家、体面を恐れ、すぐに迎えに出向くも追い払われる、
怒った兼家は使者送り、脅します。
家刀自(家政を司る侍女)は高圧的に言います。
 出家した、とならばしかたがないが、そうでないなら、
 こんなことがいつまでも続けられるはずもない、
 殿さまがなにも言わなくなってから帰京したら、それこそ世間の物笑いというもの、
 いまのうちに帰るのが身のため、
 なんのためのお籠りかわからないような道綱まで連れて、可哀そうでしょう…

誇り高き歌人の作者を説得どころか、ますます意固地にしてしまうのですが、
痛いところをついているのですね。
常識的には使者の言うことは、正論。
とくに道綱はこのとき17歳、元服も終え叙爵されているのだから、
殿上人としての教育がいま一番必要なとき。
それなのに、母親に連れられて目的もない精進をして暮らしているのだから、
道隆など三兄弟に遅れをとること、はなはだしいわけです。

道綱の母は、賢母ではない、
当時の貴族の母としての役割をはたそうとは思ってない、
兼家との愛情のみを頼りに、道綱は夫婦の絆しとしてしか、みてない。
歌人だから、しょうがないのでしょうかね。
それにしても17歳にもなっている息子を、幼き人、という。
母の弱み、まるごとつづる、
こうして作者がみずからをさらけだす、このかげろふ日記、
平安の女性たちは、共感をもって読み、
他人ごとではない嘆きを共有していたのですね。

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