紫苑の部屋      

観劇・絵画と音楽・源氏物語      
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廓文章吉田屋―杮葺落五月大歌舞伎

2013-05-28 15:46:22 | 観劇
吉田屋は、歌舞伎舞踊なのですね。
たわいもないお話なのですが、
竹本で、伊左衛門のやつしなんだけど、どこかのんびりと明るいぼんぼんを、
常磐津は、華やかな夕霧の登場を、奏でているのですが、
なんといっても、清元(だと思いますが、長唄に変えている?)
この音色がいいんですね。
夕霧の心情を唄います。

  可愛い男に逢坂の 関より辛い世の習い
 
  思わぬ人に堰き止められて
  今は野沢のひとつ水…
 
(あの唄で思い出す、と伊左衛門は引きとり、夕霧の心根を想います。)

  …済まぬ 心の中にもしばし
  澄むはゆかりの 月の影

歌詞も美しい。
伊左衛門の妄想を、滑稽さをまじえて、踊り・しぐさで表現しているのですね。
そして常磐津で夕霧の登場、

 わしゃわずろうてな…

いちおう快復したからお座敷にでているわけですが、
むらさき鉢巻きをしてお座敷にでている、のも
なんだか現実離れして、恋煩いが続いている、
あるいは現世ではなく彼岸から抜け出てきた、とみえなくもないのです。
でも、常磐津がそんな暗く陰鬱な話を、
明るく(照明も)陽気にしています。
伊左衛門がすねたりして、軽味もあって、
よくできていますよね。

お話としては無理にハッピーエンドになっているわけですが、
それは実話では夕霧が儚く亡くなってしまった、という悲話を観る側が承知していればこそ、
お芝居では添わせてやりたかった、のでしょうね。

3年ぶりの歌舞伎座で、
やっと華やかな歌舞伎が戻ってきたという感慨を持ちました。
吉田屋がこんなにいいと、思ったのは初めて!!、

深く編みがさを被った伊左衛門の花道の出、それを照らす面明り
仁左衛門の立ち姿が決まります。

舞台正面では、年の瀬の様子
吉田屋の店先のもちつき、
吉田屋の亭主・おかみさんの人情、
上方の古いことば?も…
年の瀬の月を弟月(おとづき)と言ってるのですね。
語源はなんでしょうね、兄月もあるのかしら?

吉田屋以外でも
今月はいい演目が並びます。

菊之助の成長ぶりがめざましい、二人道成寺、
観客が喜ぶ、演目・配役で主宰者が新しい歌舞伎座を盛り上げていってくれれば、
私たち、観客は付いていきます、
よろしくお願いしたいと思います。

2013/05/25 二部三部観劇 歌舞伎座

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2 コメント

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夕霧はもういないのよね (Sa)
2013-06-02 16:17:21
紫苑さん、私もね、特に今回の「吉田屋」を見ても感じたのですが、うわべの華やかさの底の哀しさをそこに見てしまうんですよね
素直に、きれいだなあ、美しいなあ、さすがにニザ玉だなあってやっていればいいのに、ついつい夕霧の病鉢巻がキイになっている悲恋ものだなあ、なんて思う気持ちを押し込んで、最後の小判降らしの大団円でごまかしてしまいます。
それは、ニザさんも玉三郎さんも、何度も共演して、お互いそれを出せる(感じられる人には感じられる)ようなお年になったからなのか、見るこちら側が年をとって、そこまで見てしまうようになったからなのか、わかりません。
歌舞伎座新開場、ありがたいですね、見たかったんですよね、という配役のいい芝居を上演してくださいます。
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底に流れる哀しさ… (sion)
2013-06-06 00:44:15
Saさん、そうなんですよねー
さよなら公演で、同じ演目を観ているのに、
こころに響くものがちがう、不思議ですね。

演じるおふたりのメッセージと
受け止めるわたしたちと、
歌舞伎座に宿るなにか、が
共鳴しあっているような、
同じものを共有しているような、
そんな気がしてなりません。
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