day by day

癒さぬ傷口が 栄光への入口

あなたの愛するチームに、どうか変わらず「来年」が来ますように。

2024-06-13 | モウギュウ。

2005年に始まり、20回目を迎えたセパ交流戦が終盤です。


創立から20回目のシーズンを戦っている東北楽天ゴールデンイーグルスが現在首位。
もちろんまだ今日を含めあと4試合あるのでどうなるかはわかりませんが、「交流戦優勝」はもちろんここまで「優勝」に近づいたのは創立以来初めてだと思います。

ちょうど20年前の2004年には、セパ交流戦も東北楽天ゴールデンイーグルスもまだ存在していませんでした。

すごいな。
「大阪近鉄バファローズ」が存在していた頃にまだ生まれていなかった人が、もうプロ野球選手として入団している。

やはり2005年に始まった「NPBジュニアトーナメント」。このジュニアチーム出身の選手がプロ入りすることも珍しくなくなってきました。
楽天の大内誠弥選手2006年3月生まれ。ファン歴12年のガチ鷲ファンです。


多分、20世紀終わりから21世紀に変わる頃。
「日本プロ野球」は本当に崖っぷちだったんだろうなと今は思います。

今は衛星放送やCS、ネット配信などがどんどん充実して、何らかの方法で贔屓チームの試合中継をリアルタイムで観戦できることが出来るようになりました。だから、地上波のテレビ中継が激減してもたいしてファンは困っていないと思う。
でも20年前はまだ「放送権」を握った人気球団が絶大な権力を持っていた。試合の地上波テレビ中継ってそれだけ重要だったんですね。現在のようにテレビ地上波中継の重要度が暴落するとわかっていたらあの騒動は少し景色が違うものだったかもしれません。
もっとも、セの人気球団の放送権なんかはなから関係なかったパリーグで起こったあれは、本当にそもそもは経営がアカンかったからやで、という話だったわけです。
そこに、権力を持ったオーナー連が乗っかってきてこの機会に球界を再編しよう、何なら(自分たちから見て)無駄なもの(チーム)は切り捨て、もっと効率よく儲かるシステムにしたかったのかなと思います。
球界の仕分け、断捨離をしたかったのかなと。

偉いひとたちには見えてなかっただろうけど、断捨離されようとしたチームにもそれぞれ、それに救われたり人生の多くを共にしてきた一人一人のファンがいたんです。

あの年の初め、近鉄バファローズは球団名のネーミングライツを売ろうとして却下されたということがありました。
あの時はファンもまた「近鉄」の名前を売り払おうとするとはけしからん!という声も大きかったように思います。でも私はそこまで球団が苦しいのなら(バファローズの名前が変わるのでなければ)冠する名前がちょっとくらい変わっても我慢していいよくらいには思ってた。そんなに苦しいの?大丈夫かな?でもそれは「選手に満足な年俸を払えなくなって人気選手にどんどん出て行かれるのでは…?」くらいの心配だった。まさか球団が無くなる方向にいくなんてその時はちらっとも浮かびもしなかったから。
でもそのネーミングライツ売却案はあっさり却下されました。
水面下で球団そのものの売却も模索されていたんだろうなとも思います。でもきっと買い手がつかなかったんでしょうね。
そこで出てきた「合併」案。
困っていた近鉄はそれに乗るしかなかったのかもしれない。
どうしようもなかったのかもしれない。
そうしなければ合併どころかただただ球団が潰れるだけだったのかもしれない。
近鉄ひとつが単独で潰れていれば、ブルーウェーブも実質解体されたような形にはなかなかったかもしれないから、ブルーウェーブは近鉄にいい迷惑を被ったのかもしれない。

多分ろくな儲けにもならないだろうに、少しでも球場に来てもらえるだけでも何かの売上になるだろうと設定されたのであろう、
激安の年間パスを使ったり、ファンクラブの特典でバカみたいに安い値段で観戦チケットが買えたり、外で安い飲食物を買って持ち込んでろくに球場内で買わなかったり、私は球場に足を運ぶ回数だけは多いけど全然金を落とさない「ファン」だった。そういう人は多かっただろうと思う。
球団が苦しい経営の中で苦し紛れに出してきた「とにかく人を集めたい」という策にうまうまと甘えていただけだった。

あの再編騒動の時、球界の権力者、オーナーたちに憤って許せないと叫んでいたけど、多分心の奥底では私は自分の罪に気づいていた。それから目を逸らすために怒っていたのだと思います。

みんなが、一人一人が、細い糸でバファローズの首を絞めていたんだ。
数え切れない数の糸が縄のようになって、じわじわとバファローズの首を絞めていた……。


2005年以降、各球団は試行錯誤や紆余曲折しながらも、「球場に来たファンが少しでもお金を落としたくなるような仕組み」や「球場に来なくても球団にお金が落ちる仕組み」などをそれぞれ構築していっているように思います。
コロナ禍でまた一瞬苦しい時期はあっただろうけど、そして昭和の頃のような”国民的”からは後退したかもしれないけど、プロ野球は昨日も今日も開催され、多くのファンが泣き笑いしています。

大好きだったチームに、その礎になんかなってほしくなかった。
なってほしくなかった、なんて嘆く資格もない、何の力もないどころか残り少ない肉を食み骨をしゃぶってただけの”ファン”だった。ごめんね。ごめんね。ごめんね…。
でも、もうあんな思いをしなくて済むようにこの世界はより良い方向に進んで欲しいと思います。

プロ野球なんか、ただの娯楽なんです。
勝った負けたで笑ったり泣いたり悔しがったりして、また明日の生きる活力になってくれたらいいんです。
強くたって、弱くたって、思うように勝てなくったって、それは全部「好きなチーム」が存在してくれているから。

毎年言ってると思うけど、何度でも言います。

あなたの愛するチームに、どうか変わらず「来年」が来ますように。



当ブログでは(途中6年以上開店休業状態だったので2013~2018は抜けていますが)毎年6月13日に寄せてエントリを上げてきました。
中島みゆきはひとつの失恋で何十曲も書くと聞いたことがありますが、2004年6月13日に起こった出来事を毎年何かしらの気持ちを乗せて書いてきたのだなと思います。

20年で一区切り、もうこのことについては書かないとは言わないけど、これからは書かない年も出てくるかもしれません。ただ、もし書かない年があったとしても、あのことを私が忘れたわけでも許したわけでもないことだけはわかって頂ければありがたいです。


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2005年 今日は、6月13日。

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