Forth!

移転しました(2014/1/1)

つれづれ

2012-10-21 | ひなみ

毎日高杉晋作の話を読むのが楽しい(『紅と白』@産経新聞)。
しかしながら新聞連載は 序盤に時間が掛る→飽きる→読むの止める という大概このパターンで、今回は一体いつまでもつか^^;
『坂の上の雲』でさえリアルタイムで新聞連載で読んでいたら正岡子規が亡くなる所(止めてしまう第1関門)でもなく、バルチック艦隊東行の所(第2関門)でもなく、多分秋山好古が大阪で先生している頃で止めてるわー(という話をしたら親友に「早すぎ」と大爆笑された)。

そう言えば、1ヶ月程前に伊藤博文と山縣有朋の出自について書きました。
伊藤博文は養子縁組で百姓から中間、中間から足軽になり、山縣有朋は中間の身分だった。
「長州藩の下級武士」と言われる事が多いふたりですが、実際には足軽も中間も武士ではない。
ただ全国一律にはそうは言えないのが難しい所で、長州藩における足軽と中間はどうだったんかしら、という話でした。
で、この連載の初めに高杉晋作の家の家格について触れられていたのですが、足軽中間については上記と同様のことが書かれていた。
長州でも一緒だったみたいだなー。
「一概には言えない」というのが一番ややこしい。

高橋由一展を見に行ってきました。チケットはあったのに気付いたら展示会終わりかけで焦った。
西洋画家、油絵というイメージでずっと明治中期~昭和初期とか、そういった時期の画家だと思っていたのですが生まれた時期が西郷隆盛と同じ頃だった。
めっちゃ幕末の人やんかー。

蕃書調所の画学局に入り西洋画の研究をしていたと紹介されていたのですが、これには驚きました。
その時期に描かれた魚の絵が幾つか出ていたのですが、年号を見たら元治元(1864)年。
年表を見ると池田屋事件があったり禁門の変があったり、四カ国連合艦隊が下関を砲撃したりと、まさに長州の冬の時代。
この頃ならまだ幕府も多少力はあった(ギリギリの)時期だと思いますが、正直言うと西洋画を研究するような余裕があったのかとその方に驚きが^^;

代表作である『鮭』は一度東京芸大の美術館が出来た時に見たことがあったのですが(大変有名な絵画が沢山出ていたすごい展覧会だった)、それ以外でもどこかで見たことがある絵が沢山あった。
日本武尊(史料集や便覧等でよく載ってる)とか、西周の肖像画は描いたんアンタか!状態(笑)(有名な絵である…)
西南戦争に関する油絵もあってこれは意外でした。
川路利良の肖像画なんかも描いていたらしいよ。
でも一番の驚きは金毘羅宮に高橋が多数の絵を奉納していたこと。
え、そうなんだと思ったのだけれど、確かに参道の宝物館の側にあったわ高橋由一の美術館。
あんたどれだけあそこに参っているんだという話ですけど、宝物館の方には大して興味がなくて行った事無かった(笑)
それに見るなら円山応挙の方なんだよなあ…
ウォーキングがてらで歩くので朝早すぎてあらゆる観光施設が開いてないw
西洋画で油絵というと割とごつごつごてごてとした印象があったのですが、高橋の絵はパッと見た感じ油絵?と感じる繊細さ。
そういうのも面白かったです。
行けて良かった。
 
で、清盛ですね…ハイ。見てませんorz
前回の次回予告見てたら滋子亡くなったんですよね。
厳島神社の映像もあったし見たかったなー



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2 Comments

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Unknown (ジゴロウ)
2012-10-21 23:47:15
新聞小説の話、わかります。
なんかで1日読めなかったら、もう読まなくなりそうです。
ていうか、宮城谷さんの光武帝がそうでした。
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>ジゴロウさん (ヒジハラ)
2012-10-22 05:27:48
そうなんです。途切れたらあまり読む気が起らない(笑)
面白い面白くないというより気持ちが途切れる方が問題のようです。やっぱり一気に読みたい…^^;
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