ぶらりフォト日記

2005年開設以来あまり更新されていませんが、私の住んでいる地域や旅先の事を写真をまじえて紹介しようと思います。

花沢の里

2012年07月17日 00時07分30秒 | ちょっとお出かけ
 静岡市と焼津市の境にある東名高速の日本坂トンネル辺りは、万葉集に「焼津辺に我行きしかば駿河なる阿部の市道に逢いし児らはも」と詠まれた奈良時代の東海道と云われる「やきつべの小径」が通り、奈良時代から平安時代にかけて東西を結ぶ幹線ルートになっていました。この道は日本武尊も通ったとされています。焼津市の地名は、日本武尊が地元の賊衆に襲われた際に草薙の剣で葦を薙ぎ、火を放ち賊衆を追い払った「やきつ」の地に由来するそうです。そのやきつべの小径に沿って、「花沢の里」はあります。花沢の里は明治初期から昭和にかけて建てられたとされる長屋門造りの古い民家が軒を連ねています。水車小屋や炭焼き小屋もあって、その伝統的な家並みは昔の面影を偲ばせてくれます。
 花沢の里へは国道150号のバイパスから入ります。ただ案内板が分かりにくいので、入口を見つけるのにちょっと苦労するかもしれません。また花沢の里の駐車場の手前にはなぜか珍鳥園がありました。平日の午前中だったので観光客は私一人しかいませんでしたが、鳥たちの世話をする人も見当たらず、先月の大雨のこともあり、ここで飼われている鳥たちがちょっと心配になりました。

 
  万葉集の歌碑
  古い家並み
  水車小屋
  どう云う訳か珍鳥園が!?

玉露の里

2012年07月16日 20時54分32秒 | わがまち発見
 静岡県は日本茶の生産量が日本一で、いたるところに大小問わず茶畑があります。一昨年の秋に寸又峡温泉に出かけましたが、日本アルプスに近く人も住んでいなそうな山奥にも茶畑はありました。そこは機械も入りそうもない急な斜面で、いったい誰がどのように手入れをしているのだろうと不思議に思っています。さてその日本茶の中でも最高峰と言われているのが「玉露」で、藤枝市岡部町朝比奈地区は京都の「宇治」、福岡の「八女」と並ぶ玉露の三大産地として知られています。「玉露の里」はお茶をテーマにし、「道の駅」と一体化した地域振興施設で、1991年にオープンしました。
 朝比奈川を挟み、食事処として「茶の華亭」、茶室として「瓢月亭(ひょうげつてい)」が主な施設です。上の写真は「瓢月亭」で、瓢箪池(ひょうたんいけ)を前に趣ある佇まいが感じられます。瓢月亭には、腰掛席や大広間、本格的な茶室などがあり、お茶の作法を知らない人や正座が苦手な人でも気軽にお茶を楽しむことができます。(入館料500円でお茶菓子つきで玉露か抹茶が頂けます。)瓢月亭の裏手には体験茶園があり、茶摘みの時期にはお茶摘み体験もできるそうです。


  森の緑に囲まれた朝比奈川
  趣ある日本庭園
  体験茶園

岡部宿大旅籠柏屋

2012年07月15日 17時58分37秒 | わがまち発見
 旧東海道を京に向けて下るとき、宇津ノ谷峠を越えて辿り着くのが東海道53次の21番目の宿場町となっていた岡部宿です。岡部宿は東海道筋では小さい部類の宿場町で、宿場町全体に対する旅籠の割合が最も低かったとされています。その岡部宿を代表する旅籠となっていたのがこの「大旅籠柏屋(おおはたごかしばや)です。
 「大旅籠柏屋」は延べ床面積がちょうど100坪の建物で、過去2回火事に見舞われており、現在の建物は天保7年(1836年)に再建されたもので、1998年には国の登録有形文化財に指定されました。2000年には建物自体が歴史資料館となっています。江戸の面影を随所に残す趣のある建物なのですが、あいにく訪問したのが休館日である月曜日だったので、中に入ることができませんでした。ちょっと残念。入館料は大人300円、中学生以下は無料で、団体割引もあります。
 毎年2月から2か月間「岡部宿のひなまつり」がここで開催され、等身大の雛人形が飾られるそうです。この等身大の雛人形を作ったのが静岡ではちょっと名が知れた「顔よし、衣装よし、値段よし。よしが3つで好光」のCMで知られる好光人形店だそうです。また近くに静岡の地酒で有名な「初亀醸造」があります。ここのお酒は各種品評会で受賞しているそうです。私はお酒があまり飲めませんが、左党の方はたまらないでしょうねえ。


  県道208号線から



追記;年が明けて、2013年2月になってやっと大旅籠の中に入ることができました。かなり遅くなりましたが、中を紹介します。


  竃と井戸
  2階一の間(弥次さん、喜多さん)
  2階二の間(江戸時代の旅姿)
  駕籠
  左党興奮!初亀醸造

明治のトンネル

2012年07月08日 10時30分20秒 | ちょっとお出かけ

 明治のトンネルは、安倍郡弥勒村の村長だった宮崎総五が呼びかけ人となり、1876年に日本初の有料トンネルとして宇津ノ谷峠に開通しました。完成当時はかなりお粗末な代物だったようで、静岡側、岡部側双方の出入り口の工法が違っていたり、中央付近でちょうど「くの字」に曲がっていて入口から出口が見えなかったそうです。そのため50以上のカンテラがトンネル内に吊るされていましたが、それでも中央付近に行くと顔を伺うことができないほど暗かったそうです。1896年にこのカンテラが原因で火災により焼失しますが、1904年に入口出口が一直線になり、また内壁が赤煉瓦で覆われた美しいトンネルに変貌しました。
 今回は静岡側から岡部側へ向かって歩きました。ちょうどお昼頃、暑い盛りでしたが、トンネルの中はひんやりとして涼しかったです。平日ということもあり昼間なのに人っ子一人おらず、ちょっと不気味でした。そういえばこのトンネルは幽霊が出るという噂もあります。さすがに夜中は怖くてここには来れないなあ…。この先は国道1号線の岡部側の歩道橋に接続する「明治の道」になります。残念なことに先日の台風で木々が倒れており、歩くことがままならずこの道を通ることは出来ませんでした。ちなみに宇津ノ谷峠には、「大正のトンネル」「昭和のトンネル」「平成のトンネル」もあります。

  トンネル内部


旧東海道

2012年07月07日 09時35分25秒 | ちょっとお出かけ

 今週も宇津ノ谷峠に行きました。今回は旧東海道を歩きました。
 旧東海道は天正18年(1590年)豊臣秀吉の小田原遠征に際し、つたの細道では大軍が進軍できなかったために築かれたとされています。江戸時代になり参勤交代制度の創設のため東海道は整備されました。街道沿いには宿場町が発展し、宇津ノ谷峠周辺でも鞠子宿、岡部宿が置かれました。
 この道、参勤交代の数多くの大名行列が通行しました。つたの細道と比べ道幅は広く勾配も緩やかではありますが、行列が通るにはかなりきつかったんじゃないかと思います。道の途中に「髭題目碑」が建っており、「南無妙法蓮華経」の題目が筆跡を髭のようにはねて書くように刻まれています。日蓮宗の宗徒が旅の安全と世の中の平穏を願って建立したそうです。このような髭題目碑は日蓮宗徒の進行が盛んな県東部には多く見受けられますが、中部のこの辺りでは非常に珍しいことだそうです。

  宇津ノ谷峠山中です
  髭題目碑