飽波神社(あくなみじんじゃ)藤枝市では一番大きな神社で、歴史も古く、古墳時代の仁徳天皇治世の時代(西暦316年)に創設された由緒ある神社です。「飽波」という変わった名前、昔は湧波(わくなみ)と言われており、近くを流れる瀬戸川の伏流水が山裾の石の周りから水がこんこんと湧き出て来て、人々を疫病や災難から護ってくれたことに由来するそうです。ご祭神である少彦名命(すくなひこなのみこと、大国主命と一緒に国造りをしたとされる神様)は、瀬戸川の水害から生活を守ってくれる川関大明神ともたたえられており、この社殿の土をいただくと洪水を免れるという信仰もあったそうです。戦国時代に永禄・元亀の合戦で武田軍の乱入を招き、社殿は焼失しましたが、江戸時代中期の正徳5年(1715年)に現在の藤枝市岡出山に社殿を再建したとされました。
毎年10月の第1週の土日が例大祭で、3年に1回「藤枝大祭り」が盛大に催されます。大祭には旧藤枝宿の9町と隣接5町の、合わせて14町から屋台が惹き出され、14町全ての屋台が歌舞伎の演奏音楽である長唄・三味線・囃子方の演奏で地踊りを披露します。この形態は現在ではこの藤枝大祭だけだといわれています。明治時代までは高さが9メートルを超える山車屋台と踊り屋台を結合した大規模なものでしたが、文明開化の象徴である電線の敷設により、屋台が電線に引っ掛かり、やむなく現在の踊り屋台のみになったそうです。女性の優雅な地踊りと、力強い男性たちによる屋台の曳き廻しが見所で、特に大きな屋台を回転させる「砲丸廻し」は見る人を圧倒します。
先月末に飽波神社を参拝しました。境内には七五三の御参りに来た親子が数人いただけで割と静かでした。私は正月に御参りに行く習慣がないので、初詣になるのでしょうね?11月に初詣とは、神様はきっと呆れている事でしょう。
拝殿
七ツ森神社
金山神社
毎年10月の第1週の土日が例大祭で、3年に1回「藤枝大祭り」が盛大に催されます。大祭には旧藤枝宿の9町と隣接5町の、合わせて14町から屋台が惹き出され、14町全ての屋台が歌舞伎の演奏音楽である長唄・三味線・囃子方の演奏で地踊りを披露します。この形態は現在ではこの藤枝大祭だけだといわれています。明治時代までは高さが9メートルを超える山車屋台と踊り屋台を結合した大規模なものでしたが、文明開化の象徴である電線の敷設により、屋台が電線に引っ掛かり、やむなく現在の踊り屋台のみになったそうです。女性の優雅な地踊りと、力強い男性たちによる屋台の曳き廻しが見所で、特に大きな屋台を回転させる「砲丸廻し」は見る人を圧倒します。
先月末に飽波神社を参拝しました。境内には七五三の御参りに来た親子が数人いただけで割と静かでした。私は正月に御参りに行く習慣がないので、初詣になるのでしょうね?11月に初詣とは、神様はきっと呆れている事でしょう。
拝殿
七ツ森神社
金山神社