マメモ

適当な日々のメモ。
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広島2日目・2

2006-03-19 | 

1の続き。

→旧船山邸。呉海軍総監府長官のお屋敷です。日曜日しか見られないので急いでGO!意外にも17時まであいててホッとしました。長官のお屋敷は正面からは洋館な感じなのですが、一寸裏へ行くと完全和風。たぶん応接間と、お屋敷&一寸部下や知人を通す和室に分かれてるのかなと思ったり。そして広いです~。日本の古い屋敷が好きな人はときめくと思います(それは私)
庭からはそのまま軽く散歩道になってますし、全体的に簡略なようでしっかり、みたいな。なにげなく敷地内でも下のほうからは建物が見えないし、いい作りでした。資料館には当時の写真や、使ってた食器などもありますよ★(いいもの食べてるなって思った…。そういえば大和も艦長は昼は洋食フルコース&BGM付きですのよ!さすが大和ホテル)

→旧総監府。…。…日曜のみ、しかも一日計2時間しか見られないそうです(…ネットさえ繋がれば調べてゆけたのに…!!)ほんの一寸だけ入れていただいて門のところから写真1枚だけ撮らせていただきました。すみません…有難うございました。

→歴史の見える丘。一体何なのか不明なまま坂道をのぼって辿り着きました歴史の見える丘。大和の石碑と、当時の工場の基礎石を積んだモニュメントがあります。そして呉の海が見えます。景色はいいけど、これだけか…と思って近くのバス停へ。すると、そう、「大和のふるさと」と書かれた造船工場が見えるのです。なんとなくトキメキ。(笑)

→原爆ドーム。本当は海軍墓地に行こうと思ってたんですが、体力の限界を感じて広島へ帰りまして、バスで原爆ドームへ。(広島はどこへ行くにも紙屋町でおりると便利です。150円でいけるし)資料館も見ようか迷ったんですけど、海軍の時点でなんというか…凄く精神的に重かったので断念。(本当は見たかったんですけど…。すみません…。←なんか、逃げてしまったような罪悪感が。)平和公園を通って、原爆ドームへ。
感想としては…思ったより小さかったですが、思ったよりリアルでした。瓦礫とかもそのまま散らばってて、夕暮れになってたのもあってドームのひしゃげた感じとか、空気とかが、上手くいえないけどリアルでした。ドラマで緑色の再現した姿みてたので尚更、まさにこの場所で大勢の人が一瞬で消えて行ったのだなと。写真は撮ったんですが、記念写真をとる気には全くなれませんでした。

2日目はこれにて帰宅。
大和に対する勇壮な気持ちやミーハーな気持ちと、実際に戦死した人たちの資料を見ることでのしかかるものと、原爆ドームと。京都で感じたものとは全く違う「歴史」が残った日でした。
結構外国の人も原爆ドームに来てたんですけど、どんな気持ちなのかな…とか思ったり。


広島2日目★1

2006-03-19 | 

広島2日目。
ホテルで無線LANが繋がらないというハプニングにて途方にくれかけていたのですが、なにげに唯一プリントアウトしてたのが今日の予定だったので、運のよさに感謝しつつ呉にいってきました★

旧海軍兵学校→大和ミュージアム→旧船山邸→旧海軍総監府(時間切れにて見られず)→歴史の見える丘→(広島に戻って)原爆ドーム・平和記念公園

→旧海軍兵学校。広島→呉で50分、呉→江田島が25分、船着場からバスで5分。10時に間に合うかなと思ったんですが、11時からの案内に丁度いいくらいでした(苦笑)船で一緒だったおじいさんがタクシー乗せてくれたので一寸は余裕できたんですが…。
案内してくださったのは、急遽決まったという幹部候補生のおじさまで、実際の生活の様子など色々楽しく話して下さってラッキーでした~。朝から掃除と乾布摩擦(平気な顔してやってるけど寒いそうです(笑))食事の時間とか3食とも5分くらいしかなくて、洗濯する時は夕食かお風呂抜かないと時間無いとかで、入学から2週間で6キロ痩せたそうです。なんか地に足が付いた親しみ易いけど頼れそうなおじさまで、凄い高感度UP★
まず講堂。椅子をカタンとするだけでも凄く音が響くところで、昔の兵学校の人たちも緊張しながらここで式典に参加したんだろうなとか思ったり。続いて赤レンガ校舎へ。残念ながら中は見れないのですが、毎日ここで勉強なさってるそうです~。思いのほか綺麗でびっくり。続いて資料館へ。ここはもう…凄い展示量で見ごたえ十二分でした…。明治の東郷元帥から特攻隊の人たちの遺書まで本当たくさん。一緒に回ることになったおじいさんが関西弁でやたら説明してくれたり(有難いけど静かに見たい…)、さっさと次に行こうといわれてあんまりしっかり見られなかったのが凄く残念です(泣)
特攻隊の遺書は、悲壮感とかだけではなく、例えば幼い妹・弟のために「○○ちゃん、○○君、おげんきですか」とひらがな多目の優しい手紙や、「遺言ナシ」というもの、遺書の最後に「婦女関係ナシ、金銭貸借ナシ」とかかれたものなどがあって、その人の様子や、死に際しての家族への配慮とか、色んなものがつまってて、そこに確かに居た20歳前後の、生きているひとの、未来があったはずの人の姿が浮かぶようで、泣きそうになりました。
なんかここは、語りつくせません。
兵学校の生徒さんの写真とかも生き生きしてて(タコがとれて皆で笑ってる写真とかは凄く印象的でした)、当時の持ち物とかもあって、興味がある人にはたまらないと思います。

→大和ミュージアム。…映画パワー、凄すぎ…。若い人やら親子連れやら修学旅行生やらでごった返しで(日曜だしね)伊藤長官の遺書も、有賀艦長の手紙も良く見れませんでした(泣)
でも有賀艦長の字が達筆でびっくり。もっと無骨な感じかと思ってたんですが、綺麗。伊藤長官の字は穏やかそうなスッとした字でした。多分。いとしき最愛のちとせどのに涙。なんか山口さんといい、奥様への感謝と愛があふれた手紙は素敵ですよね…。昔の男の人は表現しない…とかいうけれど、置いてゆく妻にきちんと伝える事を、大切に出来るってすばらしいと思います。

大和の誕生~戦後の技術進化、そして未来コーナーには宇宙戦艦ヤマトまで!(笑)他、大和調査での引き上げ品、大和に乗ってた人の手紙・遺品・生存者の回想録などが展示してあったり(しかもその上にはその人の写真と、略歴、生存か戦死か明記したパネルがあってその人を偲びながら見られます)歴代艦長の写真・大和の説明なんかも色々見られます。
そして各階から色んな角度でみられる大和の模型!!30枚くらい写真撮りました!(笑)しかも私は「人が乗ってた場合、この角度からだとここはこうだわ」みたいな、妙な撮り方をするので、パーツ写真多し(笑)気が付けば肝心な正面からの写真が一枚もありませんでした!(泣)私のバカ!後ろからの写真はいっぱいあるんですけど(泣)
ここももう一回きたいなぁ…。

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