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明主様の御垂示 (神慈秀明会会員の通勤カレッジ)

明主様・岡田茂吉師の御垂示を通勤途中の電車内で学ぶためのブログです。

「御奉斎した御神体を勝手に巻く信者は放ったらかして良い」

2020年09月16日 17時20分00秒 | 昭和27年9月~12月
明主様御垂示 「御奉斎した御神体を勝手に巻く信者は放ったらかして良い」 (昭和27年11月1日)

信者の質問
「五年前一家九人入信、御神体も御奉斎いたし、お道に一生懸命でありましたが、

御法難当時から近所の噂とか親戚の反対が多く、そのため夫婦以外の子供全部が反対し、留守の間に御神体を戸棚にしまい込んだことがございます。

早速当時の会長がまいり御奉斎いたしましたが、またいつの間にかお巻きいたしました。お道には一生懸命でございます」

明主様御垂示
「お道のことをやっていて御神体を巻くというのは、それはお道のことをやっているのではありません。

御神体を巻いて、そんなことをやることはない。よしたほうが良い。無礼です。」


信者の説明
「子供に言い聞かせてはおりますが」

明主様御垂示
「言い聞かせなくても良い。放ったらかして良い。気を揉ませて、そんなことはいらないことです。」


信者の質問
「断固としてお道に励むか、よすか、どっちかということでございますか」

明主様御垂示
「そうです。どっちかに決めなければならない。」

「上座と下座」

2020年09月15日 17時20分00秒 | 昭和27年9月~12月
明主様御垂示 「上座と下座」 (昭和27年11月1日)

信者の質問
「屋敷内の艮(うしとら)に女松男松を植えます場合に、右近の橘左近の桜という意味で植えるものとして、御神前とは反対のほうになりますが、どちらを上座と考えて植えましたらよろしいでしょうか」

明主様御垂示
「それは男のほうが上だから向って右です。

神様がこうあると、こっち(神様に相対して左)が男松、こっち(右)が女松です。

例えてみれば、人間が歩いているときに、男が左、女が右です。

ここ(御神前)に人間が坐った場合は、こっち(左)が男、こっち(右)が女です。」 (中略)


信者の質問
「ただ今の上座下座のことでございますが、常に御神前に向いまして神様の左側が上座と思っておりましたのでございますが」

明主様御垂示
「神様のほうはそうです。しかし神様と人間は違います。

向うと神様と人間はあべこべになるわけです。

あなたが妻君と二人で御神前に向う場合にはどう並びますか。」


信者の発言
「右が上座だと伺っておりました」

明主様御垂示
「そんなことはありません。何でも左が上座です。

それでなければ霊主体従になりません。

霊主体従は知っているでしょう。

「ヒ」というのは霊です。

「ヒ」は霊で「タリ」は満ちです。

「ミギ」というのは、「ミ」は体です。

「ヒ」と「ミ」です。」


信者の発言
「一般は御神前に・・・」

明主様御垂示
「ですから御神前は人間とあべこべだと言うのです。

簡単です。ややこしく考えるといけないのです。真理は簡単なものです。

神様が御神前に御夫婦で御並びになると、向って右が男神様、左が女神様です。

人間のほうはあべこべになるのです。

一緒にするからいけないのです。

分離すれば良いのです。

何でも考えるには一番簡単な考え方です。それが真理です。

ちょっとでもややこしいものなら、それは真理ではないのです。

だから真理というのは一番やさしいのです。

それをゴチャゴチャにするのが邪神です。

それで一番ややこしいのは共産主義です。」


信者の質問
「祭官が坐りますときは、上席はこちらに坐りますが」

明主様御垂示
「祭官と普通の人とは違います。

つまり霊と体の考え方がはっきり分かればわけはないのです。

どうも人間の習慣で簡単に考えないのです。

ややこしく考えるくせがある。特に日本人は昔からそういう弊害が多いのです。

自由意志だとか自由主義だとかを抑えられて来たので、考え方が単純でなくどうも複雑です。

今の世の中はみんな体主霊従の世の中だから体主霊従になっているのです。

天皇陛下の御親影でも、皇后様のほうが上です。

それから恵比須さんを置くのも体主霊従に置いている。

大黒さんが霊で恵比須さんが体です。」

「五という数字は尊い」

2020年09月14日 17時20分00秒 | 昭和27年9月~12月
明主様御垂示 「五という数字は尊い」 (昭和27年11月1日)

信者の質問
「自然栽培の予定地としておりましたが、都合上できなくて有肥にいたしましたところが、

五という文字が現われ、その所だけが真青で、ぜんぜん実りがありません。何か意味がありますのでしょうか」


明主様御垂示
「意味も何も、実際にそう出ているでしょう。

そんなことをしてはいけないということが出ています。

田圃でも、やっぱり神様の御守護は普通ではないのです。そういうことのお知らせです。

「五」というのは、数では「一」は一番根本ですが、「五」というのは尊いのです。

だから山をみても五が一番頂点になるのです。

一、二・・・と上って、五が一番上で、六、七・・・と下りている。

だから位からいうと一番高いのです。

「五」という字は、「火」だから、「火」は「一人」ということで、「主神」ということです。

「五」という字は神様です。」

「千手観音と自殺者の霊視」

2020年09月13日 17時20分00秒 | 昭和27年9月~12月
明主様御垂示 「千手観音と自殺者の霊視」 (昭和27年11月1日)

信者の質問
「十月の月並祭のときに御写真をいただきましたが、その際に霊の憑りやすい人が見え、四人ばかり霊が出ました。

そのとき、千手観音だとおっしゃって、御写真に向い日々の御礼を申し上げておられました」

明主様御垂示
「自分は千手観音だと言うのですか。

千手観音といってもたくさんいるのです。

つまり本元の千手観音と枝の千手観音があります。

それは枝のうちの一人です。」


信者の質問
「その外に脳溢血で死んだ霊、昔青酸カリで、出刃で死んだ霊と、次々に八人の霊が出ましたが、

明主様の御教えにあります通りに、自殺した者は霊界で非常に苦しんでいるということをはっきり見させていただきました。

わずかの年限で出て来られるということは、家族が一生懸命信仰をやっているためでございましょうか」

明主様御垂示
「それはそうです。その中にあなたも入っているのでしょう。

祖先と言っても、自分は祖先が生まれているのですから、そのときにやったのです。」

「人間は執着で蛇になる」

2020年09月12日 17時20分00秒 | 昭和27年9月~12月
明主様御垂示 「人間は執着で蛇になる」 (昭和27年11月1日)

信者の質問
「五年前入信、御神体も御奉斎の一人者の老婆ですが、非常な吝嗇(けち)でありまして常に懐に数十万の現金を持っております。

その老婆が、「御神体を売ってくれ」と言いましてより床につき一月で亡くなりました。

そのとき額のまわりを一尺ばかりの小蛇が何匹も這っていたそうですが、これはどういうわけでございましょうか」


明主様御垂示
「それは前の世で人間を大勢苦しめたのです。虐待するとかしたのです。

そうするとそれを悔しがって、その執着によって蛇になってその婆さんを苦しめる。

つまり仇(かたき)をとるのです。それです。

執着は蛇になるのです。

そういう、悔しい、仇を討ちたいとう執着が蛇になるのです。」