明主様の御垂示 (神慈秀明会会員の通勤カレッジ)

明主様・岡田茂吉師の御垂示を通勤途中の電車内で学ぶためのブログです。

ブログ終了

2021年08月13日 17時20分00秒 | リンク

これで、このブログは終了します。長い間ありがとうございました。

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「蒔絵について」

2021年08月12日 17時20分00秒 | 昭和29年
明主様御垂示 「蒔絵について」 (昭和29年4月1日)

信者の質問
「蒔絵というのは漆の上でなくてもできるものでしょうか」

明主様御垂示
「蒔絵は漆よりしようがないです。」


信者の質問
「尾形光琳が追放されたときのことで、竹の皮に蒔絵を画いて、云々ということがございますが」

明主様御垂示
「それは無論漆です。竹の皮に漆をしてやったのです。」


信者の質問
「そんな贅沢をしていたものでございましょうか」

明主様御垂示
「これは伝説になってますが、あの当時舟でお花見に行く人が贅沢を競っていたのです。

それで光琳は“癪に障る、よし一つ人ができないことをしてやろう”というので、

蒔絵がやれるため、竹の皮に蒔絵をして、それにおすしか何かを包んで、そうして舟がたくさん出ている所で食べて、皮を捨てたのです。

それでびっくりしたのです。

これは加茂川の花見の最中のことです。

それが当時の町奉行に知れて、金を使ってなければよいが、金を使ってあるので、金を使っているのはけしからんと言われ、京都をおかまいになって江戸に追放されたのです。

四年間深川の大工の所に食客になっていたのです。そのときに作ったのもあります。

ですから江戸に元からある物はそのときに作ったのです。

それでそうとうな有力者が嘆願して許されて、また京都に帰ったのです。

東京に光琳がいるときに、それを慕って乾山(けんざん)が来たのです。

それで乾山は下谷の根岸に住んで、窯を作りやったので、乾山には江戸で作ったのと京都で作ったのがあります。

乾山もあれだけの名人だから大騒ぎをされて、京都に帰りたくなくなったので、だんだんやって、今は何代目かで、乾也という人です。

それでイギリスのバーナード・リーチが乾也の弟子になって、要するに乾山風の陶器を習って、向うで焼いて、日本でもそうとう焼いています。

なかなか上手です。それでリーチが、私の所に乾山があるというので、ぜひ見たいと申込んで来てます。

バーナード・リーチと、柳宗悦(むねよし)と、もう一人の、三人がぜひ見たいというので、美術館を開いたら五月あたりに来てよいということに返事をしてあります。

そのバーナード・リーチは乾山崇拝なのです。

そのために日本で習ったのです。あれはイギリスの陶芸家です。

そういうようで、光琳が追放されたということにより、乾山という名人が江戸にくることになったということも、やっぱり一つの功績です。

乾山の陶器というのはだいたい江戸趣味です。

仁清のほうは京都趣味です。ですから乾山のほうが渋いです。

江戸芸術の香りが非常にあるわけです。

前に乾也というのがカンザシを作って、明治十四年に乾也の玉と言って流行ったものです。


それから、今度の桃山展で光悦の硯箱が出てます。樵(きこり)の図です。

これは、桃山の一番の芸術家は光悦ですが、光悦の一番の傑作が樵の蒔絵の硯箱です。

光悦の硯箱には二つあるのですが、樵と、博物館にある舟橋です。

この二つの内で、私のほうが少し古くなって、破損ではないが剥げた所があるのです。

舟橋のほうがきれいではあるが、樵のほうが本当に傑作なのです。それが手に入ったのです。

それでちょうど桃山展に第一番の物として、そのつもりでいたのです。それはすばらしいものです。

これを一つ見るだけに、それこそ大阪や京都から出て来てもよいです。知っている人はそういう人もあります。」

「仏教美術について」

2021年08月11日 17時20分00秒 | 昭和29年
明主様御垂示 「仏教美術について」 (昭和29年4月1日)

信者の発言
「美術に関しまして、今まで飛鳥、白鳳、天平については御教えいただいてますが、

弘仁、貞観時代につきましてはまだ御教えがありませんが、

今度奈良にお出ましにまられますについて、奈良の博物館で弘仁と貞観時代の国宝の展覧会がございます。

あの時代の美術というのは主に仏教でございますが」

明主様御垂示
「仏教です。」


信者の発言
「仏像なども豊満な感じがいたしますが」

明主様御垂示
「割合に単純です。藤原の前だから、一時奈良朝仏はずいぶん精巧になって来たが、弘仁に来てずっと型が単純になったのです。

それから藤原になってまた少し巧妙になって、それから鎌倉にいってずっと巧妙になったのです。

だから弘仁は代わり目です。

しかしあんまり良い物ができなかったです。」


信者の発言
「去年の新薬師寺の本尊が貞観の代表作とかでございます」

明主様御垂示
「そうでしょう。藤原の代表としては、いつか行った平等院の大仏さんです。

あれは藤原の彫刻としては代表的なものです。」


信者の発言
「明治時代に平等院の模型を作った人があり、三千万円で天理教に持って行って断られたそうです」

明主様御垂示
「天理教では仏教は駄目です。」


信者の発言
「次にはメシヤ教に持って行くと言っております」

明主様御垂示
「持って来ても、安ければよいです。仏は買手がないのです。

私は仏は半分と、たいていそうなります。

これは買手の多い少ないで相場が決まるのです。

お寺では金が要るし、売れなければしようがないというわけです。」


信者の発言
「それは模型でございます」

明主様御垂示
「それならなお安いです。

模型というものはまた安いものです。

前に日光の模型といって、実際よくできてました。

かなり大きくできてました。

あの当時百万円とか言ってました。

本当のとおりにできており、日光の御霊屋(おたまや)も大名行列もすっかりついているのです。

だからすっかり並べると二間か三間になります。

それからお宮も本当の通りにやってありました。

それでも買う気にはなれないです。

一つの見世物ですから美術館には出せないです。

今の平等院のそれも、美術館には出せないです。やはり一種の見せ物です。

それで、そういった美術品の良い物が安い代わりに、茶の湯の茶碗などは、泥なのですが、それが何百万といって売れるのです。」

「落盤事故死亡者の憑依による腰の脱臼」

2021年08月10日 17時20分00秒 | 昭和29年
明主様御垂示 「落盤事故死亡者の憑依による腰の脱臼」 (昭和29年4月1日)

信者の発言
「山形の市内の在、村落に多いようですが、子供の脱臼が毎日何十人とあるそうでございます」

明主様御垂示
「脱臼というのは腰が立たなくなるのですが、普通は滅多にないです。

どこかにぶつけるのが原因ですが、それは自然になるのですか。」


信者の発言
「自然にだそうでございます。二つか三つぐらいの子供で、霊的ではないかと思われます」

明主様御垂示
「そういうのは、鉱山か何かで落盤でもして一度に大勢死んで、腰なら腰を打って死んでしまうと、

そういう霊が救われないと、救われたいために子供に憑ってくるのです。

浄霊すればわけなく治ります。

そういう場合に、押しつぶされて死んだりすると、すぐには憑れないのです。

ある期間地獄にいて苦しんで、あるときにゆくと許されるのです。

とにかく地獄から娑婆まで行けることになるのです。

そうすると、そういうのは早く助けてもらいたいというので子供に憑るのです。」

「墓の整理」

2021年08月09日 17時20分00秒 | 昭和29年
明主様御垂示 「墓の整理」 (昭和29年4月1日)

信者の質問
「墓につきまして、個人名前の墓が幾つかあり、先祖代々の墓がありませんが」

明主様御垂示
「個人名前というのは戒名ではないのですか。」


信者の質問
「個人に作った墓で、特に良かった時代に立派なものを作ってあります場合に、それを先祖代々のに替えることは・・・石をけずりまして」

明主様御垂示
「それはよいです。早くやったほうがよいです。それは非常に間違ってます。

自分たちばかり救われて、先祖はないがしろにしているということはたいへん間違ってます。

先祖だけは個人のよりか大きい墓でなければいけないのです。

さもなければ真ん中を先祖代々にして、そこに個人を並べて、それでもよいです。」


信者の質問
「そういう場合に、小さい雑なのがありますが、整理してよろしいものでしょうか」

明主様御垂示
「やり直してよいです。」


信者の質問
「整理して祖先の中に入れましてよろしいでしょうか」

明主様御垂示
「古い、少なくとも百年ぐらいたったものは先祖に入れてよいですが、そうでないのは、そうしてはいけないのです。

それから子供の墓はずっと小さくてよいです。

それで大人のほうは石に切りつければよいです。

その順序を間違えないようにしなければならないです。」


信者の質問
「普通の家では、先祖代々のがあり、あと墓石は別に作りませんが」

明主様御垂示
「それでよいです。それも墓地の狭い広いで判断するのです。

もし広いとすれば新しい仏は祀ってやらなければならないです。

それも臨機応変に常識で考えていって、ちょうど良いというやり方でやるわけです。

お寺参りに行くときには、ご先祖は挨拶に出てくるのですから、そのときにあんまり墓がひどかったり、もっとできるにかかわらず人間の怠慢でしないと、

ご先祖は面白くないから、“こいつはひどい奴だ、時々灸をすえてやれ”というので、

ご先祖が災難を与えたり、病気にさせたり、そういうことがあります。

ですから思いもつかない、お寺参りに行った帰りに電車が衝突したりということがあるのです。

だからこれはやっぱり人間界と同じで、できる身分でやらないということや、

またその人の境遇やいろいろに合わないということは、ご先祖としても面白くないのです。

またご先祖の中にも、怒リッポイのとそうでないのがありますが、怒リッポイのはお気づけとかそういうことがあります。」

「お光の紐が切れた事例」

2021年08月08日 17時20分00秒 | 昭和29年
明主様御垂示 「お光の紐が切れた事例」 (昭和29年4月1日)

信者の発言
「資格者でございますが、昨年五月御神前掃除の最中、大光明様の御守の紐が切れているのに気づかず、

蒲団を叩いているときワイシャツの袖から屋根に落ち、大光明如来様を通じてお詫び申し上げました。

なお自分で気がつきました点としては、御守様に対する想念が徹底してなかったこと、また袋が汚れているのに取り替えなかったこと、

最近になって明主様に直接にお詫びしてない、ということが気になりましたそうです。

考えてみますと、御守様に御無礼があった頃から、布教のほうも行き詰って来ております。

お詫びと共に、今後いかがいたしましたらよろしゅうございましょうか」


明主様御垂示
「御守は浄めてあげます。」

「生卵、水をほしがる蛇の再生者」

2021年08月07日 17時20分00秒 | 昭和29年
明主様御垂示 「生卵、水をほしがる蛇の再生者」 (昭和29年4月1日)

信者の質問
「婦人の信徒(四十八歳)二十三日より心臓の浄化、動悸激しく圧迫感、悪感あり、

それが終ると高熱があり、一週間続き、次に就寝中に圧迫され、呼吸困難が一週間、

次に胃の浄化が一週間続き、入信前服んでいた胃散を吐き、

次に頭部の浄化が一週間、次に腹膜と月経痛が一週間と、計五週間の浄化が続き、また心臓の浄化となっておりますが、

生卵、水を欲しがり、舌を出しており、龍神のような恰好でございます」

明主様御垂示
「そうです。蛇です。」


信者の質問
「以前は祝詞を奏げると楽になりましたが、近頃は善言讃詞に変っておりますが、どういうわけでございましょうか」

明主様御垂示
「それは霊のほうの気持ちで、霊が好むのですからしかたがないです。

客観的にどうとは言えないです。

それから、その人は龍神であり、心臓がどうとかどこがどうということは、薬毒が固まっているのが順繰りに浄化されるのです。」


信者の質問
「平均浄化でございましょうか」

明主様御垂示
「そうです。それから生卵が好きなのは、蛇のときに鶏小屋を狙ってはやっていたそのためです。

気長にやればすっかり治ります。

それから舌を出すのも治ります。

つまりまだ人間になりきれないのです。

つまり蛇であったのが人間に生まれ変って、蛇であったときの性能がまだ抜けきらないのです。

これは気長にやれば、だんだん蛇の性能がなくなって来ます。」

「睾丸が片方しかない事例」

2021年08月06日 17時20分00秒 | 昭和29年
明主様御垂示 「睾丸が片方しかない事例」 (昭和29年4月1日)

信者の質問
「信者の長男(十三歳)生れながらにして睾丸が片方しかありませんでしたが、

入信して浄霊をいただくようになってから、豆粒ぐらいのものができて来て、現在半分くらいになっております」


明主様御垂示
「それは大きくなります。普通になります。

それはやっぱり前の世で、片方の睾丸がつぶれて死んだものです。

あるいは爆発物で取れたとか、切られて死んだものが、治らない内に生まれ変って来たのです。

しかし元々はあったものですから、そういうふうに回復してくるわけです。」

「同性愛者の霊的原因」

2021年08月05日 17時20分00秒 | 昭和29年
明主様御垂示 「同性愛者の霊的原因」 (昭和29年4月1日)

信者の質問
「子供のときから両性であり、男性のほうが非常に劣性であったので結婚して奥さんになっておりますが、最近男性のほうがだんだん大きくなり、困っております」

明主様御垂示
「それは困りますね。私にもちょっと分かりそうもないです。」


信者の質問
「現在のところでは夫婦生活には大して邪魔にならないそうですが、夫婦で心配しておりますので」

明主様御垂示
「それは信仰に入ってますか。」


信者の質問
「信者でございます。どういう因縁でございましょうか」

明主様御垂示
「無論前の世のことで、前の世の罪です。

つまり「オチゴ」というのがありますが、そういう罪でしょう。

(註 オチゴ・・・寺院や、公家(くげ)・武家で召し使われた少年。男色の対象となることもあった。)

あれは男のくせに女の役をするのだから、そうなるのでしょう。

それが霊界で浄化されない内に生まれ変ってくるのです。そういうわけです。

それが信仰に入っているなら、そのまま放っておけば、最後に、どっちにすべきかというところで、罪が消えて来ますから、その人としては一番よい。

不仕合わせがなくなって来て、仕合せになってくるわけです。

今どうこうということは考えないで、そのままにして推移を見ているということがよいでしょう。


特に戦国時代にはそういうことが非常に激しかったのです。

しかし今でも、盛んというまではないが、そうとうあるようです。

そういうのは、ひどいのは男でありながら女が絶対に嫌いなのです。

女に側に寄られても気持ちが悪いのです。男でいて男が好きなのです。

これはやっぱり前の世の関係です。

それは女などで “女ぐらいつまらないものはない。この次の世には男に生まれ変って来て、やりたいことをしたい”というのがよくあります。

また中には、男でありながら(男のほうは少ないが)“女のほうが気楽でよい、だからこの次には女に生れて来たい”という男もあります。

そういう想念が強いと、そう生まれ変わってくるのです。

ところが肉体のほうはそうではないから、そこで肉体と符合しない場合があるのです。

男に生まれ変わってきても同性愛、女でも同性愛と、そういうことがあるのです。

そして、そういうことは割合に数が多いようです。

なにしろ事柄が事柄だけに、お互いにみんな秘密にしているから、それほどは知られてないようですが・・・。

そういうのは男のほうでは“女くらい不潔なものはない”と言うし、また女の同性者のほうでは“男ぐらい下等なものはない、あんな獣みたいな” と言うわけです。」

「自宅兼布教所における仏壇の取り扱い」

2021年08月04日 17時20分00秒 | 昭和29年
明主様御垂示 「自宅兼布教所における仏壇の取り扱い」 (昭和29年4月1日)

信者の質問
「教会の御神前の隣の部屋に個人の仏壇がありますが、

なんとなく個人のものと公の教会との調和がとれないように思われます。

ふだん朝夕礼拝しますが、その間は、押入のような所などですと、閉めておいてよろしいものでしょうか。

あるいは開けておくべきものでしょうか」

明主様御垂示
「それは開けても閉めても大したことはないのです。

その部屋の状態からいろんな具合によって、開けておいてよい場合は開けて、閉めたほうがよいという場合には閉めてよいです。

例えてみれば、その部屋で何か仕事をしてホコリをたてるとか、いろいろ部屋を乱すというときには閉めておいたほうがよいです。

それから人が出入りをしないで静かなときには開けておいてよいです。

それから教会の場合には今のと違うのです。

教会の場合は御先祖様は次の間がよいです。

一緒ではいけないのです。

けれども、そうはいっても、一間しかなくてどうしてもそういうことができない場合にはしかたがないです。

そういう場合には、あんまりスソでも御祖霊さんに悪いし、そうかといって神様にあんまり接近しては、どうも恰好が悪いという場合には、それ相当の部屋の位置を決めるのです。」


信者の質問
「そのような場合に、御浄霊とか研究会をするときには閉めておいて差し支えないものでございましょうか」

明主様御垂示
「そういう場合には閉めたほうがよいのです。

御祖霊さんには関係ないのですから、遠慮しているべきですから、閉めたほうがよいです。」

「メシヤ教の信者は先覚者」

2021年08月03日 17時20分00秒 | 昭和29年
明主様御垂示 「メシヤ教の信者は先覚者」 (昭和29年4月1日)

信者の質問
「神様のことでございますが、明主様の御分霊がその時代にそういうようにお現われになられたものと解してよろしゅうございましょうか」


明主様御垂示
「そう思ってもよいです。

だからたいへんな時期が来たわけです。

さっき読んだ中に“今度が本当の紀元節だ”ということがありましたが、まあそういうものです。

世界の紀元節です。

二月十一日は日本の紀元節だったが、今度は世界の紀元節です。

そこで今までの間違ったことを訂正して、今度は一段世界が違うわけです。

だからメシヤ教の信者になった人は、とにかく先覚者というわけです。」

「主神は善悪両方を作られた」 3

2021年08月02日 17時20分00秒 | 昭和29年

明主様御垂示 「主神は善悪両方を作られた」 3 (昭和29年4月1日)

信者の質問
「例えてみれば、三大新聞が広告をとらないということは、邪魔しているのではございませんでしょうか」

明主様御垂示
「邪魔しているのです。だからけしからんのです。

しかし憎むことはできないのです。

案外それがよかったという時節がくるのです。

あなた方でもそうでしょう。

“あいつはひどい奴だ。あんなことをやった”というが、何年かたってから、“あれでよかった、あのためにこうなった”ということがあります。

人間ははなはだ安直なので、じきに決めるのです。

決めるのはよいが、ある程度で止めればよいが、どうしても“やっつけてしまえ”とかということが間違ってしまうのです。


私は言うのです。今原子爆弾を嫌っていろいろ言うが、日本人は原子爆弾に対して大いに感謝しなければならない、と。

あのくらい感謝しなければならないものはないのです。

なぜなら、あれが広島、長崎にドカンと来たので戦争が済んだので、そうでなければ日本の都市という都市はあれで壊されてしまいます。

なにしろあの当時、軍人は非常に執着が強くて、どこまでも戦争を続けるという決心であったのですが、

原子爆弾によって“これはもう敵わない、手をあげる” という決心が決まったのですから、あの戦争を打切りにした力は原子爆弾です。

だから広島、長崎で済んだわけですが、そうでなかったら他の都市も全部壊されるのです。

と共に人間も殺されるのです。

それを救ったのは原子爆弾です。

これは神様のほうから私は分かったのですが、原子爆弾は神様が作ったのです。

あれは悪魔が作ったように思いますが、そうではないので、神様が作ったのです。

これも今に“なるほど”ということが分かります。

だから主神がいろいろな経綸をされているのは、とても人間などの判断で分かるものではないです。

実に深い、大きな、たいへんなものです。

だからお筆先に「神界のことが分からぬという人は分かりたのであるぞよ」とありますが、それほど分からないものです。

だから人間が、善いとか悪いとか、善とか悪とか、いろいろ決めるということは、実にごく薄ッペラなものです。だから多く、逆が多いです。


メシヤ教を発展させているのは医学なのです。

医者が病人を作り治さないようにしているから、メシヤ教というものがありがたいものになっているのです。

医者のほうでそんなことをしないで、病人を片っ端から治してしまえば、病人はなくなってしまいますから(その代わり医者もなくなってしまいます)そうすればメシヤ教の出る隙もなくなってしまいます。

神様は医学とか薬という、そういった間違ったものを作り、病人を作り、人間を苦しめるというそのことがまた非常に必要な意味があるのです。

医学や薬で人間を弱らしているが、また一つにはすばらしい、よいことがあるのです。

それはまだ時期が早いから言わないが、それが分かっては、ちょっと具合が悪いことがあるのです。


また自然農法にしても、肥料が良いとして米の不足やいろんなことをしたということは、神様としてはまるで無慈悲なように思うが、

ところがやっぱりそれがたいへんな必要があったわけです。

だから本当の深い意味というものは、今までに説いた人もないし、またそういうことが今までは知れてはいけなかったし、

やっぱり時期が来て、そういうことを知らせなければならない時期が来たわけです。

それを知らせる役が私なのです。」


「主神は善悪両方を作られた」 2

2021年08月01日 17時20分00秒 | 昭和29年

明主様御垂示 「主神は善悪両方を作られた」 2 (昭和29年4月1日)

信者の質問
「明主様の意向に邪魔する邪神というのは、表面的にはあるような形の場合と、そうでない場合と」

明主様御垂示
「邪魔しているということはどうして分かりますか。」


信者の発言
「何かと御神業に差し障りがあるということでございます」

明主様御垂示
「どうして差し障るまたは差し障らないという判断が分かりますか。」


信者の発言
「それは分かりません」

明主様御垂示
「あなたの目には邪魔するように見えるが、神様のほうではそれでよいのです。

だから人間の小智小才で判断して“あれが悪い”とか“これが悪い”とか言うが、実はご自分のほうが悪いのです。

例えば“医者というのはけしからん。

病人を作り、人を死なせる。病気を治らないようにしている。

詐欺だ、けしからん” と言うが、医者がそうだからメシヤ教が発展するのです。

もし医者がそうでなかったら、メシヤ教の信者は一人もできないです。

そうすると医者はたいへんな役をしているわけです。

だから医者がそうして病気を作っていることは、神様のほうからは必要があるのです。

それはいずれ説きますが、今はまだ早いから言わないのです。

ですから人間が、善いとか悪いとか言うことはできるが、結論は人間ではつかないのです。

“あいつは悪いお邪魔している”ということも、それは確かに邪魔しているから、邪魔しているということを言うのは差し支えないです。

しかし“だからあいつはやっつけなければならない”ということはいけないのです。

というのは、もしやっつけなければならないものなら、神様がやっつけるのです。

“あれは邪魔しているようだが、やっぱり神様のほうで御都合があるのだろう”として善いとか悪いとか決めることはいけないのです。」 つづく


「主神は善悪両方を作られた」 1

2021年07月31日 17時20分00秒 | 昭和29年
明主様御垂示 「主神は善悪両方を作られた」 1 (昭和29年4月1日)

信者の質問
「神様のことにつきまして、本日もお言葉がありましたが、最近霊的な現象がいろいろ出て来ており、信者として神様のこともお伺いいたしたいのでございますが、

非常に難しいことでもありますので遠慮いたしておりましたが、二つほどお伺い申し上げます。

伊弉諾尊、国常立尊、伊都能売神、天照大御神、明主様との御関連と、主神が邪神をお使いになっており、御神業に何かと邪魔をするということとのご関連を」

明主様御垂示
「邪魔をすると言うが、それは見方によるのです。

本当は邪魔ではないので、必要なのです。

つまり浄化作用の一種なので、その人に穢れがあるから、穢れをとるにはその人を苦しめなければならない。

それから時期があるから、その時期を延ばすために邪神が邪魔するのです。

ですから今言ったとおり、正邪両方を主神が作ったのですが、邪というものも必要なのです。

邪というのは、邪魔したりすることですが、その人を磨くにはそういうことも必要なのです。

ある期間は邪だが、イコール正なのです。」 つづく

「未信者によるお屏風観音様の奉斎は許されない」

2021年07月30日 17時20分00秒 | 昭和29年
明主様御垂示 「未信者によるお屏風観音様の奉斎は許されない」 (昭和29年4月1日)

信者の発言
「信者の親戚のために御屏風観音様をいただいて帰り、届ける前に自分の家の御神前に三方にのせて安置して」

明主様御垂示
「それはおかしいです。いただいてすぐに先方にあげないのですか。」


信者の質問
「熊本と天草でございまして、その日に行けなかったのでございます。

それで紙に包んで三方にのせて安置し、明くる朝見ますと、猫が上がり足跡をつけておりました。

いかがいたしたらよろしいでしょうか」

明主様御垂示
「それはお祀りする本人が行くのが本当なのです。親戚と言ったところで、信者ですか。」


信者の発言
「信者ではございません」

明主様御垂示
「それはとんでもない話です。

信者にならなければ御屏風観音様はお祀りしてはいけないのです。

それで猫がそうしたのです。

猫によく礼を言っておくとよいです。

何か薬かおまじないのように思って親戚の者にやるというのは、とんでもない間違いです。」