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明主様の御垂示 (神慈秀明会会員の通勤カレッジ)

明主様・岡田茂吉師の御垂示を通勤途中の電車内で学ぶためのブログです。

「蒔絵について」

2021年08月12日 17時20分00秒 | 昭和29年
明主様御垂示 「蒔絵について」 (昭和29年4月1日)

信者の質問
「蒔絵というのは漆の上でなくてもできるものでしょうか」

明主様御垂示
「蒔絵は漆よりしようがないです。」


信者の質問
「尾形光琳が追放されたときのことで、竹の皮に蒔絵を画いて、云々ということがございますが」

明主様御垂示
「それは無論漆です。竹の皮に漆をしてやったのです。」


信者の質問
「そんな贅沢をしていたものでございましょうか」

明主様御垂示
「これは伝説になってますが、あの当時舟でお花見に行く人が贅沢を競っていたのです。

それで光琳は“癪に障る、よし一つ人ができないことをしてやろう”というので、

蒔絵がやれるため、竹の皮に蒔絵をして、それにおすしか何かを包んで、そうして舟がたくさん出ている所で食べて、皮を捨てたのです。

それでびっくりしたのです。

これは加茂川の花見の最中のことです。

それが当時の町奉行に知れて、金を使ってなければよいが、金を使ってあるので、金を使っているのはけしからんと言われ、京都をおかまいになって江戸に追放されたのです。

四年間深川の大工の所に食客になっていたのです。そのときに作ったのもあります。

ですから江戸に元からある物はそのときに作ったのです。

それでそうとうな有力者が嘆願して許されて、また京都に帰ったのです。

東京に光琳がいるときに、それを慕って乾山(けんざん)が来たのです。

それで乾山は下谷の根岸に住んで、窯を作りやったので、乾山には江戸で作ったのと京都で作ったのがあります。

乾山もあれだけの名人だから大騒ぎをされて、京都に帰りたくなくなったので、だんだんやって、今は何代目かで、乾也という人です。

それでイギリスのバーナード・リーチが乾也の弟子になって、要するに乾山風の陶器を習って、向うで焼いて、日本でもそうとう焼いています。

なかなか上手です。それでリーチが、私の所に乾山があるというので、ぜひ見たいと申込んで来てます。

バーナード・リーチと、柳宗悦(むねよし)と、もう一人の、三人がぜひ見たいというので、美術館を開いたら五月あたりに来てよいということに返事をしてあります。

そのバーナード・リーチは乾山崇拝なのです。

そのために日本で習ったのです。あれはイギリスの陶芸家です。

そういうようで、光琳が追放されたということにより、乾山という名人が江戸にくることになったということも、やっぱり一つの功績です。

乾山の陶器というのはだいたい江戸趣味です。

仁清のほうは京都趣味です。ですから乾山のほうが渋いです。

江戸芸術の香りが非常にあるわけです。

前に乾也というのがカンザシを作って、明治十四年に乾也の玉と言って流行ったものです。


それから、今度の桃山展で光悦の硯箱が出てます。樵(きこり)の図です。

これは、桃山の一番の芸術家は光悦ですが、光悦の一番の傑作が樵の蒔絵の硯箱です。

光悦の硯箱には二つあるのですが、樵と、博物館にある舟橋です。

この二つの内で、私のほうが少し古くなって、破損ではないが剥げた所があるのです。

舟橋のほうがきれいではあるが、樵のほうが本当に傑作なのです。それが手に入ったのです。

それでちょうど桃山展に第一番の物として、そのつもりでいたのです。それはすばらしいものです。

これを一つ見るだけに、それこそ大阪や京都から出て来てもよいです。知っている人はそういう人もあります。」

「仏教美術について」

2021年08月11日 17時20分00秒 | 昭和29年
明主様御垂示 「仏教美術について」 (昭和29年4月1日)

信者の発言
「美術に関しまして、今まで飛鳥、白鳳、天平については御教えいただいてますが、

弘仁、貞観時代につきましてはまだ御教えがありませんが、

今度奈良にお出ましにまられますについて、奈良の博物館で弘仁と貞観時代の国宝の展覧会がございます。

あの時代の美術というのは主に仏教でございますが」

明主様御垂示
「仏教です。」


信者の発言
「仏像なども豊満な感じがいたしますが」

明主様御垂示
「割合に単純です。藤原の前だから、一時奈良朝仏はずいぶん精巧になって来たが、弘仁に来てずっと型が単純になったのです。

それから藤原になってまた少し巧妙になって、それから鎌倉にいってずっと巧妙になったのです。

だから弘仁は代わり目です。

しかしあんまり良い物ができなかったです。」


信者の発言
「去年の新薬師寺の本尊が貞観の代表作とかでございます」

明主様御垂示
「そうでしょう。藤原の代表としては、いつか行った平等院の大仏さんです。

あれは藤原の彫刻としては代表的なものです。」


信者の発言
「明治時代に平等院の模型を作った人があり、三千万円で天理教に持って行って断られたそうです」

明主様御垂示
「天理教では仏教は駄目です。」


信者の発言
「次にはメシヤ教に持って行くと言っております」

明主様御垂示
「持って来ても、安ければよいです。仏は買手がないのです。

私は仏は半分と、たいていそうなります。

これは買手の多い少ないで相場が決まるのです。

お寺では金が要るし、売れなければしようがないというわけです。」


信者の発言
「それは模型でございます」

明主様御垂示
「それならなお安いです。

模型というものはまた安いものです。

前に日光の模型といって、実際よくできてました。

かなり大きくできてました。

あの当時百万円とか言ってました。

本当のとおりにできており、日光の御霊屋(おたまや)も大名行列もすっかりついているのです。

だからすっかり並べると二間か三間になります。

それからお宮も本当の通りにやってありました。

それでも買う気にはなれないです。

一つの見世物ですから美術館には出せないです。

今の平等院のそれも、美術館には出せないです。やはり一種の見せ物です。

それで、そういった美術品の良い物が安い代わりに、茶の湯の茶碗などは、泥なのですが、それが何百万といって売れるのです。」

「落盤事故死亡者の憑依による腰の脱臼」

2021年08月10日 17時20分00秒 | 昭和29年
明主様御垂示 「落盤事故死亡者の憑依による腰の脱臼」 (昭和29年4月1日)

信者の発言
「山形の市内の在、村落に多いようですが、子供の脱臼が毎日何十人とあるそうでございます」

明主様御垂示
「脱臼というのは腰が立たなくなるのですが、普通は滅多にないです。

どこかにぶつけるのが原因ですが、それは自然になるのですか。」


信者の発言
「自然にだそうでございます。二つか三つぐらいの子供で、霊的ではないかと思われます」

明主様御垂示
「そういうのは、鉱山か何かで落盤でもして一度に大勢死んで、腰なら腰を打って死んでしまうと、

そういう霊が救われないと、救われたいために子供に憑ってくるのです。

浄霊すればわけなく治ります。

そういう場合に、押しつぶされて死んだりすると、すぐには憑れないのです。

ある期間地獄にいて苦しんで、あるときにゆくと許されるのです。

とにかく地獄から娑婆まで行けることになるのです。

そうすると、そういうのは早く助けてもらいたいというので子供に憑るのです。」

「墓の整理」

2021年08月09日 17時20分00秒 | 昭和29年
明主様御垂示 「墓の整理」 (昭和29年4月1日)

信者の質問
「墓につきまして、個人名前の墓が幾つかあり、先祖代々の墓がありませんが」

明主様御垂示
「個人名前というのは戒名ではないのですか。」


信者の質問
「個人に作った墓で、特に良かった時代に立派なものを作ってあります場合に、それを先祖代々のに替えることは・・・石をけずりまして」

明主様御垂示
「それはよいです。早くやったほうがよいです。それは非常に間違ってます。

自分たちばかり救われて、先祖はないがしろにしているということはたいへん間違ってます。

先祖だけは個人のよりか大きい墓でなければいけないのです。

さもなければ真ん中を先祖代々にして、そこに個人を並べて、それでもよいです。」


信者の質問
「そういう場合に、小さい雑なのがありますが、整理してよろしいものでしょうか」

明主様御垂示
「やり直してよいです。」


信者の質問
「整理して祖先の中に入れましてよろしいでしょうか」

明主様御垂示
「古い、少なくとも百年ぐらいたったものは先祖に入れてよいですが、そうでないのは、そうしてはいけないのです。

それから子供の墓はずっと小さくてよいです。

それで大人のほうは石に切りつければよいです。

その順序を間違えないようにしなければならないです。」


信者の質問
「普通の家では、先祖代々のがあり、あと墓石は別に作りませんが」

明主様御垂示
「それでよいです。それも墓地の狭い広いで判断するのです。

もし広いとすれば新しい仏は祀ってやらなければならないです。

それも臨機応変に常識で考えていって、ちょうど良いというやり方でやるわけです。

お寺参りに行くときには、ご先祖は挨拶に出てくるのですから、そのときにあんまり墓がひどかったり、もっとできるにかかわらず人間の怠慢でしないと、

ご先祖は面白くないから、“こいつはひどい奴だ、時々灸をすえてやれ”というので、

ご先祖が災難を与えたり、病気にさせたり、そういうことがあります。

ですから思いもつかない、お寺参りに行った帰りに電車が衝突したりということがあるのです。

だからこれはやっぱり人間界と同じで、できる身分でやらないということや、

またその人の境遇やいろいろに合わないということは、ご先祖としても面白くないのです。

またご先祖の中にも、怒リッポイのとそうでないのがありますが、怒リッポイのはお気づけとかそういうことがあります。」

「お光の紐が切れた事例」

2021年08月08日 17時20分00秒 | 昭和29年
明主様御垂示 「お光の紐が切れた事例」 (昭和29年4月1日)

信者の発言
「資格者でございますが、昨年五月御神前掃除の最中、大光明様の御守の紐が切れているのに気づかず、

蒲団を叩いているときワイシャツの袖から屋根に落ち、大光明如来様を通じてお詫び申し上げました。

なお自分で気がつきました点としては、御守様に対する想念が徹底してなかったこと、また袋が汚れているのに取り替えなかったこと、

最近になって明主様に直接にお詫びしてない、ということが気になりましたそうです。

考えてみますと、御守様に御無礼があった頃から、布教のほうも行き詰って来ております。

お詫びと共に、今後いかがいたしましたらよろしゅうございましょうか」


明主様御垂示
「御守は浄めてあげます。」