明主様御垂示 「蒔絵について」 (昭和29年4月1日)
信者の質問
「蒔絵というのは漆の上でなくてもできるものでしょうか」
明主様御垂示
「蒔絵は漆よりしようがないです。」
信者の質問
「尾形光琳が追放されたときのことで、竹の皮に蒔絵を画いて、云々ということがございますが」
明主様御垂示
「それは無論漆です。竹の皮に漆をしてやったのです。」
信者の質問
「そんな贅沢をしていたものでございましょうか」
明主様御垂示
「これは伝説になってますが、あの当時舟でお花見に行く人が贅沢を競っていたのです。
それで光琳は“癪に障る、よし一つ人ができないことをしてやろう”というので、
蒔絵がやれるため、竹の皮に蒔絵をして、それにおすしか何かを包んで、そうして舟がたくさん出ている所で食べて、皮を捨てたのです。
それでびっくりしたのです。
これは加茂川の花見の最中のことです。
それが当時の町奉行に知れて、金を使ってなければよいが、金を使ってあるので、金を使っているのはけしからんと言われ、京都をおかまいになって江戸に追放されたのです。
四年間深川の大工の所に食客になっていたのです。そのときに作ったのもあります。
ですから江戸に元からある物はそのときに作ったのです。
それでそうとうな有力者が嘆願して許されて、また京都に帰ったのです。
東京に光琳がいるときに、それを慕って乾山(けんざん)が来たのです。
それで乾山は下谷の根岸に住んで、窯を作りやったので、乾山には江戸で作ったのと京都で作ったのがあります。
乾山もあれだけの名人だから大騒ぎをされて、京都に帰りたくなくなったので、だんだんやって、今は何代目かで、乾也という人です。
それでイギリスのバーナード・リーチが乾也の弟子になって、要するに乾山風の陶器を習って、向うで焼いて、日本でもそうとう焼いています。
なかなか上手です。それでリーチが、私の所に乾山があるというので、ぜひ見たいと申込んで来てます。
バーナード・リーチと、柳宗悦(むねよし)と、もう一人の、三人がぜひ見たいというので、美術館を開いたら五月あたりに来てよいということに返事をしてあります。
そのバーナード・リーチは乾山崇拝なのです。
そのために日本で習ったのです。あれはイギリスの陶芸家です。
そういうようで、光琳が追放されたということにより、乾山という名人が江戸にくることになったということも、やっぱり一つの功績です。
乾山の陶器というのはだいたい江戸趣味です。
仁清のほうは京都趣味です。ですから乾山のほうが渋いです。
江戸芸術の香りが非常にあるわけです。
前に乾也というのがカンザシを作って、明治十四年に乾也の玉と言って流行ったものです。
それから、今度の桃山展で光悦の硯箱が出てます。樵(きこり)の図です。
これは、桃山の一番の芸術家は光悦ですが、光悦の一番の傑作が樵の蒔絵の硯箱です。
光悦の硯箱には二つあるのですが、樵と、博物館にある舟橋です。
この二つの内で、私のほうが少し古くなって、破損ではないが剥げた所があるのです。
舟橋のほうがきれいではあるが、樵のほうが本当に傑作なのです。それが手に入ったのです。
それでちょうど桃山展に第一番の物として、そのつもりでいたのです。それはすばらしいものです。
これを一つ見るだけに、それこそ大阪や京都から出て来てもよいです。知っている人はそういう人もあります。」
信者の質問
「蒔絵というのは漆の上でなくてもできるものでしょうか」
明主様御垂示
「蒔絵は漆よりしようがないです。」
信者の質問
「尾形光琳が追放されたときのことで、竹の皮に蒔絵を画いて、云々ということがございますが」
明主様御垂示
「それは無論漆です。竹の皮に漆をしてやったのです。」
信者の質問
「そんな贅沢をしていたものでございましょうか」
明主様御垂示
「これは伝説になってますが、あの当時舟でお花見に行く人が贅沢を競っていたのです。
それで光琳は“癪に障る、よし一つ人ができないことをしてやろう”というので、
蒔絵がやれるため、竹の皮に蒔絵をして、それにおすしか何かを包んで、そうして舟がたくさん出ている所で食べて、皮を捨てたのです。
それでびっくりしたのです。
これは加茂川の花見の最中のことです。
それが当時の町奉行に知れて、金を使ってなければよいが、金を使ってあるので、金を使っているのはけしからんと言われ、京都をおかまいになって江戸に追放されたのです。
四年間深川の大工の所に食客になっていたのです。そのときに作ったのもあります。
ですから江戸に元からある物はそのときに作ったのです。
それでそうとうな有力者が嘆願して許されて、また京都に帰ったのです。
東京に光琳がいるときに、それを慕って乾山(けんざん)が来たのです。
それで乾山は下谷の根岸に住んで、窯を作りやったので、乾山には江戸で作ったのと京都で作ったのがあります。
乾山もあれだけの名人だから大騒ぎをされて、京都に帰りたくなくなったので、だんだんやって、今は何代目かで、乾也という人です。
それでイギリスのバーナード・リーチが乾也の弟子になって、要するに乾山風の陶器を習って、向うで焼いて、日本でもそうとう焼いています。
なかなか上手です。それでリーチが、私の所に乾山があるというので、ぜひ見たいと申込んで来てます。
バーナード・リーチと、柳宗悦(むねよし)と、もう一人の、三人がぜひ見たいというので、美術館を開いたら五月あたりに来てよいということに返事をしてあります。
そのバーナード・リーチは乾山崇拝なのです。
そのために日本で習ったのです。あれはイギリスの陶芸家です。
そういうようで、光琳が追放されたということにより、乾山という名人が江戸にくることになったということも、やっぱり一つの功績です。
乾山の陶器というのはだいたい江戸趣味です。
仁清のほうは京都趣味です。ですから乾山のほうが渋いです。
江戸芸術の香りが非常にあるわけです。
前に乾也というのがカンザシを作って、明治十四年に乾也の玉と言って流行ったものです。
それから、今度の桃山展で光悦の硯箱が出てます。樵(きこり)の図です。
これは、桃山の一番の芸術家は光悦ですが、光悦の一番の傑作が樵の蒔絵の硯箱です。
光悦の硯箱には二つあるのですが、樵と、博物館にある舟橋です。
この二つの内で、私のほうが少し古くなって、破損ではないが剥げた所があるのです。
舟橋のほうがきれいではあるが、樵のほうが本当に傑作なのです。それが手に入ったのです。
それでちょうど桃山展に第一番の物として、そのつもりでいたのです。それはすばらしいものです。
これを一つ見るだけに、それこそ大阪や京都から出て来てもよいです。知っている人はそういう人もあります。」