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明主様の御垂示 (神慈秀明会会員の通勤カレッジ)

明主様・岡田茂吉師の御垂示を通勤途中の電車内で学ぶためのブログです。

「運命と宿命」

2021年03月25日 17時20分00秒 | 昭和28年7月・8月・9月
明主様御垂示 「運命と宿命」 (昭和28年9月1日)

信者の質問
「人間の宿命は上中下のうち一段で、その上にも下にも行けないということでございますが、

地獄的苦しみから天国的状態に変わることがありますが、そこに矛盾を感じます」

明主様御垂示
「それは違います。

宿命といっても、地獄の宿命、天国の宿命というのはないのです。

今の宿命、運命というのは階級です。

天国、地獄ということとは関係ありません。

例えてみれば、人の上に立つ人間、親分とか首脳者になる者はもう決まっているのです。

それで親分になる人は必ず良くなります。

乞食になっても、そういうのは乞食の親分になります。

それからどんなに偉い人でも、親分になれない人は、番頭とか支配人になります。

そういうように決まっているので、これが宿命です。

またそれでなければその人としての本当の発揮ができないのです。

植物でいえば蔓性植物と言ってからむのがありますが、人間でも同じで、竹なら竹がなければ、それに巻きつけないから生存ができないのです。

それと同じで、誰かに頼らなければ生きて行けないのがあります。

それからまた痩せても枯れても親分にならなければならない人があります。

からませるほうですが、それはその人の宿命です。


ですからそういう宿命がない人が無理に親分になろうとすると失敗するのです。

私は昔からどこに行っても、乾分(こぶん)はできるのですが、決して私を引き立てるとか、私が助けられるという場合はないのです。

私は、私には助けられるという性能はないと思って諦めていました。

何かにすがることはできないのです。

ですから最初は親しくしていても、後になると先方で相談にくるようになるのです。

私は信仰にはいる前から、誰かに相談するということはできなかったのです。

どうも後になると先のほうが下になってしまうのです。

それは私が大木のような宿命だからなのです。

それが宿命というものです。

それは生まれながらにしてそういうようにできているのです。

労働者などでたまたま出世しても、宿命が相応しないのは、やっぱり落ちてしまいます。

それからまた少し出世した人が、労働者とかを見て、なぜ一生懸命にやって出世しないのだろうと思うことがありますが、

それはそうではないので、その人はそれで満足しているので、それが宿命です。

ただその宿命の中で上になったり下になったりするのは自由で、それが運命です。

ですから運命は自分で変えることはできますが、宿命を破ることはできません。

宿命というのは限定したものです。

しかし運命というのは宿命の最高にまではなれるのです。

ですから人に使われる者としての最高になるのは、店の番頭とか支配人とかですが、それは親分に使われる者の中では最高のものです。

その最高のところまでは行けるのが運命です。

ですから運命は変えられるが、宿命は変えられないのです。」


信者の質問
「商売人に向くとか農業に向いているという、人間の職業も宿命に関係があるものでございましょうか」

明主様御垂示
「それが宿命です。

それで同じ農家になっても、上になったり下になったりします。

小作になったり自作になったりするのは運命です。」


信者の質問
「宿命ということと幸福とは関係がありますでしょうか」

明主様御垂示
「あります。

例えてみれば、生まれながらにして非常に良い所に生まれて、一生身分が良いということは、苦しまずに済んでいるから幸福です。

それは幸福の宿命を持っているわけです。

また同じ幸福でも、身分だけが良くて、あとがはなはだよろしくないということもありますが、それは運命が悪いのです。」

「潮の満ち引きと人間の運命」

2021年03月24日 17時20分00秒 | 昭和28年7月・8月・9月
明主様御垂示 「潮の満ち引きと人間の運命」 (昭和28年9月1日)

信者の質問
「引潮のときに生まれた子供は育たないということを言いますが」

明主様御垂示
「絶対にそういうことはありません。

多くの満潮のときに子供が生まれるのですが、運命にはそう変わりません。

ぜんぜんないとは言えませんが、ある時期まではいくらか影響しますが、それを過ぎれば同じです。」


信者の質問
「亡くなるときにもそういうことを言われてますが」

明主様御垂示
「引潮のときに亡くなります。

だからいくらか影響するのです。」

「奇数が陰、偶数が陽」

2021年03月23日 17時20分00秒 | 昭和28年7月・8月・9月
明主様御垂示 「奇数が陰、偶数が陽」 (昭和28年9月1日)

信者の質問
「姓名をつける場合には字画を考えてつけるべきでしょうか」

明主様御垂示
「字画は関係があります。」


信者の質問
「どういうようにいたしましたらよろしいのでしょうか」

明主様御垂示
「偶数と奇数がありますが、奇数が陰、偶数が陽です。

夫婦とか子供の字画がそれに合えばよいのです。調和すればよいのです。

ですから夫婦で奇数と偶数が合ったのは続きますが、陰なら陰、陽なら陽というのはたいてい別れます。

このことは私は以前に教わったのですが、試してみるとほとんどそうです。

そこで子供などが生まれた場合には母親と陰陽にするとよいです。

そうすると母親になついて、よく育ちます。

ところが父親と陰陽になって母親と同じだと、母親に縁が薄くなります。

そういうのは結局父親に育てられるということになります。それは確かにあります。」


信者の質問
「調和ということを具体的にお願いいたします」

明主様御垂示
「それは陰陽です。陰陽が調和するのは当たり前です。

湯のことを考えると、火と水だからちょうどよいので、火だけでは熱くてしようがありません。」


信者の質問
「名字は同じになりますが」

明主様御垂示
「名字は動かすことはできないのでしかたがありません。名前のほうです。まだいろいろあります。

言霊から言ってもありますが、それは簡単にはゆきません。

言霊というのは「アイウエオ」が基本です。

アカサタナハマヤラワというのは天の行ですから火です。

オコソトノホモヨロヲというのは下ですから地です。

それで中間は水ですから、そこで名字が火の場合には名前を水にしなければならないし、

名字が水の場合は名前を火にしなければならないので、そうすれば合うわけです。

そこで「オカダ」というのはア行です。

最初の「オ」はオ行ですが、言霊(たま)返しでゆくと下の字支配するからア行になります。

「モキチ」は言霊返しで「ミ」ですから、火と水でちょうど調和するわけです。

こういうことを知っていれば名前をつける場合には非常によいです。

字や言霊によっていろいろありますが、私はそういった言霊返しや字のことを書こうと思ってますが、どうも神様が許されないのです。

書き出すと嫌になるのです。

もっともこれが分かると、いろいろな神秘がすべて分かってしまうので、

やっぱりある時期までは神秘があんまり分かってはいけないのです。」

「化粧の鉛毒について」

2021年03月22日 17時20分00秒 | 昭和28年7月・8月・9月
明主様御垂示 「化粧の鉛毒について」 (昭和28年9月1日)

信者の質問
「化粧の鉛毒になるのは、女より男のほうが多いようですが」

明主様御垂示
「それは俳優だからです。女はつけないからです。」


信者の質問
「霊的の意味ではないのでしょうか」

明主様御垂示
「そういう意味はありません。

それは男は女よりも黒い顔ですから、ずっと濃いのを使うからです。

顔を白く見せなければならないから厚く塗るわけです。

以前のオシロイは原料はほとんど鉛ですが、今はほとんど使いませんから、今は鉛毒ではありませんが、昔はそうでした。」


信者の質問
「エノケンが鉛毒のようでございましたが」

明主様御垂示
「そうではありません。

足に脱疽ができ、浄霊ならすぐ治りますが、切ったから、それで長くかかったのです。

エノケンは女形をするわけではないから鉛毒にはなりません。」


信者の発言
「舞台で汗が出ないのは、汗が出ないようにオシロイで塗りつぶすためだそうで、非常にたくさん使うそうでございます」

明主様御垂示
「そうです。しかし今はたいぶんよいですが、昔はもっと酷かったのです。」

「一つの真理を得れば全てが判る」

2021年03月21日 17時20分00秒 | 昭和28年7月・8月・9月
明主様御垂示 「一つの真理を得れば全てが判る」 (昭和28年9月1日)

信者の質問
「宮本武蔵が剣禅一致の境地に達し、相手を倒すでなく自分を護るでなく、無念無想というそういうことは効果がありますのでしょうか」

明主様御垂示
「効果があります。

しかし無念無想とは違います。人間は無念無想にはなることはできません。

他に言葉がないからそう言ったのです。

とにかく魂の境地が高くなるからです。

武蔵はだいたい沢庵和尚からヒントを得たのです。それで始終沢庵和尚に教えてもらってます。

しかしだいたいあの人は生まれながらにして魂の位置がよかったのです。

だから絵を画いても、ああいううまい絵を画きます。

それは何事にもそうなるので、剣でいってもああなるので、すべてがそうなのです。」


信者の質問
「結局邪念をとるということでございましょうか」

明主様御垂示
「邪念をとるということでは、もう駄目なのです。

“とる”ということは“ある”わけですが邪念がなければ取る必要がないのです。

邪念をなくしようということがいけないので、邪念はなくなっているから、そういう考えは必要ないのです。

幾分でもあるから取ろうということになるのです。

私は絵も画くし書も書くし、歌も作れば、建築もやるというわけで、すべて最高のものなのだから、結局同じです。

だからある程度にゆけばすべてがその程度にゆきます。


この間も植木屋に教えてやったことがあります。

植木の葉が枯れかかったり、色が悪かったり、力がないときに、植木屋は土ばかりを加えます。

ところが土を変えられればよいが、変えられない場合がありますから、

そういう場合には土から吸い上げる養分と葉や枝の数が合っていればよいですが、

岩などがあって養分が上がらない場合があるから、

そこで全体に養分がゆかないから枯れたり弱ったりするのです。

そういうのは枝や葉を少なくすれば勢いがよくなります。

ですから私は、だいたい葉の色や具合を見て切りますが、それを切ると全部に養分が漲(みなぎ)るから元気がよくなります。

すなわち人間の病気のことだけが一つ分かれば、他のものは全部分かります。

自然農法にしても病気からヒントを得たのです。

だからつまり作物を健康にするというわけなのです。

今までは作物がたくさん取れないということはそれだけの力がないからです。

人間なら体の中に薬毒が多いから、元気が出ないのです。

薬毒というのがやっぱり肥料と同じです。

これは一つの真理を得れば、一切はそれと同じ意味なのです。

それで苦しいことや悪いことは何でも浄化作用と思えば、風水害も浄化作用なのだから、すぐ分かります。

それでまさか空中などに薬毒があって穢すと言っても、やっぱり人間の想念や言葉が大事なのです。

人間が悪いことを考えると、それだけ霊界が曇るのです。

それから行為によっても曇るし、また土を穢すから、それを洗わなければならないから大水が出て洗うわけです。

それから霊界を穢せば風が吹いて吹き払ってしまうというわけで、何でも同じことです。

それを当てはめてみれば分かります。


だから私の言うことや説くことは新しい学問です。

そうしてこれは本当の学問です。

今までの学問というのはみんな間違っているのです。間違っているというよりか、低い学問です。ごく下の低い文化です。

それを進歩させ発展させているのです。

私のはもっと上の学問です。

つまりあなた方が今までいろいろ習ったことは、小学校で習っていたようなもので、私が説くことは中学校から大学の学問です。

それを一般人類は小学校の学問を最高のものと思って、たまたま大学の講義を聞かせると、あれは間違っている、迷信だと言うのです。

それはとにかく小学校程度では大学の講義を聞いても分かるはずはないからそれはそう思うでしょう。

けれども事実が承知しません。

小学校の医学では病気は治らないが、大学に行けば治るからだんだん分かってくるので、それはしようがないということになります。そういったものでしょう。

それで今までの宗教というのは小学校の高等科くらいなものです。だから科学とあまり違いがないのです。」