明主様御垂示 「浄霊力と想念」 3 (昭和28年8月1日)
信者の発言
「だいたい信仰が深いからお蔭をいただいたというのは、実はそうではなくて、神様のお蔭をいただけたから信仰が深くなるということでございますから」
信者の発言
「信ずるから治る、信じないから治らないというのではございませんから」
明主様御垂示
「いや、信じなくても治ります。
ところが神様のほうは、信仰にはいらないうちは信じなくても治るわけです。
ところがだいたい分かってきても信じないと、そこにちょっとくい違いがあるのです。」
信者の発言
「私はこう言うのです。同じ御浄霊をお受けしても、その人が本当にありがたいというときと、馬鹿にしているときとは自ずとお蔭をいただく程度に差があるというのです」
明主様御垂示
「ところが一概にいかないので、何も知らない人は最初は、こんなことで治るものかということは、それはそれで、理屈に合っているのです。
それから奇跡を見せて、なお疑うということは、人間のほうが間違っています。
だからそこにおいて結果に違いが出て来ます。
だから再浄化というのはやっぱりそういうわけです。
一旦治ったのですから、そうすれば絶対だから、これはたいしたものだと思えばよいのですが、治ってもまだグズグズしているから、そこで正守護神が怒ってしまうのです。
そこでもう一度苦しめてやろうということになるのです。」
信者の質問
「お光をいただき病気が治りながら、想念が感謝を伴っていないというときに再浄化の可能が多くなるわけで・・・」
明主様御垂示
「そうです。神様のほうは寸分違わないので、理屈に合っているのです。
それで今言う屋根に上がって樋を直すということは立派なものですから、そのくらいで神様がけしからんと言うわけがありません。
もしそうなら神様くらい気のきかないのはないということになります。
神様はそのくらいお許しになるのが本当だと思うのが本当ですが、
それを御無礼になると考えるのは、神様は「樋を直すのが本当なのだから、オレをそんなに見ているのか」となります。
そこに神様と人間のほうとの考えが違うのです。」