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明主様の御垂示 (神慈秀明会会員の通勤カレッジ)

明主様・岡田茂吉師の御垂示を通勤途中の電車内で学ぶためのブログです。

「御神体奉斎の個数も臨機応変に考えろ」

2021年02月23日 17時20分00秒 | 昭和28年7月・8月・9月
明主様御垂示 「御神体奉斎の個数も臨機応変に考えろ」 (昭和28年8月1日)

信者の質問
「一軒の家で離れがない場合には御神体は一体でよろしいでしょうか」


明主様御垂示
「それも臨機応変です。広い家なら別々でよいが、狭い家は一つでよいです。

教会と住居を区分して決められるくらいの広さがあれば別々にしたほうがよいです。

それからまた急ぐ場合とか、いろいろな場合に、あるときまでは、床の間が狭いとか、御神前が狭いとかいう場合には兼帯でしてもよいです。

それから、その部屋の具合が、もう分離して別々にしても充分によいという場合には今言ったとおりにするのです。」

「御神体の公私混同は駄目」

2021年02月22日 17時20分00秒 | 昭和28年7月・8月・9月
明主様御垂示 「御神体の公私混同は駄目」 (昭和28年8月1日)

信者の質問
「教会と住居が同じでございますが、住居の離れにおかけしてあった御神体を、同じ屋敷内という意味で教会のほうにおかけしましたが、それでよろしいものでございましょうか」

明主様御垂示
「光明如来様を教会とは別々にするのですか。それならよいです。」


信者の発言
「一つでございます」

明主様御垂示
「それは別々でなければいけません。そうでなければ公私混同です。

やっぱり教会というのは宗教活動のためにある公(おおやけ)なもので、個人のほうにあるのは、個人の家庭を御守護していただくというので、それは別です。」

「屋根修理の際に御神体を移動するのは神様に対する侮辱」

2021年02月21日 17時20分00秒 | 昭和28年7月・8月・9月
明主様御垂示 「屋根修理の際に御神体を移動するのは神様に対する侮辱」 (昭和28年8月1日)

信者の質問
「御神前のフスマを閉めようとして、無理に閉めたところ、大きな物音がし、明主様の御写真が床の上に落ち、ガラスが割れ、

お袴の裾に針の先で突いたほどの傷と、かすったほどの傷が二、三カ所つき、

御神体の表装の下のほうに三分くらいの切傷がガラスの破片でつき、お茶が少々かかりました。

表装をしなおし本日持参いたしました。お詫び申し上げます」

明主様御垂示
「見て差し支えなければ浄めてあげます。」


信者の発言
「そのことにつきましてこういうことがございました。

その以前に屋根の雨樋の修理のために職人が屋根に上がるので、御神体と御写真をお外ししたそうでございます」

明主様御垂示
「それが悪いのです。そのとき外したのがいけません。」


信者の発言
「屋根に人が乗りますので」

明主様御垂示
「乗るときは神様にお詫びすればよいのです。

移動したのがいけません。」


信者の発言
「もったいないと思いましたので」

明主様御垂示
「そうではないのです。それは修繕するのだから、やむを得ないのです。神様は許されます。

屋根に上がらねば修理できないので、樋が直らなければ被害をこうむりますから、神様としてもおとがめはありません。

神様は理屈が立てば決しておとがめはありません。

それを外したということは、神様を侮辱したわけです。

神様はずいぶん気がきかないというように見られたわけです。

ですから神様は気に入らないのです。」

「全く無関係の死者を教会で供養するべきではない」

2021年02月20日 17時20分00秒 | 昭和28年7月・8月・9月
明主様御垂示 「全く無関係の死者を教会で供養するべきではない」 (昭和28年8月1日)

信者の質問
「お盆には亡くなった知己、親戚という者が仏壇に来られるのでございましょうか」

明主様御垂示
「来られます。」


信者の質問
「それはどういう意味でございましょうか」

明主様御垂示
「あれはお釈迦さんが仏界をつくったときに、そういうようにしたのだから、どんな地獄に苦しんでいるものでも、一年に一度ずつは娑婆に出してやるというわけで、許されてあるのです。」


信者の質問
「そういうこととは別に、姻戚で無縁になっている霊がたくさんあり、

また私共の場合、教会の信者で亡くなった者がある場合に、自分の家の仏壇で供養してあげたいという場合にははいってくるものでございましょうか」

明主様御垂示
「祀ればはいって来ます。」


信者の質問
「その場合はどういう名前で作りましたらよろしいのでございましょうか」

明主様御垂示
「しかし作らなくてもよいでしょう。

あなたのほうのごく関係した者だけでよいのです。

何となれば、その人の遺族が祀るのが本当なのです。

それでそういった無縁になってしまっているのは、一々救うとしたらたいへんです。

昔からとなると何億、何十億とあります。

それを祀るとしても、みんなは来れないかもしれません。

だから良いとか悪いというよりも、そういう必要はありません。

仏立講(ぶつりゅうこう)でやってますが、それをやっている仏立講が最近はたいへんな苦境に陥ってます。」

「神山郷の近辺の山崩れ」

2021年02月19日 17時20分00秒 | 昭和28年7月・8月・9月
明主様御垂示 「神山郷の近辺の山崩れ」 (昭和28年8月1日)

明主様御垂示
「今度の山崩れですが、これもなかなか神秘があります。

これはだいたい上のほうから崩れてきたのです。」


信者の発言
「明主様より上にいるということは不自然ですから」

明主様御垂示
「それもありますが、六月十五日に神山を中心にして左進右退の渦巻が始まるというので、ここは神山になりますが、その第一歩の型です。

崩れて、道了(どうりょう)さんが飛ばされたが、これは宗教の型です。

そうして水が無くなって、私の所で前に水源地を買ってありましたが、その水を供給して、今強羅一円の人はその水で助かっているのです。

ですからこれはメシヤ教が世を助けるという小さな型です。」


信者の発言
「崩れました所を見てまいりましたが、道了権現を崩すために崩れたもののように思えました」

明主様御垂示
「そうです。ですからあとは別に心配いりません。」


信者の発言
「メシヤ教は後から来たのであって、その上にいるのはけしからんと言うのは無理のようですが、

先にいたと申しましても、今までは夜だったからお許しになったので、昼になればもう邪魔だから」

明主様御垂示
「いや邪魔ということはありません。

全部が神様のものだから邪魔ということはありません。

しかしあそこにいると道了さんが苦しくてしようがないので道了さん自身が崩してしまったのです。

それで天狗の眷族がみんなで石をゆさぶったのです。

ちょうど神様が、邪魔だから取り除くと結果から言えばそうみえますが、そうではないので、自分が苦しいのです。

時期がだんだん迫って来たから、早くしないと苦しいから、道了さんが自身で壊したのです。

だから祖霊もそうです。祖霊をあんまり奉ってよくすると、祖霊が苦しいのです。

だから仏様に御屏風観音様を御祀りしても、祖霊のほうとあんまり段が違わないと祖霊が苦しいのです。

だから自分で何とか末席に行こうとしていろいろなことを知らせるのです。」