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明主様の御垂示 (神慈秀明会会員の通勤カレッジ)

明主様・岡田茂吉師の御垂示を通勤途中の電車内で学ぶためのブログです。

「芸術家が不幸になる原因」

2013年07月31日 17時20分00秒 | 昭和23年10月・11月・12月
明主様御垂示 「芸術家が不幸になる原因」 (昭和23年12月28日)

信者の質問
「すぐれた芸術家の中には不遇な人が多いこと、また人格的にどうかと思われる人があること、これはなにゆえでございましょうか。」


明主様御垂示
「これは一時的にはありますが永い間にはないでしょう。

もしあればその芸術がすぐれてないかまたは悪い癖があるためです。

すぐれていれば必ず世に出るべきものです。

私のだって価値のないものならいくら宣伝しても一時的のものです。

が、本当に価値があるから発展するのです。

以前玉川の上野毛へ移ったときも「こんな辺鄙(へんぴ)な所では・・・」と言って心配した人もあったが、

私は「本当のものならどこへ出たってよい」と言ったことがありました。・・・

芸術が世に認められてても運が悪いという意味ですか。

そういうのは西洋に多いですね。

芸術家には不道徳の人が多いがこんなのは神様のほうから言えば本当の芸術家と違って悪魔的です。

人を愛することや人の迷惑を考えることが少ない。

ただ自分の芸術のみ尊重して社会生活に寄与することが少ない。それが不幸の原因です。

西洋の音楽家や文学者にはこれが多いですね。

ヨハン・シュトラウスなんかは初め銀行家だったが、あまり音楽に夢中になってクビになったが、やがてその音楽が皇帝に認められたんですが、それは皇帝もシュトラウスと同じような境遇だったからです。

ベートーヴェンなんかはひどいですね、耳は聞こえず恋愛は失敗するし、シューベルトだってそうでしたね。

ベートーヴェンのリズムは悲痛から生まれたので、聞いてても快感はなく暗い感じになります。

ただ、こっちも暗い気分なら共感はあるでしょうがね。・・・

彼の「運命」なんかはいいんですが、悲痛が出てますね。」

「透視術は信用できる」

2013年07月30日 17時20分00秒 | 昭和23年10月・11月・12月
明主様御垂示 「透視術は信用できる」 (昭和23年12月28日)

信者の質問
「透視術は信用できましょうか。」

明主様御垂示
「これは信用できます、予言なんかは信用できませんが。」


信者の質問
「ある会員が私には高尾山の天狗がついてると申しましたが・・・」

明主様御垂示
「それは透視ではなく霊視です。

透視というのは、例えばこの煙草入れの中に煙草が何本入っているかということを中を見ないで当てることです。

あるいは「あなたは昨日、私の家から帰るときにどこを通りどこを曲がって帰ったでしょう」というふうなことを当てるのが透視です。

人になんの霊がついているかを当てるのは術ではなく、霊視です。

これは確実に当たることもあるし当たらぬこともある。

が、ぜんぜんでたらめではないんです。

透視はだれでも習えばできますよ。十二、三歳のころから仕込むと青年になるころはかなり能力ができます。」

「氏神様の御神名」

2013年07月29日 17時20分00秒 | 昭和23年10月・11月・12月
明主様御垂示 「氏神様の御神名」 (昭和23年12月28日)

信者の質問
「氏神様にお詣りするときにはなんと申したらよろしいでしょうか。」

明主様御垂示
「「産土大神守り給へ幸倍賜へ」でいいです。

御礼と御守護を願ったらいいです。これも別にそんなに大きな声を出さなくてもいい。小さい声でいいんです。拍手も打たぬほうがいいです。

拍手も大きく叩く人があるが、あれはその人の心の表われで、大きいほうがいいとは限らない。

神様は耳が遠いわけはないから。

祝詞だってふつうの声でいい。

別に大きな声を出したからどうなるということもないんです。」


信者の質問
「お道の信者が氏神様に御守護を願うということは差し支えないでしょうか。」

明主様御垂示
「それはかまいません。氏神は氏子を守護するのが役目なんだから。」

「五六七会が全体の六、七割の成績を上げている」

2013年07月28日 17時20分00秒 | 昭和23年10月・11月・12月
明主様御垂示 「五六七会が全体の六、七割の成績を上げている」 (昭和23年12月28日)

信者の質問
「日本観音教の名称と五六七教との関係および仏教、キリスト教と対比した場合の名称について・・・」

明主様御垂示
「観音教の教というのはウソです。

お説教という意味になるから。

しかしふつうは金光教とか大本教とかいうように、ほかにいいのがないので教としているのです。

私は昭和九年、大日本観音会というのを作ったが、後弾圧されたので一時止め、今度復活したわけです。

今度は大日本とは言えないので、日本観音教ということにしたのです。・・・

五六七教は渋井が五六七会長としてやっているが、観音教団の中でやっては活動しにくい、というのはあの人が十のうち六、七の成績を上げている。

他の会は全部寄せても三くらいでケタが違いすぎる。

従って観音教団の中でなにかやると他の分会との相談やなにかでいろいろ掣肘(せいちゅう)をうけるため仕事ができない、

これは理屈に合わぬ、思う通りにやりたいというので一応もっともと思って別にしたんです。」


信者の質問
「別派と考えてよろしゅうございましょうか。」

明主様御垂示
「ええ別派です。

が「五六七」も観音も元は一つです。

キリスト教にだってカトリックもあればプロテスタントもあるんですから、これと同じです。・・・

観音様が縦なら五六七は横と思えばよい。

結べば一つなんですから。

もう少し先にはまた分派ができるかもしれないし、またその先には一つになるかもしれない。

名称だってそうですよ。また他の関係もあるんです。

例えば拍手(かしわで)を打って神道と見られるが、神道だと調査を要すという規定が進駐軍にある。

調査なんかされるのは面倒です。されないほうがいいです。

だから時勢に応じていろいろに変わるんです。」

「明主様に対するお伺いの方法」

2013年07月27日 17時20分00秒 | 昭和23年10月・11月・12月
明主様御垂示 「明主様に対するお伺いの方法」 (昭和23年12月28日)

信者の質問
「大先生様(註 明主様のこと)にお伺い申し上げる場合、

(一)最後まで黙して拝聴すべきでしょうか、

(二)言葉をお添えせねば充分表現できぬ場合はいかがいたすべきでしょうか、

(三)再三お尋ね申さねば理解いたしかねる場合はいかがいたすべきでしょうか。」


明主様御垂示
「(一)臨機応変でいいです。簡単なことならそのときでも質問してもいいし、あまり永くなるのだったらあとまで待ってすることです、ほかの質問に影響しますから。

(二)それは言葉で言ったらいいですよ。

(三)いくど質問してもいいです、理解するまで。しかし特に頭の悪い人は困りますがね。」