金谷武洋の『日本語に主語はいらない』

英文法の安易な移植により生まれた日本語文法の「主語」信仰を論破する

第56回 「あめあめふれふれかあさんが」

2009-10-12 10:38:10 | 日本語ものがたり
 外国語としての日本語を教えていて、ときどきふと立ち止まる。それは、いままで気付かなかったことが急に意外性を帯びて立ち現れた時だ。あれ、どうしてこうなんだろう、と自問していろいろ調べ、答えが見つかることもあるし、疑問が疑問のまま、何年たっても分からないこともある。いずれの場合にしても、ああでもない、こうでもないと考えを巡らせること自体が刺激的で、とても楽しい。答えが分かった場合の多くをこれまでこの . . . 本文を読む