街人にサカーダ 本館

挙動不審なタンゴに関するブログ by しうえい

タンゴが我が国に流行しない理由

2007年12月29日 | タンゴの勧め
 タンゴが我が国に流行しないのにはそれ相當の理由がある。
 
 第一にタンゴ音楽を演奏し得るバンドがない。
 第二にタンゴに適した踊り場がない。
 第三に就てタンゴを学ぶ可き良師に乏しい。



森潤三郎という人によって1930年代の日本で書かれた「アルゼンチンタンゴの踊り方」という作品の冒頭である。

森鴎外の弟と同姓同名なのでもしかしたら本人かもしれない。



彼の「たんご」という作品にはこんな文面が見られる。


 タンゴは元来アルゼンチンの民謡、音楽、並に舞踏(この三者は恒に不可分の関係にある)であって、
 その演奏はアルゼンチンの人間に限るのである。
 アルゼンチン以外の楽手ではタンゴ特有の味と辛辣さとが出て来ないのである。
 その技巧を学び得てもその精神をつかむことが不可能らしい。



もちろん、舞踏についても同様の思想が見え隠れする。
当時渡亜した日本人とアルゼンチン人の会話の引用らしい。


 『それでは判りにくい。も少し規則的に教へろ』と云ふと
 『私達は小供の時からタンゴ計りを聴いています。
 そして、それに合はせて歩いていますから、タンゴを耳にしさへすれば、
 足が自然に動き出すのです。従って、自分で踊って見せる以外別に規則だとか、
 ステップだとか云ふものは存じません。つまりどう云ふ風に踊るかと云ふこと
 をお教へは出来ないのです』と云ひましたよ。



タンゴはアルゼンチンの人間にしか成し得ない

という一つの考え方がそこにあったと思われる。




あれから80年近く経って、
アルゼンチン以外の国でも少なからず形を変えるなり何なりで
タンゴが流行しているとは言えないまでも普及しつつあるし、
アルゼンチン国内でさえも、日本で言えば相撲にモンゴル人の横綱が現れたような現象が実際にある。



森氏自身は目賀田男爵(アルゼンチンタンゴを日本に最初に持ち込んだとされる伝説の人物)のダンス弟子でもあったようだ。


 日本に於いて社交ダンスを健全に発達せしめんがためには、
 これを先づ家庭に取り入れ、而して後、次第にその範囲を拡大して、
 一般社交に及ぼすを上策と信じるからである。




つまり当時の日本にあった形で、目賀田ダンスのような形をとって「アルゼンチンタンゴが流行しない3つの理由」が克服されたと解釈すればよいだろうか。

ヨーロッパなどでも社交ダンスとして形を変えて普及していったタンゴダンスの一つのルーツがそこにあったようだ。





その時代から随分と時間が経って、
今現在、社交ダンスとは全く違う形でアルゼンチンタンゴダンスが普及していて、
そのルーツには幾説もあり真相はいざ知らずであるが、



今、私の口から無難に言う事が出来るとすれば

1930年代とは違って、
アルゼンチン現地から持ち込まれるダンスが
そのままに近い形で日本で受け入れられるようになってきた、

ということで結果的には
森氏が語ったアルゼンチンタンゴが流行しない3つの理由とされた事象が克服されつつあるのかもしれない。



もう一つおまけに言えば、
今まさに、アルゼンチン固有の民謡・音楽・舞踏という物が、
日本でも改めて回帰して融合し得るタイミングなのではないか、と勝手に思ったりもしている。


今年の10大イベント(2007年)

2007年12月25日 | 日記
2007年、皆様はどのような年になりましたでしょうか?


今思えば昨年までは結構派手にやっていたな。。
2006年の10大イベント
2005年の10大イベント


10位 引っ越す

  大井町線沿いに引越しました。
  夜の踊り場には少し近くなったかな?
  タクシー代なんかも浮きます。これ大切です。

  にも関わらず、
  ミロンガにはちっとも足を運ばなくなりましたなぁ。


9位 抱負を達成できず

  今年はじめに挙げた5つの抱負・・・どうだったかというと。

1:金銭感覚を取り戻します。・・・・ ×
2:英語を勉強しなおします。・・・・ △
3:ハーフマラソンに参加します。・・・・ ×
4:アルゼンチンでタンゴを踊ります。・・・・ ○
5:自転車で乗鞍挑戦します。  ・・・・ ×

  ぜんぜんアカン。。


8位 日本タンゴ学会を設立

  タンゴ増員計画 というのが、タンゴのほかの mixiコミュとちっとも変わらなくなりつつあり、
  やはりどうしてもダンサーだけの内輪の集いになっているところを打開せんと、
  日本タンゴ学会 という物が始まりました。
  
  今後は日本タンゴアカデミーにも参加させていただき、
  タンゴぺディアの整備を進めていきます。
  また、タンゴ学会も実際に開催する方向でやってみたいと思っています。


7位 レココンに参加する。

  レコードコンサートという物に参加する機会がありました。
  西村先生・タニィさんにお会いすることができたのも今年でした。
  
  オンライン・レココンを参照


6位 タンゴお見合いを開催。

  タンゴお見合いという物を開催する羽目になりました。
  タンゴお見合い

  今思えばアジアチャンピオンを含めてすごいメンバーに参加して頂きました?
  というより、知らずに来てしまったのでしょうか。。


5位 タンゴが好き!リニューアル

  タンゴが好き!が完全にリニューアルしました。
  タンゴイベントやお店の情報などございましたら、マップやカレンダに載せますのでfantango@googlegroups.comまでご連絡くださいませ。


  12月には Casa de Ana でおなじみの tangofun さんにブログを書いていただきました。
  来年は、ダンサーに限らないもっと大きな分野でご活躍中の皆様にご寄稿を依頼していきたいと考えています。


4位 虎ノ門パストラルでデモ

  世界民族舞踊の夕べ という物に出させていただきました。

  おー。それにしても主催者さん。ギャラブッチはいかんぜよ。


3位 トロピカーナで練習会

  半年間だけでしたが、毎週土曜に練習会という形で定期イベントをやってみました。
  ちょっと高かったか(2000円)と思ってますが、毎週足を運んでくださいましてありがとうございました。

  歌詞勉強会というのもやらせてもらいましたが、来年はまた何かトロピカーナならではのイベントができればいいと思っています。

  なんと!Tangueros Unidos ちの&みほに乱入していただきまして、大盛況となりました。
  1940年代のミロンガ


2位 初南米
 
  メキシコ → マイアミ → アルゼンチン
  と人生で初めて南米に足を踏み入れました。※メキシコは中米

  アルゼンチンではフォルクローレの里・サルタとタンゴの里・ブエノスアイレスに行きました。
  で、運が悪いというか、良いというか、生ピストルを拝みました。

  ※旅行の日記
  Bar Sur の楽しみ方
  生コペ
  ミロンガを歌う女性 ~ Cafe Homero
  イケメンタンゴバンド ~ Viceversa Tango
  
大道芸~ブエノスおまけ写真

  ファビオ・ハーゲルの演奏~カフェ・トルトーニにて
  ブエノスの野外ミロンガ ~ La Glorieta
  
フォルクローレの里~もう一つのアルゼンチン

  ブエノスで遭った強盗の眼差し
  ★メキシコの写真はその時、全部もってかれましたとさ。


  ブエノスでは、ちのさん・みほさんに大変お世話になりました。
  というより命の恩人とも言うべきか・・・
  重ね重ね感謝の気持ちでいっぱいです。

  Mansion 8という宿に泊まりました。タンゴダンサーが集って住んでいるマンションでした。
  
  

  ★おまけ(Hiroshi&Kyokoのデモ)
  La Marshall でもおなじみの Maipu 444 で Hiroshi & Kyoko のデモを見ることができました。

  
  


1位 結婚しました

  披露宴では気持ちよく踊らせていただきました。
  演奏はロスポジのみなさん