街人にサカーダ 本館

挙動不審なタンゴに関するブログ by しうえい

花火見ながらタンゴ(今夜)

2008年08月07日 | 重い考察
今日は神宮外苑花火大会ですね。



御苑前でのすいよう会から眺めがイイらしい。

湯沢修一記念タンゴすいよう会



でもどのくらいイイのかは分かりません。

さらに言えばタンゴを踊りながら花火見て楽しいのかどうか?
もしくは花火見ながらタンゴ踊れるのかどうか?


ちなみに今日のすいよう会の場所はこちらです。

■四谷地域センター 12階多目的ホール(200m2)

住所:新宿区内藤町87
東京メトロ丸ノ内線「新宿御苑前」駅下車、徒歩5分

ベジェ曲線とクロソイド曲線

2006年06月30日 | 重い考察
タンゴを習いはじめる時に
すぐさまステップがどうとか、この技がどうとか言って、
なんとかタンゴの真似事を開始する人が多い


そうやって始めてみたものの
やはりタンゴとは「歩き」を核とした二人の動きが成すダンスである事を痛感し
長年タンゴと接してきた人が年を追う毎に基本的な動きに時間を費やすようになる例が
よく見られる


今日は特にそんなタンゴの習い方が間違っているかどうかについては触れない


基本的な動きという物を考えるときに
どうして人間はステップを真っ先に考えるかというと

他人のダンスを見て motion capture する上で
ステップを認識することが最も達成感の得やすい要素であるからであり
ステージなどでも結果的に観衆が魅了されやすいポイントである


しかしながらリードをしながら男性は、
連続的に女性に与えるべき力の方向、そして目まぐるしい強弱の変化を体得する上で
踊りを重ねる事により、より一般化したリードの理論を模索しようとする


そんなえらそうに語る私も
ただひたすらリードのへなちょこさに
嘆く毎日である



そんなことはさておき、
タンゴではお互いの連続的な動きが美徳とされているようだ
さらに言えば、連続的な体の支点の動きのような物が求められているようだ


体の支点という言葉に困惑される方も多いだろうが
「ある動きが繰り広げられる上での定点的な力の拠り所」であり
小学校か中学校で習った例でいうと、シーソーの支えどころとなる


シーソーの例では地上に足があって台を支える点がまさしく支点であって
タンゴの場合も二人で組んだ体のどこかが支点になれば心地よさそうである

ところが人間の足という物は厄介者で
2本あってお互いに交互に動き合わせなければ人は歩けない

仮に戦車のようなキャタピラ型の足の人がそこにいれば
人はその安定っぷりに目を見張ること間違いない


そんなことはさておき、
逆に支点を設定して足が後から勝手についてくるようにしろ
という事をGさんが教えてくれた


なるほど、というところで
私なりにしばらく考えた結果
支点の動きが理想的には【ベジェ曲線】のようになれば
自然に足がついてくるのではないか、
と想像するに至った


参照:イラストレータで描くベジェ曲線
http://www.interq.or.jp/rap/keihiro/dtp/ill-06/ill-06.html


ある既知の振り付けを動く上で
点と点を通る最もスムーズな曲線とでも説明できるのかどうか
そんな支点を動きを実現できるようなリードが求められていることになる



ついでに
こっちはどうでもいい話だが

カーブを描く動きに
人間がもっとも自然な加速を感じる為の曲線は
クロソイド曲線と呼ばれるそうで

ヒーロなどの動きに際し
支点の動線となるベジェ曲線が
クロソイド状になれば心地よい回転が得られるはずである


参照:クロソイド曲線について(下へ行くほど上級者向き)
http://202.250.123.44/buturi/clothoid/clothoid.html
http://www.appmath.osaka-wu.ac.jp/~takashiw/mathematica/geometry/jma-clothoid.htm
http://www004.upp.so-net.ne.jp/s_honma/clothoid/clothoid.htm
http://www.u-gakugei.ac.jp/~nobuko/97seminar/99-2.html


理論的には


おわり

タンゴに見られる Web 2.0性

2006年04月18日 | 重い考察
Web 2.0 という概念がよく耳にされるようになった
※参照:IT 免疫のある人 向けの記事 こちら


個人的な見解としては、
Web 世界の最終型は、人間の認識世界とオーバーラップする事であろうと
勝手ながら定義している。


そんな流れに乗って Web という物がバージョン2になったという事で、
まぁそんな事も定義しだがる人々もいるだろう、程度に思っているわけだが、
人間の営みを逆に振り返ってみると、あぁそういう事かとタメになる事が稀にある。


そのような雑念の最中、ダンスという物の進化が、
やはり人間の認識世界とオーバーラップする事を目標としているシステムの成長であろう、
そんな下らない事を考えてみてしまったりもする。


何だってそうでしょ!
まぁ、そう言わずに
聞いて下さい。


まず、Web 1.0性という物は何であったか?
インターネットを通して今まさにあなたが見ている世界が、基本はまだまだそんな感じ。
だれか情報を提供できる場があって、だれかがそれを利用できる場がある


で、Web 2.0性は何って? 良くわかんないんだけど、
情報を提供する場と利用する場が、より近づいている、、、
mixi とか Winny とか ちゃんと真面目にやってるブログ とか?



さて、アルゼンチンタンゴにどんな Web 2.0性があるか?


簡単にいうと、


必ずしも 提供者 と 利用者 という形ではなく
「リードする男性」と「リードされる女性」というルールの中で、
全ての立場が巻き込まれて、一つのタンゴを作り上げていくところ


つまり、


・「見る人」 vs 「見せる人」
・「踊る人」 vs 「奏でる人」
・「動きを作る人」 vs 「動きを作られる人」


そんな人々が垣根を越えて
一つの sympathy を作り上げていくところ、
アルゼンチンタンゴがダンスとしての進化を感じるところかも



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ダンスは報われるか?

2006年01月10日 | 重い考察
アメリカの心理学者ウォルスターによる有名な実験がある


コンピュータデート (Walster et al., 1966)では、
コンピュータで良い相手を診断するという名目で多対多のダンスパーティが行われ、
あるダンスパートナーへの好意度が、当初彼らによって評価された魅力度と相関があるかどうかが問われた。


人は「身体的に魅力的な異性に好意を抱く」傾向が科学的に証明されたという。
※ちなみに「好意を抱く」という意味は、この実験の場合「その後デートに誘った」かどうからしい。


ダンスパーティが実験の場として選ばれた理由は、そこが自己呈示行動が達成される状況である為だと考える。


一応述べておくと、被実験者の魅力とダンスの上手さの相関は評価されていない(出来ない)為、
「好意を抱く」に至る場合に「外見」と「自己表現」のどちらがより 支配的 なのかは不明である。
本当に「外見」で決まってしまっているならば、必死に踊っても寂しいもんだけども。


一方で、ヘレン・フィッシャーの「人は何故恋に落ちるのか?」には興味深い実験が載っていた。(ラヴォメーター参照)
「強烈な恋心は、愛する人の写真、歌、思い出のどれも同じくらい引き出すことができる」
恋心のトリガは、視覚のみではないとされる。

とりあえず、外見だけが決め手ではない!!
がんばれダンスを!!


ほっとしたのもつかの間、今日の日記がここで終わるのは、
恋心と、ダンスでの好意が、恐らく同一ではないであろう、という実感からである。
ダンスと、恋愛に関連があるとされる性的な独占欲との2つの間には、まだ何らかの火種が残っているかもしれない。
タンゴの歴史を追っていこうか。

そのうち。


★去年読んだヘレン・フィッシャーの本
人はなぜ恋に落ちるのか?―恋と愛情と性欲の脳科学

ソニーマガジンズ

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